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記事一覧

不登校なりかけ三男と小旅行に行った話 発達グレーの子の気持ち切り替えテクニックも

スキ、フォローありがとうございます。 嬉しいです。 ある朝、珍しく 起こしてもなかなか起きられない 三男。 今日はちょっとイヤな予感がする。 着る服がない! 案の定、 お気に入りの長袖がないと 怒ってる。 それ昨日着たやつ。 今ぐわんぐわんと洗濯機で洗われてる。 つい最近まで半袖で行くと 言い張ってたが、 さすがに寒くなってきた。 三男坊だから、 おさがりいっぱいあるのに、 どの服も何かが違う。 ようやく、 シンプルなトレーナーで決着。 もう8時20分過ぎ。 遅

千都は残った

 大学の近くに昔からあって、ずっと学生を見守ってきたような飲食店が好きだ。自分の行った大学前にはそんな店が何軒もあった。  今住んでいる近くにも大学はあるけれど、そういう店が全然見当たらない。これでは大学生活もつまらないだろう。  先日イゴールさんと外出した時、車の中でそんな話をしたら、「近頃は学内にいろんな店があるのだよ。うちの娘のところもそうだったよ」と教えてくれた。そう云われてみれば、大学内のおしゃれなカフェをテレビで見た覚えがあるけれど、自分の求める店とは立ち位置が随

ある小さな決意

また夜の仕事を始めている。 ながら仕事で出来る仕事を探していた。 障害者の介護の仕事は自分に向いていた。 たぶん建設業の営業も向いていた。 定石の無い、その場の咄嗟の判断が必要な仕事が向いている。 エッと思い、背筋が凍るような思いも何度かしたが、何とか乗り越えて来てしまった。 そして今、副業を、どちらが本業か副業か分からない仕事を掛け持ちしながらの生き方をしている。 商業文は難しいが、現在物流に関係する企業のコラムを書かせてもらっている。 いろんな意味で世の中の流れをまとも

ファム・ファタール/トレーシー・ソーン Femme Fatale / Tracey Thorn

上京して最初に住んだアパートは、駅から歩いて20分、4畳半にキッチンがついてトイレは共同、風呂は当然無かった。 木造2階建てで、廊下の幅が1間あって広く、ピカピカに光っていた。 大家さんが毎日綺麗に雑巾がけをしてくれていた。 2階の角部屋だったが南西を向いていたので西日が差して夕方はすごく眩しかった。 渋谷から数駅の場所だったが、とにかく駅からアパートまで遠くて難儀した。 駅までの通り道に2つほど坂道を超えなければならない。 自転車でその坂を超えるのが苦痛だった。 雨の日はさ

情熱に関する断章

 自分はどこか冷めていて、突き抜けた情熱に乏しい。それが人生に制約をもたらしている気がする。大きくイメージを膨らますことはできるのに、その実現においては小さく小さく纏まろうとする。なにかタガが外れたような吹っ切れた衝動がないと、ひとつの仕事をやり切ることなどできないのに。  自分はかなりの格好つけである。時々自分のことが鼻持ちならずに我慢しかねることもあるほどに。我ながら、いったい何をこんなに格好つけているのかと疑問で仕方ないのだが、どうやら人は生きるのに大義がいるという信

お熱いうちがよろしいようで

朝晩の風は冷たく、温かいものが嬉しい季節になりました 夕飯は何にしよう あったかいのがいいな そんな時に出会った infocusさん のホカホカな記事 ほらほら、こちらを覗けば きっとおでんが食べたくなーる * 酒屋だったわたしの実家では、秋の終わり頃になると店の一角に業務用のおでん鍋が登場しました 実家は一階が店舗、店の半分は立ち飲み仕様になっていました こんにゃく、ちくわ、ごぼう天、厚揚げ、たまご、大根、牛すじ、がんも、じゃがいも、もち巾着… どれも大好きでした

【詩】ポラリス

11月も半ば、年の瀬を意識する。 とにかく年越しそばを買った。 蕎麦はふだんからよく茹でる。 なんならそばつゆも自作する。 編集業がうまく行き、年を越せるめどが立った。ほっとする。 僕は20代の頃から、北へ、北へ──という思いがやまず、旅に駆り立てられた。なぜ北への旅だったのか。たぶん、自分を突き詰めたかったのだろう。この世界の果てを見たかったのかもしれない。 長い間、彷徨った。どこにも、たどり着くことがないように思われた。 片時の安らぎもなく冬の星 凍てつく空にまた

ZINEを作り始めた今日この頃のこと

ようやく重い腰をあげ、ZINEを作り始めた。 これまでnoteに書いたものをせっせとリライトして、レイアウトや校正一部、表紙デザインを外部の方にお願いした。たった7編のこじんまりとした内容だけど、人生のある時期に一区切りつけるという意味が、私の中にはあったりする。 タイトルは「深海の底で待ち合わせ」 創作1作品(2編1作品)、エッセイ5編の構成。 昔から、生まれ変わるなら深海魚がいいなと、独り言みたいによく言っていた。深海には、ものすごく得たいの知れない魚が多くて、ビジ

何も変わらない1日が始まり 何も変わらない1日が終わる 猫はそれを幸せと言うのだが

有り余る情報の中で生きている私達は、 その何本もの道に迷い時として迷子になり、 今自分がどこにいるのかさえわからなくなってしまう。 それはまるで街をふらふら歩く幽霊のようで、 やがてたどり着く場所さえ曖昧となり、 それでも情報という地図を頼りに今日も生きている。 日々の生活はこれといったこともなく、毎日同じことの繰り返しで過ぎ去って行く。 今や知りたいことは、手の中にあるスマホひとつでいくらでも調べられる時代。 図書館で調べていた時代を思うと、随分と便利になったと思う。

わたしのはなし:耳鼻科のヤゴさん

夜の坂道を下り、見慣れた街を横目に見ながら私たちは疾走する。 父の自転車の後ろに乗って鵜の木駅にある「矢後耳鼻咽喉科」通称“ヤゴさん”まで。 わたしが4〜5歳くらいの頃、隣町の耳鼻科(冒頭の病院)に結構な頻度で通っていた。父の漕ぐ自転車の後ろのカゴみたいな子供用の席に乗ってガタンガタン揺れながら運ばれる。送ってくれる記憶は父なのに、なぜか待合室の記憶は母といる場面しか思い出せない。 古いタイル張りの3階建てのビルで、1階が診察室、上の階が入院用の部屋と住居だったのだと思わ

【掌編小説】祖父の、薬【ほぼエッセイ】

 祖父は、私が生まれたときには既に病気にかかっており、いつも寝室のふとんで、寝ていた。 「おじいちゃん寝てるから、起こしたらあかんよ」  と母や祖母は言っていたようにも思うが、その目を盗んで私が寝室のふすまを開けると、いつも祖父はふとんに寝たまま、にやり、笑い、相手をしてくれた。どんな会話があったか、ということはもうほとんど記憶にないが、祖父と二人きりで寝室にいるのは私にとって幸福な時間だった。とにかく笑っている祖父の顔。それから、私が寝室にいることが母や祖母にばれるとつまみ

遊び感覚 61-65話

61話 北海道貧乏旅行 今私は日本海を小樽より新潟に向かって航行するフェリーの食堂でこの原稿を書いている。室戸以来の大型台風にせき立てられて、慌てて旅立ったのは七日前。あこがれの異土の港に降り立った時の感動は、今なお新鮮だ。  北海道の魅力は、月並みに言うなら、文明の歯牙にかからぬ空白の大地にある。まぶたを閉じても、湿原に孤独に佇む「はるにれの木」や、人をあざ笑うように路上を闊歩するキタキツネ、緩やかな丘陵地帯に広がる尽きることを知らぬトウモロコシ畑を、造作なく思い浮かべるこ

No.1047 髭男の思い出

ひさびさに、連想してしまいました。 先日、実家の兄から新米(玄米)を頂いてきました。帰り道にある簡易コイン精米所で米を搗き、きれいな白米になりました。 自宅に帰り、早速、新米を研いで電気釜に移し、目安の線ぎりぎりに水を注ぎ、30分ほど浸してから炊き上げました。しゃっきりと立ち上がった新米は、歯ごたえも粘り気もあり、噛むごとに甘みや味わいが感じられて、良いできばえです。 「これぞ、おらが村の新米!」 と胸を張りたくなりました。 今は、簡易精米所(コイン精米所)が、県内

わたしのはなし:家庭料理と美味しい偏見

わたしが小学3年生の頃、近所の古いアパートに台湾人の家族が引っ越して来た。 かれらは3人家族、わたしより年下の女の子がいて、いつの間にか仲良くなって遊ぶようになっていた。 ツインテールの三つ編み、まんまるしたキラキラの瞳、寒い日にはカラフルな薄手の服を何枚も重着していて可愛かった。 独特の発音でわたしの名を呼ぶその姿が愛らしく、一人っ子だった私に妹が出来たみたいで嬉しかった。 学校が終わると週1〜2回はその子の家に遊びに行き、彼女の母親が振る舞う異国のご飯を、お言葉に甘えて