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シン・短歌レッス126

 王朝百首


咲く花に心をとめてかりがねの帰りわづらふ曙の声           惟明親王

花は桜だとすると雁は季重なりなのだが、和歌は関係ないのは、むしろその対比によって歌の本意を示しているからだろうか?帰雁しない春の雁。そして塚本の詩では夕桜と見ている。和歌が恋の歌ならば夕闇から曙まで待っていても音沙汰がなかったということか?そして曙に恨みの文を渡してねぐらに帰るのか?

西行

辻邦生『西行花伝』から。

「十二の帖」
西行の歌の師匠藤原為忠の四兄弟は西行と親友なのだが、彼らも西行の考えに惹かれて出家している。その中で寂然の語り。

藤原頼長は兄忠通と対立し、政治が不安定になる。そんな時期に陸奥から戻ってきた西行は崇徳院と鳥羽院の争いを知ることになった。それは摂関政治であるがゆえに藤原家の兄弟争いが天皇家の争いを生んでいるのだ。藤原忠通の天下となって、歌の力で政治改革をしようとする西行たちであるが、『詞花集』を崇徳帝から勅命を受けた編者である藤原顕輔は藤原為忠と対立して、兄弟や父の歌を入れなかったことから不満に思うのであった。和歌の世界にも政治的動きがあるのだ。

そこで西行に判者となってもらい、『藤原為忠集』という歌(家)集を作ることが出来た。ますます迷走する崇徳院に西行も心を配るのだが、そんな折崇徳院は目の病になり(『源氏物語』みたいだ)、息子の重仁親王を次の天皇に望んだが叶わなかった。雅仁親王が後白河天皇となって、藤原忠通の摂関政治が続くのであった。そして崇徳院潰しがますます激しくなっていく。

「十三の帖」

寂然の兄である寂念の語り。鳥羽院と新院(崇徳院)との争いはますます激しくなって、ついに鳥羽院が崩御すると新院への風当たりが強くなる。新院は近衛天皇の崩御で自分の息子が天皇になることを望んだが、後白河天皇になり信西の策謀でますます立場が悪くなり、時代も貴族社会から源平の武士争いもあり、天皇側には平家(清盛)が付き、新院には源氏に警護されることから立場を悪くしていく。

西行は歌で世界を変えていこうと思うが、新院の拠り所になる歌の世界を作ることが出来ずに後悔するが、それでも歌しかないと思うのだった。

NHK短歌

スペシャル番組だった。連歌という短歌形式で歌を繋げていく遊び(ゲーム)みたいな。それから俳諧に繋がって、発句は俳句になるわけだが、短歌の連歌は今ではあまりやってないようだ。

参考記事:短歌・俳句の読解

「短歌形式と天皇制」

佐佐木幸綱編『短歌と日本人Ⅱ』から古橋信孝「短歌形式と日本人」。

桑原武夫「第二芸術論」は俳句よりも短歌世界では、だいぶ影響があったようで、古来からある「短歌形式(七五調)」は奴隷の旋律とか言われてその反動として、前衛短歌運動や批評でも内野光子『短歌と天皇制』など短歌イデオローグの問題として書かれていた。

だがその「天皇制」も一般大衆にとって「天皇制」とは何かを追求したものではなく、ただ古い思想であることだけで、新しい(アメリカの)民主主義で一色されてしまうことに危惧感があるという。それは、戦時に翼賛体制になったことと変わらないことなのではないか?吉本隆明の大衆批判とかそういうことなのだが、例えば湾岸戦争が起きると反イスラムと戦争反対ばかりの歌になることの戒めとして、それはロシアのウクライナ侵攻でもウクライナを詠む歌人は多いがガザのときはどうだったのか?またそれが我々の日常に取ってただ情報として消費されるだけのものではないのかとか、いろいろな問題を孕んでいるわけだが、ここでは大雑把すぎる論理でよくわからなかった。

ただ「天皇制」の聖なる歌と共にもう一方では俗の歌もあったということなのだと思う。短歌を詠むことはどうしても古典主義に立つことであるという論理でまとめられていいのかとも思う。

現代短歌史

篠弘『現代短歌史Ⅱ前衛短歌の時代』から「現代俳句との邂逅」。俳句では見向きもされなくなった新興俳句について、塚本邦雄が短歌にはその時代がなかったと羨望を伝え現代短歌の前衛短歌運動として展開される。もうひとり寺山修司が現代俳句との接点を示し、寺山の「チェーホフ祭」が、中村草田男や西東三鬼からの模倣(本歌取り)であったことが、俳句界での寺山修司の無視と短歌界への影響を考えると興味深い。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司

上の句はさんざん富沢赤黄男の俳句「一本のマッチをすれば湖は霧」のパクリと批判されたのだが、寺山は短歌に俳句を「本歌取り」にして転用して詠んでいく方法はむしろ方法論的に自覚的に行っているのである。それはすでにある和歌の「本歌取り」という手法を踏まえているのだ。和歌で許されることがどうして短歌で許されないのだ。そのことに意識的であった塚本邦雄も近代詩(象徴詩)と和歌の融合を図っていると思える。

例えば女性俳句などを見ていくと、感情を織り込んだ俳句がけっこう存在するのだが、その第一人者と言えば杉田久女なのではと思うのである。彼女は虚子を尊敬しながらもそれが感情的に抑えられなくて「ホトトギス」を破門させられたような感じを受ける。そして虚子が新たに打ち出した女流俳人としての4Tは、感情(恋愛)よりも日常(台所)を詠むように仕向けたと思われる。主婦俳句の登場だが、そこに自立していく女は必要なかった。三橋鷹女は4Tだけども「ホトトギス」系ではないのである。虚子が求めたのは同じ4Tでも中村汀女であったと思うのだ。

短歌から俳句へ移行していく女性俳人は多い。その逆はあるのだろうか?寺山修司がその逆だったわけだが、彼は俳句から短歌、さらに演劇、TV、映画と表現の場を拡げていった。そこには表現論としての俳句から短歌への方法があったのだ。

まず連歌での575の発句が俳句として成り立っていく過程があった。短歌は長歌に対しての短歌であり、むしろそれは連歌として和する歌から独立していく自己表現であった。そこで創作の視点として第三者の人物を想像する。寺山修司の「ぼく(我)の誕生」である。それは自己を人称に近づけていく浪漫主義的な歌がある。寺山修司の青春短歌はそういうフィクションの世界で、例えば啄木的な世界を模倣していく。さらに実験として俳句の構成を利用する。それは一つの動詞と名詞の組み合わせで出来た世界ということだ。それが自分でできればいいのだが、寺山修司は俳句を本歌取りとして模倣していく。そこに俳句的視覚としての世界が拡がる。映画的映像詩のイメージだ。それが発句の575の部分であって、そこに連句としての七七を和する自己をもってくるとかすれば、短歌が出来上がる。それは俳句の引用はモンタージュとして季語を用いてもいいし、俳句の本歌取りでもいい。まあ、季語を用いるにしても歳時記を見て模倣するように本歌取りをするわけだが。そこに言語というのは他者の言葉であるという了解があるのだ。

齋藤史

『記憶の茂み: 齋藤史歌集 和英対訳』から

生まれ來てあまりきびしき世と思ふな母が手に持つ花花を見よ

「花花」は『西行花伝』にあるような短歌(和歌)的世界であろうか?母から子に託される花花という祝福された言葉なのだと思う。

あかつきのどよみに答える嘯きし天のけものら須臾にして消ゆ

そう思っても怨念じみた獣の声が聴こえていたりするのだ。そういう二面性を持っている齋藤史の短歌世界だった。この連なりは2.26事件で処刑された幼馴染の栗原中尉への晩歌となっていく。

額の真中に弾丸をうけたるおもかげの立居に憑きて夏のおどろや
ひそやかに訣別(わかれ)の言の伝わりし頃はうつつの人ならざりし
. いのち断たるるおのれは言はずことづては虹よりも彩(あや)にやさしかりにき

そして

北蝦夷の古きアイヌのたたかひの矢の根など愛する少年なりき

安藤と最後にあった時に史は弾丸を貰ったという。矢じりが弾丸になったのだ。

白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り

その安藤中尉を詠んだ歌だと思われるが、史の代表作になっている。ここは前回の復習になったな。齋藤史の姿が謀反で処刑された大津皇子を詠んだ姉の姿(大伯皇女)と重なっていく。

うつそみの人にあるわれや明日よりは 二上山を弟背(いろせ)とわが見む大伯皇女  

『万葉集』

【特集 能登、北陸の歌人たちと作る短歌研究】

『短歌研究2024年3月号』から【特集 能登、北陸の歌人たちと作る短歌研究】。

なんかあまりピンと来なかったのは当事者ではないからだろうか。能登と言われるとそうだ、松本清張を読んで一人旅をしたことを思い出すぐらいか。輪島の駅で降りてバスに乗り遅れてしまって、一日に二本ぐらいしかバスがなかったこと。それでここには居られないと京都ジャズ喫茶巡りに変更したのだった。

松本清張の一首が印象深いのはそんなところか?『ゼロの焦点』だよな。


雲たれてひとりたけれる荒波を恋しと思えり能登の初旅  松本清張

そうだ、雪が降り出して泣きたくなるほどの一人旅だったけど、よく戻ってきたなと思う。

塚本邦雄も恋の歌。短歌は恋の歌だと知ったのは最近のこと。

中空に恋の路ありいまだ見ぬおもかげによせ鈴はさや振る 塚本邦雄

恋路海岸という場所をロマンチックに幻想しながら歌った歌だと。

沢口芙美「能登に眠る、釈迢空と折口春洋について」

釈迢空が折口春洋と出会ったのが能登で出会ったとか。釈迢空の歌は春洋を暗示しているようで艶めかしい。

内藤 明「『万葉集』の能登、北陸の歌」

『万葉集』の大友家持が能登の国守として和歌を残していた。折口信夫が能登を旅したのも『万葉集』の家持を調べるためだったとか。


映画短歌

『オッペンハイマー』

本歌。今日も齋藤史の短歌。

白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り 齋藤史

灰色狐マンハッタンから出でて英雄は赤狩り狐狩り 宿仮

英雄はにしてしまうとやられた方ではなくやった方になってしまうな。

灰色狐マンハッタンから出でてわなわな(罠々)と赤狩り狐狩り  宿仮

これでいいか?


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