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シン・短歌レッスン

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#現代短歌史

外部からの批評に短歌はどう答えたか?

外部からの批評に短歌はどう答えたか?

『現代短歌史〈2〉―前衛短歌の時代』篠弘

戦後短歌は外部からの批評に晒され、戦後世代が育っていく。とくに若い世代が学生短歌として活躍してくるのだが、その中に岡井隆や塚本邦雄が登場してくる。さらにいままでの結社ではなく、ジャーナリズムから『短歌研究』の編集者中井英夫が中条ふみ子や寺山修司を発掘する。

「乳房喪失」は短歌研究新人賞の第一回受賞で中条ふみ子の登場でそれまでの女流歌人とは違った女性歌人

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シン・短歌レッス127

シン・短歌レッス127

 珠玉百歌仙

塚本邦雄『王朝百首』は予約されていたので、とりあえず返却して代わりになる本を探したところ『珠玉百歌仙』はその続編のようなアンソロジーだと本人が書いている。

この百歌仙は和歌の韻文に重きを置いたとある。塚本邦雄は藤原定家『百人一首』の批判から『王朝百首』を編纂し、さらにそれ以後もそうしたアンソロジーが並んでいく。

それは定家『百人一首』の形を借りた本歌取りではないかと思うのである

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シン・短歌レッス126

シン・短歌レッス126

 王朝百首

花は桜だとすると雁は季重なりなのだが、和歌は関係ないのは、むしろその対比によって歌の本意を示しているからだろうか?帰雁しない春の雁。そして塚本の詩では夕桜と見ている。和歌が恋の歌ならば夕闇から曙まで待っていても音沙汰がなかったということか?そして曙に恨みの文を渡してねぐらに帰るのか?

西行

辻邦生『西行花伝』から。

「十二の帖」
西行の歌の師匠藤原為忠の四兄弟は西行と親友なのだ

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シン・短歌レッス125

シン・短歌レッス125

 王朝百首

「やなぎさくら」は柳とさくらなのか?枝垂れ桜を「やなぎさくら」と称しているのか、よくわからないが、塚本邦雄は詩でやなぎとさくらをそれぞれ別の色に喩えているから柳と桜なのだろう。素性法師という風狂な人だから桜より柳が最初なのかとも思う。どちらも街路樹としてよりもやはり庭木なんだろうな。広大な宮廷の庭がにしきなりけるというような。

齋藤史

梯久美子『この父ありて』から。

史が198

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シン・短歌レッス122

シン・短歌レッス122

王朝百首

紀貫之の歌は情緒よりも理知的な部分があるという。それがあえて「水無き空に」とことわる部分であろうか?「なごり」は「名残」より「余波(なごり)」であるという。「天のさざ波」が「あった花」ではなく「失われた花」の幻想という部分は塚本邦雄らしい解釈か?つまり華やか日々を回想しているという情況なのだ。それが理知なる言葉で歌を構築していく紀貫之の言葉。

西行

辻邦生『西行花伝』
「五の帖」、

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シン・短歌レッス121

シン・短歌レッス121

王朝百首

西行の影響にある武人歌人。ただ七十過ぎまで歌壇に居続け、敗走したというのは武人としては情けないのではあるまいか?歌は単純明快、質素剛健という感じか?

西行

辻邦生『西行花伝』
「三の帖」、藤原秋実が西行の親友の僧西住から母を無くしてから鳥羽院の北面の武士になるまでの経緯を語る。

西行は西住と知り合い母の喪失の悲しみを自分本位のものとして反省する。そして流鏑馬の極意を教えた源重実を

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シン・短歌レッス119

シン・短歌レッス119

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。坂上是則。紀貫之が催す歌会。庭園の小川に盃を浮かべてそれが回ってくる間に一首詠むという歌会で漢詩の題詠は「月入花灘暗」。落花を浮かべて急流を下る、三日月も山の影に隠れようとしているの意。望月だったらもっとはっきり見えたのにの意味か?

NHK短歌

これ初心者コースだったとは。かなり内容が濃かった。情景を変えてしまう言葉を一つ入れて短歌をつくることで別世界に連

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シン・短歌レッス118

シン・短歌レッス118

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。小侍従。

春は朧月で詠めるんだ。春は朧で秋は霞。違った春も霞だった。秋は霧だという。こういうのはどっちでもいいのにと思ってしまう。朧で春の意味があるのか?

小侍従は平安後期から鎌倉時代の花形女性歌人だそうだ。名月も随分読んでいるが「待宵の小侍従」と呼ばれたのは以下の和歌から。

掲載歌は最晩年の作であり保元・平治の乱の乱に青春を過ごした無常観が出ているとい

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シン・短歌レッス117

シン・短歌レッス117

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。良暹法師。

「えこそ契らね」は女との交わりを想像したが、桜に対して擬人的に言っているのだった。詞書に「雲林院(桜の名所)に行ったがあらかた桜が散っていて詠んだとある」。塚本はこれも恋歌であり老境な艶なる歌とする。西行でやったがこの頃の歌人坊主はモテたようだ。

西行

目崎徳衛『西行』から「数奇の種々相」。西行が出家に憧れたのは数奇者の僧侶の歌会が開かれるの

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シン・短歌レッス116

シン・短歌レッス116

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。中務。

初めて聞く名前だが伊勢の娘だというから歌人としてはそうとうな人なのであろう。三十六歌仙の一人だった。その三十六歌仙を全部言えるわけがないが何か権威みたいなものを感じる。藤原公任選定だった。『光る君へ』で出てきたな。このぐらいの知識なのである。

ただ『百人一首』には載ってないでここで塚本が選定したのは、こだわりがあるのかなと。

ここに読まれているの

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シン・短歌レッス114

シン・短歌レッス114

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。

菅原孝標女なんか面倒くさい名前だが、名前を知らないから女(むすめ)と呼んでいるだけだった。

『更級日記』の作者だった。『更級日記』は『源氏物語』オタクの日記ではなかったか。

この歌も『源氏物語』「朧月」をイメージしており、また季節比べで春と秋どちらがいいかという問いにもなっているという。それは『源氏物語』から培われてきて後鳥羽上皇の春恋の歌をつなぐ位置

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シン・短歌レッス113

シン・短歌レッス113

見戀(みるこひ)

塚本邦雄『戀』から「見戀(みるこひ)」。

良経は平安末期の九条兼実の次男で当時の権力の中心にいた若き歌人。

「見恋」は「人を三(見)島江の」でさり気なく掛詞だという。黄昏は「誰そ彼」。初句切れも柔らかな感じであり、たゆたふような「葦の迷ひ」で受ける。「ほのぼの人」は薄明の人影。水墨画のような心象風景だという。良経は『新古今集』の中でも式子内親王と共に和歌の頂点に立つ人だとい

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シン・短歌レッス111

シン・短歌レッス111

王朝百首

「若草の宮内卿」と言われた歌だそうで、雪斑の中に若草が萌え始めている様がなんとも美しいという。その作成年齢が15・6歳の頃で千五百番歌合で寂蓮の和歌に勝ちを得たということで話題騒然となった少女歌人なのだろうか?その素質は後鳥羽院にその才能を認められ俊成卿娘と切磋琢磨したという。わかりやすいと言えばわかりやすい歌なんだが。

NHK短歌

ぐっとくる瞬間 「日記」。選者岡野大嗣さん。ゲス

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シン・短歌レッス110

シン・短歌レッス110

王朝百首

この辺の良さがよくわからん。詰め込みすぎのような気もするんだが。春と花散るが重なっていたり。俳句じゃないからいいのか?上句は華麗で下句は陰があるからいいのかな。それほど天才の歌とも思えないのだが。「百人一首」にも藤原義孝が載っているがそっちは駄作だという。

直接的過ぎるのか。早逝の歌人だそうだが。

NHK短歌

吉川宏志。会話を入れる。「ごめん」

会話がないな。心の会話ということ

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