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知られるもの(環境)の5つの要素と知るもの(意識)との関連-マインドフルネスの立場から-

こんにちは。ジェイラボです。

前回の記事では、心が「知るもの/知られるもの」という認識と認識される対象(環境)を含む二元的なシステムであることを簡単に書いてみました。

ご興味のある方は前回の記事をご覧ください。

今回は「知られるもの」である環境とは具体的にどのようなものを指すのか?
そして「知るもの」である意識との関連も含め、マインドフルネスの立場から考察していきたいと思います。

下の図に示したように、緑色の「対象物」が、知られるもの(環境)に相当する部分になります。

下図の一番左側の列は、五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)を示しています。

目(視覚)→ 光(光子)
耳(聴覚)→ 音(音波)
鼻(嗅覚)→ 臭い(化学物質)
舌(味覚)→ 味(化学物質)
皮膚や粘膜(触覚)→ 物理刺激

各々の感覚器官(五感)が、それぞれに感知可能な物理現象を知覚しています(下図の右列)。

そして、それ以外の物質は人間には知覚することができません。
つまり、認識することができないということになります。

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真ん中の「接触場所」とは、「知られるもの」である環境の中の5つの要素である対象物と身体の感覚器官(五感)が接する場所を示しています。

眼識・耳識…など、意識という単語以外は普段あまり使用しないですが、すべて仏教心理学の用語です。

例えば、
光は目の網膜で感受されますが、仏教心理学では、物理的な目の網膜(眼識)と意識(心)が同時に共同して光を感受するという考え方をします。

他の感覚器官についても同様です。

これは、一体どういうことかというと、
何も怪しいことを言っているわけではありません。
誰でも経験している当たり前の現象です。

例えば、
テレビを「見ること」「聴くこと」に集中していると、お尻と椅子の触れる感覚(触覚)は認識されていないはずです。

授業中や会議中に、ボーっと考え事や妄想に耽っていると、耳には喋っている人の声の音波が聞こえているはずです。

しかし、考え事や妄想をしている時に相手が話した内容は、何も頭に入っていないどころか、聞こえてもいないという経験は誰でもあると思います。

つまり、
相手の話を聞くという行為一つ取ってみても、
意識的(マインドフル)な姿勢で臨まないと、
無意識(マインドワンダリング)な状態だと何も聴いていないし、聞こえてもいないという現象が起こるわけです。。

これは、身体の感覚(知覚)神経と意識(注意)が共同して働かないと、外界の環境は認識されていないということです。

このような事実からも、
心(意識)が「知るもの/知られるものシステム」と定義した意図がお解り頂けると思います。

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前回の記事でも少し触れましたが、
「心ははどこにあるのか?」
このような質問に対する一つの回答としては、

全身にある

というのが一つの答えになるのではないでしょうか。

付け加えるなら、環境(対象物)があってはじめて機能する認識システムです。

この考え方は瞑想を実践している人であれば「ピン」とくると思います。

集中瞑想を行っていると、身体の感覚が無くなったかのように感じることがあります。

この集中瞑想は、フォーカス・アテンション瞑想といい、環境の5つの要素(対象物)のどれか一つに意識(心)を集中(フォーカス)する瞑想です。

例えば、上述のような理屈でいうと、
鼻先に意識(心)を集中させる瞑想を行っていると、他の感覚器官に分散していた意識が鼻先に移動→集中していくことになります。

その結果、
体の感覚がすべて消失したような現象が生じます。

では、
観察瞑想(オープン・モニタリング瞑想)では、
全身に意識(心)を分散したままの状態で、環境の5つの要素すべてに気づく(意識的になる)瞑想です。

ただし、意識(心)のイカリ(アンカー)は、呼吸またはお腹の膨らみや縮みに置いておきます。

この瞑想を行うと、気づきが生じた接触場所に瞬時に意識(心)を移動させ、同時に集中も伴うため、通常よりも感覚が鋭敏になります。

例えば、
触覚が感じやすくなったり、
聴覚は、大きな音で聞こえたり、
視覚は、はっきりと見えたりします。

最後に
マインドフルネスでは、「感覚」の概念が非常に重要になってきます。この感覚(知覚)の流れから、

さらに、意識(心)は、感覚情報を統合し、合成する働きがあります。

実は、この働きが様々な人間ドラマを作り出している
ある意味、ストレスの元凶と言っても良い意識(心)の機能になります。

次の記事では、この辺りのことを書いてみたいと思います。

次回に続く。

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