aosagi31

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Twitterでは、拙い草花の写真や読んだ本・聴いた音楽等を呟いてます。noteでは140字に収まらない他愛のない思い出話とかを。いつまで続くか分かりませんが、お時間のあるときにでもお付き合い頂けたらうれしいです。

最近の記事

軽いが悪いか

 久しぶりに太宰のお伽草子「カチカチ山」を再読した。太宰曰く、命からがら逃げた狸には正当防衛的な面もある一方で、兎の仕返しは執拗で残酷で男らしくない。これは美しい乙女に懸想した野暮な醜男の物語なのだと。確かにそう言われて読んでみると説得力がある。物語の最後、泥舟と共に沈む狸の「惚れたが悪いか!」の一言が心に残る。ネットの青空文庫でアっという間に読めるので、よろしかったら是非。  話は変わるが、私は自分の書く文章を軽いと思っている。人から言われたこともある。自他共に認めるという

    • 仲秋の月は下弦に

       久しぶりに酷い風邪をひいた。最初喉に違和感があって、元々喉が弱く煙草の煙でも香水でも埃でも痛くなるんだけど、コロナの間はマスクをして警戒していた分事なきを得ていた。熱は無かったけど、痛みが激しかったので念のため仕事を休んだ。タイミングを見て検査をした結果は陰性。ホッとしたのも束の間、喉の次は咳、痰、鼻水の攻撃を受けて、図らずも長めの連休を取ることになった。さすが私の忌み月。  一番喉が腫れて寝苦しかった夜に、うなされて切ない夢で目覚めた。早朝の出勤途中、大きな、でもスクラン

      • (更に別の)Kのこと

         前回のnoteの最後にラジカセを持って登場したKは、以前紹介したKともその後に紹介した別のKとも違う更に別のKだ。このKとも、最初に入った会社で出会った。細身で黙っているとちょっと強面だが、その分破顔すると印象が一変する。日本海の近くで育ったKは泳ぎが達者で、高校の頃はラグビーをやっていたらしい。友達とJAZZ屋にも入り浸っていたようだが、ちゃんと理系の名門校を卒業して、何故かどちらかというと文系っぽい仕事をずっとしている。最初の会社を辞めたのは私とどっちが先だったんだろう

        • カセットで聴きたい

           そのカセットはU君から貰ったものだ。が、いつ、どういうシチュエーションで貰ったのかは全く覚えていない。シー・レヴェルの曲が90分テープにぎっしり詰まっている。シー・レヴェルはオールマン・ブラザーズ・バンドが解散したときそのリズム隊が結成したバンドだ(とU君が教えてくれた)。無茶苦茶大好きというまでではないけれど、何故か夏の終わりに聴きたくなる。単にその頃に聴き込んだ記憶がそうさせているだけかもしれないが、まだたっぷり熱が残った季節の中で、疾走するサックスのあとに流れてくるピ

        軽いが悪いか

        マガジン

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        記事

          運命と自由意志

           先日の「豆と小鳥」で「すべてのことは運命で決まっている」というような話が出ていて…。確かにそういうことはあるかもしれないなとは思う。昔、新宿の交差点で事故ったことがあって、家に帰るのにいくつもの経路があったのに、その日その時にその道を選んで、一分一秒違わずその交差点に入らなければ出会うことのなかった車にぶつかるのを運命と言わずして何と呼べばいいだろう?でも後になって考えてみると、それが直接の原因ではなかったにせよ、その後東京を離れることになったのは自分の人生にとって結果オー

          運命と自由意志

          「石がある」と阿佐ヶ谷慕情

           昨日観た映画「石がある」のことを考えていた。結果、この映画は考える映画ではなく感じる映画なのだと思い至った。主人公の男女2人(2人の名前は最後まで分からない!)の出会いから別れまで1日足らずの時間の中で、2人それぞれの気持ちの揺れや流れ、驚き、戸惑い、ワクワク、迷い、不安、逡巡、決断…、そういった感情を一緒に体験することで、見終わった時にいつの間にか浄化さている自分に気付くという感じ。女性と男性、どちらに感情移入して見るかによっても印象は変わるだろうけれど、男性が少年のよう

          「石がある」と阿佐ヶ谷慕情

          少し早めの仲秋の候

           ふと気付くと9月になっていた。「仲秋の候」という挨拶は二十四節季の白露から秋分の間に使うのが正しいのかもしれないが、明日から旧暦の8月で、葉月は仲秋だからまあいいかとフライング気味に使ってみる。この一週間ほど、noteも書かずに何をしていたんだろうと考えてみたら、ずっと台風10号を気にかけていたのだった(被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます)。日々予報を覆しながら、これほど長期間、沖縄から北海道まで、離れた場所にも被害を及ぼした台風がかつてあっただろうか?還暦過ぎ

          少し早めの仲秋の候

          遠花火

           週末、帰省の折に息子たちが「チケットが当たった」と言っていた藤井風のライブが無料配信(なんと太っ腹な!)されたのを観た。コロナ禍で無観客ライブを配信した日産スタジアムからのリベンジ企画という感じ。シンプルで力強いメッセージは、きっとたくさんの人たちの心を癒したことだろう。冒頭に弾いてたチェンバロみたいなピアノがかわいくていい音だったな。ハンマーが入ってるけど弦は張られてないハイブリッドピアノというものらしい。やるじゃん、ヤマハ!  ライブが終わってタブレットを閉じると、遠く

          とんぼ

           明け方、目を覚ましたら虫の合唱輪唱がすごい。目を閉じていると原っぱで野宿しているみたいだ。窓から流れてくる空気もひんやりとして、夏が峠を越えたことを実感する。起き出して散歩に出てみれば、丁度雲間から太陽が顔を出したところで、いつの間にか日の出が夏至の頃より30分以上も遅くなっている。道端では、野生のニラが白い蕾を開き始めた。虫が付いて今年は駄目かと思っていた百合も思いの外きれいに咲いて、虫も百合も上手く自然と共生しているようだ。  birdfilmさんのnoteを読んでとん

          ありがたい

           ぽつぽつと出勤しながらのお盆休みも後半戦。前半は今年の新婚夫婦と去年の新婚夫婦が入れかわりで帰省。タブレットに結婚式の写真を入れて、みんなでスライドショーを眺めた。その翌日に義姉の家族が大きなレンタカーで実家に帰省。甥の子供たちが会うたびに成長していく様が微笑ましい。次の日は妹の嫁ぎ先に新盆の挨拶。ちょっと前までは、こうした一連の行事を義務的に捉えて、つつがなくこなすことを考えていた。その間は休みではないとも。最近、ようやく少しずつだけれど、一つ一つのことを楽しめるようにな

          ありがたい

          立秋の候

           暦は立秋を過ぎて、挨拶状も暑中見舞いから残暑見舞いに。明け方、窓からすうっと流れてくる空気もひんやりとして、心なしか暑さのピークを越えた感。日中はまだまだ暑いものの、ミンミン蝉に混じって気の早いツクツク法師の声も聞こえる。甲子園も始まって、いよいよ夏も後半戦だ。  パリからは連日オリンピックのニュース。うれしいものも残念なものもあるけれど、結果は結果として受けとめながら、すべての選手をねぎらいたい。その間にも、世界では戦闘が続き、洪水が起き、暗殺や未遂があり、株価が乱高下し

          立秋の候

          別れ

          別れることが決まると 残りの時間が愛おしくなる もう少しいっしょにいるつもりだったんだけど そうしようと思えば出来なくもなかったのに でもきっと潮時だったんだろう すべては決められたこと 君は静かでやわらかく なめらかでしなやかだった 記録的な大雪の後にやってきた君 君と見上げた桜 君と走った夏の渓流 どこまでも続いていた紅葉の山々 最後のドライブはビートルズを聴きながら サージェントペッパーズ辺りから始めれば きっと旅が終わる頃にLet It Beが流れるはず これからの君

          文月葉月のGet Back

           カレンダーは文月から葉月に。と言っても、旧暦ではこれからようやく文月になるところなんだけど。暑い夜に窓を開けて横になっていると、聞こえてくる音の主役がいつの間にか蛙から蟋蟀に変わっていることに気付く。日中にはミンミン蝉も鳴き始めた。季節は少しずつ、でも確実に進んでいる。  先日、ちょっとした必要があって、セール最終日にfireタブレットを買ってディズニー+に加入した。そう言えばGet Backってディズニー+の独占配信だったなと思い出して、検索してみたらあった(今頃?)。2

          文月葉月のGet Back

          (別の)Kのこと

           先日、久しぶりに真鶴の駅に降り立った時、そう言えば昔Kと真鶴に来たことがあったなと思い出した。確か、夏に帰省したKが真鶴に別荘があるから遊びに行こうと言い出したのだ(後から聞いたらおばあちゃんちだった)。無人の家の雨戸を開けて、目の前の木立を下っていくと小さな入り江があった。砂浜ではなく波に洗われた小石の浜で、さながら和風のプライベートビーチの感。Kと私は小さな木製の舟を浮かべて素潜りを愉しんだ。それなりに波があって、海なし県で育った私は足の着かない海がちょっと怖かったが、

          (別の)Kのこと

          戯れ歌(28行詩)

          私に基礎はない 直ぐバリエーションに走るから 私に体系はない あるのは思い付きの点ばかり その点点を飛び石に 私はどこに行けるだろう けんぱ けんぱ けん・けん・ぱっ! ちょっと遠いな どうしよう? えい!っと飛んではみたものの やはり届かずザッブンコ これはしまった しくじった ブクブクもがく水の中 しばらくあせっていたけれど 慣れてしまえば水の中 これはなかなか面白い ゆっくりスローモーションで ふわりふわりと進んでく 何だかこれは月の上 宇宙遊泳みたいだな そうか なあ

          戯れ歌(28行詩)

          夏の朝を歩く

           午前4時過ぎ、まだ日の出前の彼は誰(かはたれ)時にヒグラシが鳴き始める。子供の頃、ヒグラシは夕方に鳴くものだった。勿論今でも鳴くのだけれど、最近はばたばたしていたり冷房で部屋を締め切っていたりで印象が薄い。昔は夢の中で聴いていて、本当に鳴いているのか半信半疑だった明け方のヒグラシを、半世紀の時を経て薄く開けた窓越しに聴く。変わったこと、変わらないもの…。  いつもより少し早めに散歩に出かける。外に出ると、西の空に十六夜の月が明るく残っている。家並みの外れまで来たら、緑の絨毯

          夏の朝を歩く