aosagi31

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Twitterでは、拙い草花の写真や読んだ本・聴いた音楽等を呟いてます。noteでは140字に収まらない他愛のない思い出話とかを。いつまで続くか分かりませんが、お時間のあるときにでもお付き合い頂けたらうれしいです。

最近の記事

春を送る

 せっかくの爽やかな季節に恐縮だが、このところ何となく気分が今一つスッキリしない。桜も散って山は笑い、既にハナミズキが咲いているというのに、である。蓑虫だって、もう蛾になって外を飛び回っていることだろう(蓑虫って、蛾になるのはオスだけで、メスはずっと蓑の中にいるって知ってました?)。自分の機嫌くらい自分でって、ああ、あれは自分の感受性くらいか、失礼しました。でも、偶にグダグダしたい時もあるじゃないですか、人間だもの(いつもか?)。  ひょっとして暇すぎるのか?小人閑居して不善

    • 大阪 on my mind

       手元に「枚岡夜景(瓢箪山)」と題された日本画がある。第1次大阪百景の一枚として、渡辺鶴子という方が大正時代に描かれたもののようだ。すすき野の向こうに遠い街明かりが見える。調べてみると、瓢箪山は近鉄奈良線の生駒山の手前なので、東の方から西に大阪の街を望んでいる絵だということが分かる。今はもうこうしたすすき野はとっくに姿を消しているのだろうが、金箔で表現された街の灯に惹かれて、毎年秋になると和室に飾っている。  年明けから読み始めた「大阪の生活史」をようやく読み終えた。東京とも

      •  私たちは、一体どうやっていつの間にかこんなに桜を愛するようになるのだろう?やっぱりDNAに仕組まれているのだろうか?個人差はあるだろうけれど、子供の頃は(お酒が飲めなかったから?)お花見は大人や年寄りのものだと思っていた。その頃桜の唄と言えば「さくら さくら 弥生の空は♩」という唱歌くらいのものだったけれど、近年はおしゃれな桜ソングがたくさんあって、若い人たちにもお花見は大事な季節行事になっているようだ。  初めてはっきり桜をきれいなだあと思って眺めたのは、浪人が決まった春

        • 憧憬

           先日、友人を山奥の秘湯に案内した際、途中で以前から気になっていたかつてつげ義春が訪れたという温泉への入口に気付いた。車で通り抜けただけだったけど、街道からV字型に入り込んだ路地は往時の面影を色濃く残し、突き当りに2軒の茅葺屋根の温泉宿と地元の方用の共同浴場があった。今にも浴衣に風呂桶を抱えたつげさんが歩いてきそうだった。  「無能の人」を読んだのは二度目の転職前で、ちょうど無職同然の頃だったから、描かれている主人公の状況がひとしお身に沁みた。十代の頃から仙人になれないものか

        春を送る

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        記事

          全く個人的な取り組みですが、お陰様で失くした'23年分の復元が完了しました。再掲にも拘わらずお付き合い下さった皆様、ほんとうにありがとうございました!

          全く個人的な取り組みですが、お陰様で失くした'23年分の復元が完了しました。再掲にも拘わらずお付き合い下さった皆様、ほんとうにありがとうございました!

          #01' ONCE A FOOL,…('23.1.16)

           「ONCE A FOOL,…」は'85年の11月に発表された高橋幸宏7枚目のオリジナルアルバムだ。カセットテープで持っているから、多分貸しレコードを借りて録音したものだろう。丁度レコードがCDに代わり始めた時代で、まだ貸しレコード屋があった。YMO解散後のものを全部持っている訳ではないから、シックなジャケットと「昔々あるところに一人の愚か者が…」というタイトルに惹かれたのかもしれない。  当時、私は夏に一年間の研修から東京に戻って配属が決まり、初秋にようやく会社の寮を出て阿

          #01' ONCE A FOOL,…('23.1.16)

          #03' 月沈む('23.4.2)

           夜中に、西に回った上弦過ぎの月あかりで目が覚めた。スマホを見ると午前2時、昼間に桜を見過ぎたのかもしれない。眠れずにぼおっとしていると、この時間にも結構列車が走っていることに気付かされる。多分貨物列車だろう。小学校で習った唱歌を思い出す。   いつもいつも 通る夜汽車   静かな 響き聞けば   遠い町を 思い出す  5年か6年の教科書に載っていたその歌を、村の分校で1年か2年の時に習った。合唱の下のパートを覚えている。ハモるのが得意だった。  遠い町を思い出すと言えば、仕

          #03' 月沈む('23.4.2)

          #04' 坂本龍一さんのこと('23.4.3)

           一年を通した個人的な坂本龍一歳時記とでも言うべきものが自分の中にある。春は音楽図鑑、梅雨時はスイートリベンジ、夏はビューティーで、秋には/'04、/'05。冬は1996で、気持ちいい夏の夕暮れにはCASA、雪のドライブにはBTTBウラをかけて、仕事が忙しい夜はアクアを聴きながら水の中に沈むように眠る、といった具合だ。  YMOもいけないルージュマジックも衝撃的だったけど、かっこいいなあと印象に残っているのは、六本木WAVEで音楽図鑑のアナログ輸入盤が面でディスプレイされてい

          #04' 坂本龍一さんのこと('23.4.3)

          #06' 再会('23.4.14)

           学生の頃、Nというクラスメートがいて、入学当時よく授業で一緒になった。関西出身でピアノを弾いていたNは、いつも大きな布の袋をぶら下げていた。多分そこには教科書と楽譜が入れられていたのだろう。春には快活だったNの顔から少しずつ笑顔が減り、次第に教室で見かける回数も少なくなっていったのは、初めての一人暮らしの中でNが何かしらの悩みを抱えていたからに違いない。それなのに、久しぶりに教室で会ったNに私がかけた言葉は、励ますつもりだったにせよひどくキツい一言だった。思い返すに、その頃

          #06' 再会('23.4.14)

          #07' 夜半の雨と村上春樹('23.4.17)

           土曜の夜、というか日曜の朝?結構しっかりとした雨音で目が覚めた。スマホで時間を見ると午前1時前、しばらくベッドの中で雨音を聴いていたけれど、眠れそうもないので起き出した。村上春樹の新刊を読むにはもってこいの夜だ。  前日の午後から、新刊の「壁」を読み始めた。登場人物は17歳のぼくと一つ年下のきみ、その出会い方からしてダメな人はダメなんだろうなあと思いながら、勿論ダメではない私は、読み終えてしまうのが惜しいのでわざとゆっくりページをめくっていく。  初めて村上春樹を読んだのは

          #07' 夜半の雨と村上春樹('23.4.17)

          #08' 孤独の3Step('23.4.21)

           中学まで吹奏楽部でフルートを吹いていた次女は、高校に入ると帰宅部になってロックに傾倒していった。当時聴いていたラジオ番組のイベントが三浦半島であるから連れて行ってほしいと頼まれ、高速で片道4時間の距離を、娘とその友達を乗せて日帰りした。すっかり日が暮れた帰り道、企画の名誉校長が清志郎だったこともあって娘が尋ねた。「お父さんはどうして清志郎が好きになったの?」う~ん、突然の質問に少し考えてから私は答えた。「二十歳くらいのときに清志郎の歌を聴いて、寂しいって言っちゃっていいんだ

          #08' 孤独の3Step('23.4.21)

          #09' 花持各々時('23.4.25)

           例年、この辺りでは連休の頃に咲くハナミズキが4月半ばに開花して、既にその盛りが過ぎようとしている。それを引き継ぐように、庭でマーガレット(の仲間?)の蕾が随分膨らんできた。百合や南天と同様、これも植えたものではなく、どこからか運ばれてきた種が根を張って少しずつ増えてきたものだ。茎が長いので、毎年季節の風雨に気を揉むことになる。もう少し背が低ければもっと安定するのだろうけれど、それなりの必然性があって今の姿になったものだろうし、その頼りなさをも含めて、私たちはこの花を愛でてい

          #09' 花持各々時('23.4.25)

          #12' 始まりと終わり('23.5.7)

           連休最後の日曜日、静かな雨音で目が覚めた。遠くでカッコーが鳴いているように聞こえるのは気のせいだろうか?午前中に息子が帰ってしまえば、その後はもう普通の日曜日だ。そろそろ、少しは気持ちのリハビリを始めないと…。  昨日は息子が仕事でパソコンに向かっていたので、今頃だけどアマプラで「花束みたいな恋をした」を観た。もっと前に観たかったけど当初は独占配信で、昨日偶々アマプラで観られるようになっているのに気付いた。独占配信が契約先の確率は数分の一で、その度に契約する気にはなれなくて

          #12' 始まりと終わり('23.5.7)

          #14' 田植えの情景('23.5.14)

           藤の花が紫の花びらを雨に散らして、代わりにニセアカシアの白い房が道沿いに広がり始めた。散歩をしていたら早朝から田植えをしている方がいて、乗用型8条田植え機の進むスピードの速さに目を見張った。田植え機が出始めた頃の歩行型と比べると隔世の感があったからだ。  稲作農家だった我が家に初めて田植え機がやってきたのは、確か私が小学校の高学年になった'70年頃だった。歩行型の2条植えで、機械用の苗を栽培する箱も当初はプラスチックではなく木製だった。その箱に専用の機械で土を敷き、種籾を蒔

          #14' 田植えの情景('23.5.14)

          #17’ 花不同去年('23.5.24)

           分譲地の一画にある小さな公園のフェンスの下に、今年も白いティアラのような花が開いた。ああ、今年も咲いたなあと眺める。写真を撮ろうかと思って近づいたものの、去年も撮ったような気がしてシャッターボタンから指を外す。別に毎年撮ってもいいのだが、同じような写真をアップしても見る方も新鮮味がないかと。一年前の私の投稿を覚えている方がいるとも思えないが、要は自分がワクワクしないということなんだろう。  子供の頃から、基礎よりバリエーションが好きだった。ラジオ体操なら第1より第2、往復す

          #17’ 花不同去年('23.5.24)

          #18’ 待ち合わせ('23.5.29)

           映画のような夢を見た。私は観ている人で、登場人物は私が知っている(という設定の)人たち。長いストーリーが終わったら、いつの間にか私は広い草原に腰をおろしていて、何故かは分からないけれど、やがてそこにあの娘がやってくることを知っていた。10代の頃のような、ちょっと甘く切ない気持ちで目覚めた。  2カ月ぶりに私用で東京に来た。まずはお昼に娘たちと待ち合わせ。まだ少し早いので、住宅地の中にある公園で時間調整中。土曜日の午前、草地にシートを敷いたりして、みんな思い思いに初夏の陽ざし

          #18’ 待ち合わせ('23.5.29)