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遠花火

 週末、帰省の折に息子たちが「チケットが当たった」と言っていた藤井風のライブが無料配信(なんと太っ腹な!)されたのを観た。コロナ禍で無観客ライブを配信した日産スタジアムからのリベンジ企画という感じ。シンプルで力強いメッセージは、きっとたくさんの人たちの心を癒したことだろう。冒頭に弾いてたチェンバロみたいなピアノがかわいくていい音だったな。ハンマーが入ってるけど弦は張られてないハイブリッドピアノというものらしい。やるじゃん、ヤマハ!
 ライブが終わってタブレットを閉じると、遠くからドーン、ドーンと鈍い響き。そう言えば、今年の花火大会は今日だったな!毎年8月後半の土曜日に開催されるこの地方では大きな大会で、当日は臨時列車も運行される。子供たちが小さい頃はよく車で見に行ったけれど、途中で飽きてしまってなかなか最後までいられない。娘たちは高校生になると友達と浴衣で出掛け、初めて最初から最後まで見たのは息子が大きくなってからだった。今日はやけに音が大きく聞こえるなあと思って、何気なく普段締め切っている北向きのカーテンを開けてみたら、何と暗い家並みの向こうに花火が上がっている!15㎞位離れているから見えたのは高く上がるものだけだったけれど、30年も住んでいて、自宅から花火が見えることに今頃ようやく気付くとは…。
 子供の頃、川を挟んだ隣町の花火大会が毎年河原で開催されて、東側に田んぼが広がっていた実家からは、遠い木立ちのシルエット越しに花が咲くよう上がる花火が見えた。敷地の東端に出て、まだ青い田んぼを渡ってくる夜風に吹かれながら、じいちゃんやばあちゃんとそれを見ていた記憶がある。高校生になって原付の免許を取ったとき(私の高校では禁止されていて、事後報告したらひどく怒られた)、近くで花火を見たいと思った。何となく土地勘はあったので、親父が田んぼの水回りに使うカブに乗って河原に向かった。あまり車の通らないあぜ道から堤防に出て、その斜面に寝転んで花火を見上げた。近くで見る花火は光と音のズレがなく、その音が直接腹に響く。見上げる視界いっぱいに広がる花火は、遠くに見える小さい花火とは全く別物だった。私は、しばらく眼前に広がるショーを楽しんでいたが、次第にある思いが胸に湧き上がってくるのを感じていた。一体それが何なのか、花火を眺めながら考えていたのだが、最終的に自分の中にあるそのモヤモヤの正体を認めざるを得なかった。それは「一人で見る花火は寂しい」という単純で残念な事実だった。


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