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シン・短歌レッス131
王朝百首
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後京極摂政藤原良経は『新古今集』の中心的な歌人。春歌の最初と最後を採用され(もっとも選者だった)、『新古今集』の序を書いているという。掲載歌も西行、慈円(叔父さん)に次いでベスト3。九条家は藤原定家と対立した歌所だった。後鳥羽院にも愛され塚本邦雄も敬愛する歌人。
志賀(大津)は古都としての花の名所だったらしい。かつての栄光を懐かしむ歌か?良経自身も三十二歳の若さで暗殺されたという夭折の歌人。自身の短命と重なるような春歌だという。「あすよりは」の初句切れ(なのか?)の感情が出た歌か?『新古今集』らしいと言えばらしい歌なのかもしれない。
西行「武門論」
吉本隆明『西行論』から「武門論」。
西行が北面武士として仕えていたのは鳥羽院だった。そのときの同期として平清盛がいるのだが、西行が鳥羽院側に付かなかったのは母方の源の血筋という、それは『源氏物語論』での考察「母系論」とも繋がってくる。つまり、西行が所属していた共同体が母系社会の受領性であり、それは清盛の中央集権的な父性社会とは違っていたということである。
そのことが西行は待賢門院璋子との関わりの中で鳥羽院ではなく、その息子である崇徳院に付くことになったのである。その中で西行と待賢門院の関係を恋愛関係とみなす後世の物語に絡め取られるのだが、西行の中にあったのは武士としての義であり愛ではなかった。共同体の論理は吉本隆明の根本にあるものであるから、そこで武士の権力構造が摂関政治にあるわけでそうした構造があるにも関わらず西行が朝廷の敵側として崇徳院に仕えなければならなかったのも武門としての「義」であったのである。
かかるよにかげもかはらずすむ月を みる我みさへうらめしかな
西行が崇徳院を仁和寺(保元の乱で息を潜めていた院)に見舞ったときの歌は、かげであるにもかかわらず澄む月に照らされた自身の心を崇徳院と重ねているのだ。西行の武門としての行動があったのはこの数日間だという。西行が崇徳院側に付いたのは極めて自然なことだった。その感情が書かれたのが『保元物語』だという。
鳥羽院の死によって崇徳院が反乱を起こす行為(側近にたぶらかされたという説)は浅ましいとするが、西行がそれでも崇徳院側に付かねばならない義はあるのだった。
世の中をそむくたよりやなからまし うき折ふしに君あはずして
まぼろしの夢をうつつにみる人は めもあはせでや世をあかすらん
そして西行が晩年に藤原定家に判者を依頼した『宮川歌合』での問題作がそんな西行の武士の義を詠んだものだとする。
左持
道かはるみゆき悲しき今宵かな かぎりのたびとみるにつけても
右
松山の浪に流れてこし舟の やがて空しくなりにけるかな
左は鳥羽院が死去したときに詠んだ歌だとされる。右は崇徳院を尋ねたときの歌で、西行の心持ちをまだ青二才の藤原定家に判じよというのも酷な話ではある。
齋藤史
『記憶の茂み: 齋藤史歌集 和英対訳』から「うたのゆくへ」より。
我の中に或目立つなる光焔の残酷にすぎて我を追ひまくる
「うたのゆくへ」は2.26事件の回想が多い歌集だった。「光焔の残酷にすぎて」に感情が出ているような。
少年のまだ肉のらぬ腕すがしく青りんごを高きよりもぎぬ
史と親しかった栗原中尉との青春時代の思い出の歌とも取れる。それとも信州で偶然見た少年に栗原中尉を重ねたのか?青りんごが青春の象徴のような歌だ。
書けばみな類型となることばなり我のもひのも見よいぎたなく
追想の念というはそういうものなのか?「いぎたなく」という感情。
壁黄なるりんご倉庫に三年棲み寂(しず)かとなりし事どももあり
信州での苦難の時代の歌。
夜をひと夜狂ふ吹雪がわれの中に荒れたる白き堆積を置く
このへんの歌は凄まじい。
なほ花咲くわかわかしき薔薇の群ありて死臭に交りいよいよ重し
我はもはや逃げずと決めてぼろぼろの足どりもすこしおちつくらしき
わが歌のこき落(おと)される雑誌伏せ洗濯に立つわが日日のこと
斉藤史もそういう時代があった。
月光白き毒液を空よりそそぎてより水は狂気となりて走りき
『うたのゆくへ』は斉藤史の狂気の内面が出まくっているな。
わが残す歌の行方も知らねども思ひ重ねてみ冬うつろふ
三十一音への亡命ー危機のヴィジョンとしての短歌の言葉ー
『短歌と日本人〈2〉日本的感性と短歌』永原孝道「三十一音への亡命ー危機のヴィジョンとしての短歌の言葉ー」から。「シン・短歌レッス129」で一度やったのだが、書き急いでしまったので、もう一度書き直し。けっこうこの指摘は重要であると思ったのだ。まず著者の永原孝道から。
俳句がHIKUとして世界的に認知されているのに短歌は認知されていない。それは俳句が十七文字の最短詩であるのに対して短歌は三十一文字で最短詩とは言えないからだった。考えてみれば俳句は短歌から七七を取っただけなのに短詩ということだけで驚きを持って迎えられているのだ。そこには季語とか(厳密な)文字数なんかどうでもよくて、短詩であることの利便性、つまり誰でも何処でも気楽に作れるということではないだろうか?だから、ロシアのウクライナ侵攻で俳句として注目を浴びたのもそんなところだろうか?
HIKUは俳句から独立し、むしろゲームとして短歌より好まれたのであり、短歌がTANKAとして進化出来なかったのは小野十三郎の言う「短歌的叙情」にあったのかもしれない。明治以来、日本での短歌と詩の関係を振り返るならばベクトルは正反対だという。
詩は日本語からの亡命である。
短歌は日本語への亡命である。
この定義から思い出すのは塚本邦雄の短歌だった。
日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギンの飼育係も 塚本邦雄
しかし塚本邦雄の短歌は日本語への亡命だった。そんな作家に亡命先のNYでマイナーなリトアニア語で詩を描き続けた男としてジョナス・メカスがいるという。
ヨーロッパ、
おお、
おまえは
相も変わらず
過去に
よって
輝く、
まるで
子供のように。
冒頭の「ヨーロッパ」を「日本」に置き換えると塚本邦雄か?
どこにも
与せず、
私は
ひとり
燃えている、
いつも
落ち
こぼれて
落ち
こぼれて。
まるで短歌のような詩だな。市村弘正『敗北の二十世紀』の「残された言葉」に出てきた詩であるという。リトルニアの国民詩人はむしろ詩よりもカメラ(映像)で有名だった。そのときに彼が映したカメラアイは現実の断片を撮り続けていた。小さな黒い箱で。それは正岡子規が「写生」という病者の視線から切り取った短歌ではなかったのか?
瓶(かめ)にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり 正岡子規
病者のズームアップで捉えた「藤の花ぶさ」。「写生」とは危機のヴィジョンに遭遇した、「短歌滅亡論」の正岡子規が見出したものであった。そのヴィジョンは斎藤茂吉に受け継がれていく。
赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり 斎藤茂吉
斎藤茂吉の写生を象徴だと見出したのが塚本邦雄だった。
それは正岡子規が『歌よみに与える書』で主張した『古今集』批判は『万葉集』讃歌であるだけでなく、実朝の発見だった。
大海のいそもとどろによする波われてくだけて裂けて散るかも 源実朝
当時の最新のモードは、サンボリズム(象徴)をみるもの「見者」としての詩人だった。それは小林秀雄がランボーに見出した「見者」としての資質を実朝に重ね合わせていたからだ。一つのヴィジョンを詠うこと。正岡子規の写生はまさにそのようなものとして存在した。
それは俊成が歌の危機としてなお歌をつらのこうとする姿勢であった。
天の戸をおし明方の冬の月氷はおのが光なりけり 藤原俊成
そして、それは後鳥羽院の歌と共鳴していくのだった。
われこそは新じま守よおきの海のあらき浪かぜ心して吹け 後鳥羽院
NHK短歌
第4週の年間のテーマは「あなたへの手紙 かなたへの手紙」。選者は枡野浩一さん。ゲストはお笑いコンビ「かが屋」の加賀翔さん。司会はミュージシャンの尾崎世界観さん。
枡野浩一はドラえもん短歌のイメージが強い。このへんの最近の短歌の流れはついて行けない。穂村弘までだった。内輪性が強いというか、ゲストもまたお笑いかよみたいな(朝からそのテンションはキツイというような)。手紙ということは、モノローグではなく対話型短歌ということなのだろう。苦手というか対話する人がいない。神とか?
最初に紹介された歌が良かった。というか今練習している初句切れ短歌。
隣、いい?
まだ青かった
僕たちは
「はじめまし」も
てれくさかった
<題・テーマ>大森静佳さん「鏡」(テーマ)、枡野浩一さん「いってらっしゃい/いってきます」(テーマ)
~5月6日(月) 午後1時 締め切り~
<題・テーマ>川野里子さん「屋上」、俵万智さん「旅」(テーマ)
~5月20日(月) 午後1時 締め切り~
作品季評
『短歌研究2024年4月号』の「作品季評(第130回・前半)=穂村弘(コーディネーター)/高良真実/青松輝」。
佐佐木定綱「生物歌」
佐佐木一族はよくわからんな。有名なのは父親(佐佐木幸綱)か?その次男ということだけど、よく知らなかった。名前だけ見ると父と混同してしまう。
リグオダナタ・ハースティ這う店内に豚骨拉麺啜る我らは
「リグオダナタ・ハースティ」は古代の節足動物。こういうのは面白いのか?検索すればすぐに出てくるが、古生物も古典も変わらないということか?面倒な短歌で作者に興味あれば面白いのかもしれない。調べてもそれほど驚きはないという意見に同意。這うがゴキブリ系の生物を想像してしまう。
街中の小銭抱えて現れる少年に売る古生物図鑑
連作短歌として「古生物図鑑」を出して強化しているという。メタ手法的というがそうなのか?
空中に印刷されて永遠にけろけろけっぴ飛翔している
景はプロジェクション・マッピングみたいなんだけど「けろけろけっぴ」が昭和のど根性ガエルのようだという。これが古代生物だと当たり前すぎるのか?
吐瀉物のただれる道に翅のある人間が叫んでいる夜想曲
リアルな光景がディストピア小説のようなファンタジー仕立てだという。
もはや何も買えなくなりて煙草屋の角で歌よりことばを抜き出す
自己言及的な歌だという。むしろ歌の言葉は貧弱なイメージなのかな。
大いなる鯨沈みてゆくごとく歓声の波押し寄せる街
この鯨の歌はいいと思ったが、単なるパフォマンスに騒いでいる群衆の虚しさみたいな。
川島結圭子「夏夜」
初めての歌人。佐々木定綱と同世代だった。
蚊はわたしの血を吸い蜘蛛は蚊を食べて終わりワンルームの植物連鎖
こっちは現実の生物だが、植物連鎖というわりには頼りない希薄性のワンルームということか?
蚊を払う必要のない身体を思う機械となった身体を
SF的だが面倒臭いということかな。流石に蚊は追い払うだろうと思うが。
例えば妹の買ったゲームの全クリア未だに責められる者、長女は
これはちょっと面白い。
怒っていることだけが分かる怒りだけがコンクリート壁を突き抜けてくる
昔はそういうことがあったが最近は隣にも無関心になってしまった。まだコミュニケーションがある生活だと思ってしまう。
天皇は人間 応神天皇は夏の神輿の上に揺られる
突然天皇の歌が最後を飾る。「夏夜」というお祭りというテーマだからなのか?一首目の口語短歌がいいという。見たままを歌にしているので不敬には当たらないとか。不敬とか考えるところが怖い。
君に家賃を告げて「安っ」と返された猛暑染み込むワンルーム
「告げる」は口語ではなく文語であり、最近は口語文語交じり短歌が流行りだという。いや、俵万智からそういう時代なのだ。それはXとかLINEとかで使うような砕けた文章だという。体言止めや終止形以外の言葉を使うと文語っぽさが出るとか。完全口語とか最近の短歌はよくわからん。
睦月都歌集『Dance with the invisibilres』
灯油売りの車のこゑは薄れゆく花の芽しづむ夕暮れ時を
文語で古風な感じか今どき灯油売りとかいるのか。井上陽水の「氷の世界」だな。陽水の歌のほうが斬新だ!
春の二階のダンスホールに集ひきて風をもてあますてすレズビアンたち
ジェンダーの歌集なのか?そういう視線で読んだほうがいいのだろうか?
女の子を好きになつたのはいつ、と 水中でするお喋りの声
スポーツセンターみたいな所なのか?これは口語短歌なのか?句読点と空白は印象的(見た目がいい)。
秋の夜を喚きまはれる猫いれて猫の重量が部屋に加はる
選評で猫が登場する歌が多いとか。この歌は普通だな。
まだ青いどんぐりが落ちてゐる ふざけてゐて落下した子供
象徴か。自分自身が落ちていったイメージなのか?
家を売る 家のかはりに少しだけお金をもらふ約束をする
どういう人なんだ。ブルジョアなのか?親の遺産なのか?これだけではよくわからない歌だな。別れ話のような気もする。
壊れてしまった目覚まし時計そのままにn+1回目の朝が来る
ネガティブな気持ちだから別れてしまった朝なのか?
手を出せば手をに乗つてきて雨のなか ああわたしたちに帰る巣がないのだ
すごい字余りだな。まあ普通に散文と読めばいいのかも。
野良猫を抱き上げるときはわれは崖 われは崖 風に額さらして
リフレイン句跨り。このへんはテクニックか?
夏の白い光がさしてわたしいま大きな保健室にゐるのかもしれず
その前に「われ」でここでは「わたし」という甘さ。これは高校時代かもしれない。
その日からいまも降りつづく白い雨 あなたが姉妹都市になる夢
白のイメージか?「姉妹都市」というのも甘い感じだが。
雨音のまどろみのなかを抱きよせて猫とは毎朝届く花束
小林麻美のショパンみたいな短歌だな。イメージがありきたり。
今だとレトロな短歌なのかな。そこにレズビアンの現代性みたいな。レズビアンを引くとただレトロなだけだな。そのレトロさもイメージとしてありきたりというか80年代バブルのCMみたいで。だから今受けるのかな。
映画短歌
『すべて、至るところにある』
今日は塚本邦雄に挑戦。
日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギンの飼育係も 塚本邦雄
日本から
落ちこぼれまた
落ちこぼれ
惚れた女(ひと)とは
ひとときの永遠(とわ)
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