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私がムーブメントコーチになった理由③大学受験〜フリーター編

こんにちは!

ストレングス&コンディショニングコーチでありムーブメントコーチの山越です!

シリーズ、「私がムーブメントコーチになった理由」も前回までで大学受験まで話が進みました。いつ終わるんでしょうね。

前回までの記事はこちら
↓↓↓↓↓


前回、体育大学受験の後に最寄り駅でアンケートを書いた、という話で終わっていたと思います。

今回はその続きから。

駅前でアンケートを書く


この時、大して何も考えずにアンケートを誘われるがままに書いていました。

しかし、家に変な物が送りつけられたり、勧誘とかが来たら嫌だなと思ったのか、嘘ばっかり書いたのです。

名前も、出身校も。

まあ、バレないだろうし書いてやっただけいいでしょうという謎の上から目線でした。

--後日--

家に専門学校からの資料が届きました。

でも、宛名は違う。。。って!!

よく見たら、受験後のアンケートに書いた名前!!

ああ、僕はアンケートは適当に書いたつもりだったのに

”住所だけは本物を書いていたのだ”

むしろ一番ごまかさなければいけないところを。。。

何たる失態。

何というアホさ加減。

自分を恥じながらもとりあえずその送られてきた資料を見てました。

すると、それはスポーツトレーナーの専門学校の資料でした。

少し興味が湧き、読み進めていきます。

すると、世の中にはトレーニング指導によってアスリートや一般の方をサポートをするトレーナーという職業があるというのを知りました。

ストレングス&コンディショニングコーチやアスレティックトレーナー、パーソナルトレーナーなどの細かい違いはまだその時は理解できませんでしたが、とりあえずトレーニング指導をすることでアスリートと関われる仕事があるということを知って驚きました。

しかもトレーナーはトレーニングのことだけでなく、座学で解剖学や生理学、実技でリハビリやテーピングなどが学べるし、スポーツチームへのインターンもあるということで単純に面白そう!と思いました。

そして、トレーナーになれば中学や高校の部活にもトレーニング指導ができるのではないか?それも、一つの部活だけに縛られることなく。

この可能性に気付いてから、一気にトレーナーへの興味が湧いてきました。

教員だと、自分の学校の部活動のみの指導になってしまう。

でも、トレーナーなら働き方によっては様々なチームに指導に行ける。

やるなら、色んなカテゴリを指導してみたい。色んな競技を指導してみたい。

そう思ったかがために、僕はこの資料が送られてきた専門学校に入学したくなりました。

今思えば、アンケートに適当なことを書いたつもりが住所だけ本物を書いた当時の間抜けな自分にお礼を言いたいです。

「ありがとう!」

そして早速親に交渉。

親の返答。

「入学金を自分で貯めるのなら学費は払うから行ってもいい」

でした。

当時、上に兄姉がいてまだ大学在学中。

経済的に厳しい状況だったので、そんな中お金のかかる専門学校に行かせるのはかなり苦しかったのだと思います。

とはいえ、条件さえ満たせば行ってもいいということなので僕はアルバイトをしてお金を貯めることにしました。

期間限定のフリーターの誕生です!


フリーター生活の始まり


アルバイトは色々募集要項を見たのですが、県内有数のビデオレンタル屋さんにしました。

面接も通り、採用。

1年間で、しかも親の扶養の範囲内という条件付きですが初のアルバイト生活が始まりました。

この間、何もしないのもあれなので近くのスポーツジムに入会。

昼間はジムでトレーニング。

夕方から深夜0時までアルバイト。

週に一度は社会人バスケクラブでバスケ。

という超悠々自適な生活をしていました(笑)

アルバイトとはいえ、いい社会経験をさせてもらったなー。

朝礼、夕礼、ゴミ掃除、接客、クレーム対応、電話対応、商品陳列

身だしなみとか、言葉遣いとか、アルバイトであっても結構厳しかったと思います。

いいことですけどね。

まだ今みたいにNetflixやU-next、プライムビデオとかないからDVDとビデオがまだ主流の時代だったので、レンタルビデオ屋は結構繁盛してました。

月に3回ある値下げの日はレジが大行列でした。

返却されたビデオとDVDを棚に戻しに行くのが時として重労働でしたね。

おかげで僕の前腕は鍛えられました。

とにかく、扶養の範囲内で働けるだけ働いていました。

それで必要な入学金を貯めました。

学校案内や入学前授業で時々東京に行きました。

その当時埼玉に住んでいたお姉ちゃんに付き添いをしてもらいました。

学校に行く前に、お姉ちゃんと一緒にDOUTORに入ったのですが「ドトール」が読めず「ドートー」と読んでしまうくらい田舎もん丸出し感が半端なかったです。

そして、群馬県の清らかや空気の中で育っていた私は東京の空気に慣れず若干気持ち悪くなったのを覚えています。ちなみに専門学校は高田馬場にありました。

田舎もんの初東京が高田馬場は中々ハードルが高いです。

まあそんな感じで、貯まった入学金と親が払ってくれた学費のおかげで晴れて専門学校に入学することが決まりました!

ここから、やーっとここからトレーナーになるための勉強が始まります。

そして、学生生活を送っている中で自分がやりたかったことと合致しているムーブメントトレーニングと出会うことになるのです。


その話は、、、また今度の記事で。

ダラダラと書き綴ってすみません。

多分あと2回くらいで終わります。

気長に付き合ってくださいね。

では、また。


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