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仲秋の月は下弦に

 久しぶりに酷い風邪をひいた。最初喉に違和感があって、元々喉が弱く煙草の煙でも香水でも埃でも痛くなるんだけど、コロナの間はマスクをして警戒していた分事なきを得ていた。熱は無かったけど、痛みが激しかったので念のため仕事を休んだ。タイミングを見て検査をした結果は陰性。ホッとしたのも束の間、喉の次は咳、痰、鼻水の攻撃を受けて、図らずも長めの連休を取ることになった。さすが私の忌み月。
 一番喉が腫れて寝苦しかった夜に、うなされて切ない夢で目覚めた。早朝の出勤途中、大きな、でもスクランブルではない交差点を渡っていると、反対側を以前付き合っていた彼女が向こうから渡ってくるのに気付く。もう会社の近くで、こんな時間に彼女がこの街にいるはずないのに、バインダーを胸の前に抱えて歩く姿は間違いなく彼女だ。一瞬追いかけたくなるものの、信号が変わるまでに彼女は遠くに行ってしまうだろう。追いついて後ろから呼びかけたとしても驚かせるだけだし、それに一体何を話せばいいのか?うれしいような淋しいような余韻に浸っていると、暫くしてそれが夢ではなく昔本当にあったことだったのを思い出す。同時に、その日一日のふわふわと動揺した気分のことも。前の晩に志村正彦のLive動画を観たからか?彼の歌には会えない女性への思いを感じさせるものが多い…。
 そうこうしている間にnoteでは創作大賞の中間発表があったみたいで(あれって「お知らせ」には出ないのかな?私はいつも他の方の投稿で気付くんだけど、皆さんどうやって知るんだろう?ともかく選考に残った皆さま、おめでとうございます!)、オリンピック精神で参加している私は勿論掠ってもいないのだけど、その割に正直どこかでがっかりしている自分がいるのは困ったものだ。万一残れれば読むに値することを認められたようでうれしいだろうなというだけで、それ以上の望みはないのだけれど。やっぱりそれ用のネタを考えないと駄目かなとか、千字程度の短いエッセイでは勝負にならないかとか。でもすぐにイヤイヤと考え直す。衿さやかさんが大阪文フリで配られたフリーペーパー(衿さんのX(9月8日)で読めます!)には挨拶と3つのお話があって、いずれも原稿用紙2枚分だけど、どれも800字とは思えない奥行きや広がりがあってグッとくる。川端康成にも「掌の小説」という一群の作品があることだし、長いものが書けない者には書けないなりのやり方がきっとあるはずなのだ。ん?お前は一体何がしたいんだ?ふと我に返ったりする9月の下旬、明け方の空を見上げれば仲秋の月はいつしか下弦に…。
 

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