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シン・短歌レッスン

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#王朝百首

シン・短歌レッス132

シン・短歌レッス132

王朝百首

小野小町は夢の和歌だと思ったらさすがに天邪鬼大王(勝手に名づけた)塚本邦雄ならではの選か。小町の代表作だが、小町が小娘というよりも遣り手婆婆(おばさん程度か)の時に文屋康秀に言い寄られたときの一首。

そのとき文屋の歌は記述がないので、どうでも良かったのかもしれない。文屋の歌は、これまたどうでもいい理屈めいた歌が百人一首に載っていた。

小町こそは『古今集』の花であり女歌の原型とする。

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シン・短歌レッス131

シン・短歌レッス131

王朝百首

後京極摂政藤原良経は『新古今集』の中心的な歌人。春歌の最初と最後を採用され(もっとも選者だった)、『新古今集』の序を書いているという。掲載歌も西行、慈円(叔父さん)に次いでベスト3。九条家は藤原定家と対立した歌所だった。後鳥羽院にも愛され塚本邦雄も敬愛する歌人。

志賀(大津)は古都としての花の名所だったらしい。かつての栄光を懐かしむ歌か?良経自身も三十二歳の若さで暗殺されたという夭折

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シン・短歌レッス126

シン・短歌レッス126

 王朝百首

花は桜だとすると雁は季重なりなのだが、和歌は関係ないのは、むしろその対比によって歌の本意を示しているからだろうか?帰雁しない春の雁。そして塚本の詩では夕桜と見ている。和歌が恋の歌ならば夕闇から曙まで待っていても音沙汰がなかったということか?そして曙に恨みの文を渡してねぐらに帰るのか?

西行

辻邦生『西行花伝』から。

「十二の帖」
西行の歌の師匠藤原為忠の四兄弟は西行と親友なのだ

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シン・短歌レッス121

シン・短歌レッス121

王朝百首

西行の影響にある武人歌人。ただ七十過ぎまで歌壇に居続け、敗走したというのは武人としては情けないのではあるまいか?歌は単純明快、質素剛健という感じか?

西行

辻邦生『西行花伝』
「三の帖」、藤原秋実が西行の親友の僧西住から母を無くしてから鳥羽院の北面の武士になるまでの経緯を語る。

西行は西住と知り合い母の喪失の悲しみを自分本位のものとして反省する。そして流鏑馬の極意を教えた源重実を

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シン・短歌レッス119

シン・短歌レッス119

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。坂上是則。紀貫之が催す歌会。庭園の小川に盃を浮かべてそれが回ってくる間に一首詠むという歌会で漢詩の題詠は「月入花灘暗」。落花を浮かべて急流を下る、三日月も山の影に隠れようとしているの意。望月だったらもっとはっきり見えたのにの意味か?

NHK短歌

これ初心者コースだったとは。かなり内容が濃かった。情景を変えてしまう言葉を一つ入れて短歌をつくることで別世界に連

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シン・短歌レッス118

シン・短歌レッス118

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。小侍従。

春は朧月で詠めるんだ。春は朧で秋は霞。違った春も霞だった。秋は霧だという。こういうのはどっちでもいいのにと思ってしまう。朧で春の意味があるのか?

小侍従は平安後期から鎌倉時代の花形女性歌人だそうだ。名月も随分読んでいるが「待宵の小侍従」と呼ばれたのは以下の和歌から。

掲載歌は最晩年の作であり保元・平治の乱の乱に青春を過ごした無常観が出ているとい

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シン・短歌レッス117

シン・短歌レッス117

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。良暹法師。

「えこそ契らね」は女との交わりを想像したが、桜に対して擬人的に言っているのだった。詞書に「雲林院(桜の名所)に行ったがあらかた桜が散っていて詠んだとある」。塚本はこれも恋歌であり老境な艶なる歌とする。西行でやったがこの頃の歌人坊主はモテたようだ。

西行

目崎徳衛『西行』から「数奇の種々相」。西行が出家に憧れたのは数奇者の僧侶の歌会が開かれるの

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シン・短歌レッス116

シン・短歌レッス116

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。中務。

初めて聞く名前だが伊勢の娘だというから歌人としてはそうとうな人なのであろう。三十六歌仙の一人だった。その三十六歌仙を全部言えるわけがないが何か権威みたいなものを感じる。藤原公任選定だった。『光る君へ』で出てきたな。このぐらいの知識なのである。

ただ『百人一首』には載ってないでここで塚本が選定したのは、こだわりがあるのかなと。

ここに読まれているの

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シン・短歌レッス115

シン・短歌レッス115

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。藤原実定

桜の儚さを詠んだ名歌とされる。二句切れは『新古今』時代の特徴。「はかなさをほかにもいはじさくらばなさきて」のH音とS音が「はかなさ」を醸し出しているとする。

西行

目崎徳衛『西行』から「佐藤義清 の公私の生活」。西行は北面の武士として鳥羽法皇に使えていたのだが、それは文武に優れて美貌でなければ鳥羽法皇の閨などに入れないのである。そういう若人だ

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シン・短歌レッス114

シン・短歌レッス114

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。

菅原孝標女なんか面倒くさい名前だが、名前を知らないから女(むすめ)と呼んでいるだけだった。

『更級日記』の作者だった。『更級日記』は『源氏物語』オタクの日記ではなかったか。

この歌も『源氏物語』「朧月」をイメージしており、また季節比べで春と秋どちらがいいかという問いにもなっているという。それは『源氏物語』から培われてきて後鳥羽上皇の春恋の歌をつなぐ位置

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シン・短歌レッス109

シン・短歌レッス109

王朝百首

今日から塚本邦雄『王朝百首』をやろうかなと。塚本邦雄の仮想敵藤原定家の『百人一首』はそれほどいい句ばかりでないと言うのだった。それは自分には判断出来ないが、塚本邦雄が言うことはけっこう支持されているのだ。良い悪いもある程度自分の主観になるから、その俳句観が分かるというもの。塚本邦雄も言っているのだが和歌の世界には積み重ねられてきた伝統があり、それをまず知っておく必要があるのではないかと

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