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私がnoteを始めた理由

思い返せば、私は幼い頃から本好き、空想好きの子供でした。
幼稚園で読んでもらった絵本をいたく気に入り、何度もしつこく母に読み聞かせをおねだりしたそうです。

小学生の頃は自分でなかなか本を買うことなどできなかったので、もっぱら学校の図書館から借りてくるか、友達から回ってくる漫画を読み耽る日々。自宅に自分ひとりの部屋があって、大きな本棚が置いてある子がうらやましかったなぁ。
「星の王子さま」はそういう子から借りて読んだ記憶があります。

休みの日には自転車でしか行けない少し離れた場所にある大きな書店まで出かけていって、朝から晩まで居座っていたことも。見たこともないような写真やきれいなイラストのついた本が並んでいたり、大人たちが真剣な面持ちで難しそうな本を選んでいたり。私にとってはすごく特別な場所でした。

大人になってから本屋でバイトすることにしたのも、そういった下地があったからこそでしょう。短期留学で訪れていたアメリカから帰国したあと、とりあえず何か仕事を見つけなくては!というときに近所の書店がバイトを募集しているのを見つけて、即座に駆け込んだのです。その後、繁華街の大きな書店でも雑誌やコミックを担当して、棚を作る面白さに魅了されて、できればずっと書店員を続けたかったのだけれど、諸々あって事務仕事へと移行しました。

 それでも長年本屋は私の憩いの場だったし、未だに続いている友人関係のほとんどは書店員時代に知り合った人々です。中学でも高校でも部活は運動部だったけど、同期で一番仲が良かったのは読書仲間。互いに本を貸し合ったり、感想を言い合ったり、一緒にアニメを見たりしたもんです。

 同好の士が集まると、やはりいろいろと影響を受けるもので、若かりし頃は同人誌即売会という世界にも足を突っ込みました。今と違って、まだまだ世間に向かって堂々と「わたしオタクなんで」などとは言えない時代。デジタルもなかったから本を作るのもやたらと面倒臭くて大変な作業。たいした稼ぎもないのにお金がかかる。
 それでも仲間たちとワイワイ言いながら想いを込めた自分だけの本を作って、イベントに参加して、たとえ一冊でも売れたときの喜びときたら!
 どんな本を作ったかとか、どれだけ売れたかより、とにかくあの時間すべてが青春だったなぁと、今、振り返ってみて思うのです。

 その頃からだいぶ月日は流れましたが、私自身の中身はさほど変わっていません。けれど、社会の中でさまざまな荒波に揉まれながら生き抜いていくうちに、いつの間にか身体は弱り、心もすり減ってしまうものなのですね。

病気と過重労働が原因で長年勤めた会社を退職したあと、しばらくお休みしてから見つけた仕事も事務でしたが、残念ながら昨年春に契約満了で職を辞しました。
 その少し前から、ずっと感じてはいたのです。
 大好きだったはずの本がちっとも読めない。新しいアニメやドラマもなかなか見ることができない。読みたいと思って買ったはずなのに、ただ机に本が積み上がっていくばかり。
忙しかったときは「時間がないから」が理由だと思っていました。でも契約のときは残業がほとんどなかったので特別忙しくもない。時間ならある。なのに、読めない。
 大好きなはずのものに手が伸びない。
 これに気づいたとき(というか認めざるを得なかったとき)なかなかにショックでした。私の心は死んでしまったのかな、と。
 もう無理だと思いました。

 幸いだったのは「しばらく何もしません。だらだらと好きなことだけやります」宣言をしても、家族も友人も「別にいいんじゃない」とさらっと受け流してくれたことです。身近な人に責められないって本当に楽。ありがたい。
 これまではアレもやらなきゃコレもやらなきゃソレもなんとかしなきゃって感じで頑張ってきたけど、全部できなくてもいいみたい。そっか……いいのか…………おかげで、だいぶ心が軽くなりました。

 それからおよそ一年。ほとんどリハビリをしているような感じでした。少しずつ身体を動かして、読んだことのない本を開いてみて、ネトフリやアマプラで知らない作品を流してみて、感想をつぶやいて、ふと心に浮かんだことを手帳にメモしてみて。
 だんだんと、少しずつ「私」が戻ってくる感覚。

 仕事を辞めた直後は、やりたいことなんて何も思い浮かびませんでした。確かに読書も映画見るのも好きだけど、今は特に見たいものとかないし、という感じで。無理やり手芸とかアクセ造りにも手を出してみたけど、ちっとも心が躍らない。そんな状態でした。
 でも最近、ようやく文字を綴りたくなってきたのです。本が読めるようになって、映像を見ることができて、インプットが進んだせいでしょうか。枯れてしまっていた泉にようやく水が戻ったことで、堰き止められていたものが再び流れ出したような。そんな感じがするのです。

 せっかくだから、そういう想いもすべて含めて、少しずつ記していこう。それが私がnoteを始めたきっかけです。
 読んでくださる人は少ないかもしれない。
 どれだけ共感していただけるか、書いたものを面白いと思っていただけるかどうかは分からない。
 それでもいいんです。
 私の泉はしばらく枯れていたけれど、消失してはいなかったよ。
 ちゃんと戻ってきたよ。
 今は、私が私でいられるよ。
 そのことを確かめるために、忘れないために、そして同じような想いをしているかもしれない誰かのために。

 この場所で、少しずつ言の葉を紡いでいこうと思うのです。

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