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エリザベートのはなし。

ミュージカルエリザベートは名曲揃いなのもあって有名な作品なので、ご存知の方も多いと思う。

自分はミュージカルや舞台に詳しくないけれど、これだけは好きでディスクを所有している。
宝塚の宙組公演で、花總まりさんがエリザベートを、姿月あさとさんがトート役を演じた時のもの。

詳しくはないけれど、昔から宝塚の男役が好きだった。

初見では大袈裟に見えてしまったりもすると思う。舞台は遠くから見てもわかるように厚化粧で大きな仕草にしないと伝わらないからだとか。

けど慣れてしまうと立ち居振る舞いが本当に流麗で美しく、仕草や目線の使い方が素晴らしい。声の出し方もかっこいい。

 

宝塚を卒業して、今もエリザベートを演じ続けている花總さんは本当に素晴らしくて、何度観ても泣いてしまう。

トート役は特に、皆さんの心に推しトートがいらっしゃる事と思うけれど、自分は姿月さんで初めてエリザベートを観て、それきり他のトートは観たことがない。

なので何かと比べてこの記事を書いているわけではないので、他の人よりもというニュアンスではない事をご了承ください。


あさとさんのトートは、女性にしては声が太くて、鋭いタイプの声質ではない。
底から闇を広げるような迫力があったし、包み込むような歌い方が閣下らしくて、王子のようではないところがとても好きだ。

悪魔ではなく黄泉の帝王の役なので、個人的にはとてもはまり役なのではないかと思っている。

男性にも女性にも見えないというのがまた、人間ではない存在のように見える。


エリザベートはウィーン発のミュージカルが本家で、コクトーの戯曲『双頭の鷲』とは違うみたい。鷲の方は昔にエリザベート役を美輪明宏が演じたらしい。 

コクトーといえば『恐るべき子供たち』、『恐るべき子供たち』といえば萩尾望都、萩尾望都といえばポーの一族、ポーの一族といえば宝塚ですね。 

エリザベートとルートヴィヒ2世は親しかったり、なんだか自分の興味のある色んなものが後々になって絡んでいると解るあの現象。ルートヴィヒ2世はまた記事を改めて書きたいな。

ハプスブルク家というとルドルフ2世やそれを書いた渋澤龍彦も連想するけれど、エリザベートとは関係ないか。
大航海時代に興味を持って塩野七生のレパントの海戦も読んだな…


そんな風にして時代を少し覚えたけれども、今はもう殆ど覚えてません。



エリザベートは死を擬人化した物語で、それを黄泉の帝王とエリザベートの恋愛模様にした形のもの。

恋愛ものというよりは、希死念慮に纏い憑かれたエリザベートの生き様という方が伝わるかなと思う。

長い銀髪と、黒や紫を基調にし、金銀の装飾を施したトートの衣装は闇のように艶やか。

忍び寄る死の誘いは、絶望的に美しく絶対的な安息を約束された甘さを孕んでいる。

エリザベートが死にたくなるたび、唆すように影から顔を出すトートが、刃のように美しい。

エリザベートが、夫フランツは自分の味方ではないのだと悟った時、死へ誘うように衝立の向こうの暗がりで背から出てきたトートの姿が妖艶だった。

まあ「出てって!」って言われて帰る時は扉から帰ったけど🚪


その時に泣きながら歌った花總さんの『私だけに』は、少女の輝きと希望で希死念慮を振り払う強さがあった。

たとえ王家に嫁いだ身でも 生命だけは預けはしない
私が生命委ねる それは私だけに

雲の上のようなスモークや窓、白いベッドなど、エリザベートの舞台装置は影絵のように美しい。


死にかけた所を黄泉の帝王に救われたエリザベートが、皇太子フランツと出会い結婚し

宮廷の義務や規則に雁字搦めになり、義母の言いなりで頼りにならないフランツに絶望しながら

それでも毅然と自分の意志や誇りを失わないエリザベートの姿を描いた一幕の終わり。


王妃として大人になり、有名な肖像画の姿になった白いドレスのエリザベートが歌う『私だけに』のリプライズは、少女の名残が消え凛とした美しい声と姿勢をしている。

この時の花總さんが本当に印象に残っていて、ダイアモンドのような人だなと思ったのは後にも先にもこの時だけだった。
真っ白なドレスやアクセサリーが照明を反射して輝いて、花總さんの眼差しが美しくて、息を飲んだ。

この場面ではトートと、エリザベートを尊重する姿勢を見せたフランツも一緒に歌っていて、トートは『お前に命ゆるした為に
生きる意味を見つけてしまった』と歌う。


このシーンが一番好き。


後半もエリザベートが病んでいく姿が迫真の演技で、赤みのあったメイクも歳を重ねて色味を無くしていく。
どの場面も花總さんの演技はとても説得力があった。


トートとエリザベートの息子ルドルフが歌う『闇が広がる』のシーンも好きで、ルドルフもまた愛に恵まれず育ち、死に向かう運命に翻弄される姿が描かれている。

劇としてはトートに唆されるような形で皇帝になる決意をし、エリザベートが生きている間に結局は謎の死を遂げている。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ルドルフ_(オーストリア皇太子)



エリザベートが失うまいとする強さや自由な思想の在り方と裏腹に、フランツやルドルフはエリザベートの安らぎある愛を感じられずに政治に食い尽くされていった。

トートはエリザベートが現実から逃げようとして死を選ぶ事を良しとせず、エリザベートが生き切って死や人生を受け入れるまで彼女を殺さない(劇としては、トート閣下である死を愛するまでということ)

自由に生きようとする強さと美しさと、それに伴う誰かの犠牲と、生きる事と隣り合わせにある死の誘惑の描き方が、自分の中に馴染みやすくて、ずっと頭の中にある。

これが衝撃だったのではなくて、自分の見えてる世界と一致しているという感覚だった。

トート閣下のお迎え待ちで随分生きすぎてしまったんだけれど、まだかなぁ。



これまでサポートくださった方、本当にありがとうございました!