見出し画像

「自分と繋がる」は「コレ」に向かってる


自分を癒す
自分を大切にする
自分を最優先に考える
自分らしくある
自分が好きなことをする
自分の声を聞く
自分と向かい合う
自分はどうしたいのか
自分探し

こういった「自分」に関わるフレーズが気になるのは、
「外側にフォーカス」して生きてきた反動として
自然な成り行きだ。

世の原理は、
「バランス」をとるから。

一方で、

各地の災害、
コロナ、
高齢化社会、
終身雇用制、
給料右あがり時代の終焉、
インフレ、
戦争、
温暖化、

もっというと
氷河期や
隕石の衝突など、

こういう「外側」に翻弄されて、
世の中が、もう悪い方にしかならない、
という声を聞いたりして、
なんとなくの不安の存在を感じることもある。

昨今、
外側からの反応なのか、
内側の作戦なのか、
さまざまなスピリチュアルが
すごいスピードで広く行き渡って、
個性的なのを見聞きするほどに、
「末法思想」か、と思えるときもある。


念仏を唱えるだけ。
誰でもそうなる。
極楽。
ありがとうというだけ。
パワースポットに行けばいい。
信じて団体に入れば夢が叶う。

それで本当に状況が好転するのか?
(100%信じられれば引き寄せられるでしょう。)

ヒトはeasy going (楽が好き)なので
どうしてもそういう話には、反応しやすい。

(ヒト、でなくて、私の話かもしれない)

縁起担ぎのつもりが
それが目標になってしまう時だってある。

だけど、

「末法思想」でも
「本質的思想」でも

どっちでもよいのだ。

全ては、いい方向に向かっている
今が最適最善な
一過性のプロセスなのだ。

一時的現象として、

「エゴ」を「自分の本質」と錯覚して、
「エゴ」を強化してしまうこともある。

または、

「自分の本質」が見出せなくて
スピリチュアルやなんらかの思想に
身を委ねたりすることもある。

それでも、「ええじゃないか。」

(あ!やっぱり末法思想?!・・・冗談です)

今回、言いたかったのは、

「自分を意識し出したら、それは、
真に他人を思いやる段階に入った」

ということだったんだよ、ということだ。

つまり、意訳すると、
自分と向き合い始めて、
エゴと外側との矛盾を感じるようになったとしても、
気にしないで自分を楽しみ続けてよし。

ということだ。

もう一回。

自分発掘は、
長い目で見れば、大きな目で見れば、
「人(もの)のため」に繋がっている。


マズローが、晩年付け足した
「自己実現」を超えた6つ目の
「自己超越」

仏教でいうところの
「慈悲」

ホーキンズ博士が測定してくださった
「”愛” 以上の意識レベル」

苫米地さんがいうところの
「現代の悟り」

それは、誰か、崇高な方しか行けない
卓越した境地ではなくて、

自分と向き合い始めると
誰もが自動的に向かってしまっている方向性。



自分を楽しむ、知る、とは、

その方向性(利他性)への
ステップを踏んでいる途中にいるということ。


だから、
安心して、
「自分中心」を効かせていいんだよ、
自分を優先して、
自分からハッピーになっていい、

自己中、
利己的でないよ、

尊い方向性にいるよ、

ってことでした。

貴方の愛のエナジーを有難う💖