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過去は都合の良いお調子者 (エッセイ)

子供の頃に疑問に思いつつ、なんとなく解決しようとしなかったことの答えを、急に目の前に出されると驚く。

小学生で最初の引っ越しをするまで、私には姉妹のように仲良くしていた友達がいた。その子の母親と私の母は、子供同士が仲が良いから当然交流があり、時には膝を叩き合って何時間も談笑することもあった。
そんな親たちを横目に、安心して遊ぶ私達、というのがいつもの構図。

それが何年も続き、私達家族の引っ越しを機に、友人とは徐々に疎遠に。
しかし友人との思い出はいつまでも美しいので、会えなくなったからどうこうということはない。
そんな折、ぽつっと母から漏れた友人の母親に対する不満。
確かに、ある時から友人の母親の話題が出ると素っ気ない態度を取ることがあったので、気になってはいた。
少し話してしまうと、おそらく張り詰めていたものが崩れるのだろう、積年の思いを機会あるごとに語り始めてしまった。

聞いている私はすでに思春期も過ぎて、そんな親の話も受け流し気味に聞けるようにはなっていたけれど、それでも聞いていて苦味の残るような話だ。

子供のときに記憶している母親同士の立ち話する姿や、世間話に花を咲かせていた和気あいあいとした雰囲気は思い出からさっさと消え去って、なにか黒いものを感じる。

子供同士が親友だから、親も親友になるなんてことは滅多にないわけで、仲良くなれたらラッキーくらいなものだろうと思う。その頃住んでいた地域は人との付き合いが盛んだったし、自然な成り行きで互いの家に招いて楽しんでいるように見えた。
今思えば、母は一人の時間が大好きなタイプだし、無理していたのだろう。
母は過去の不満を語る相手を間違えた気もするけど、聞いてしまったものは仕方がない。
思い出は簡単に色付けされたり、塗り替えられたりするから、良い記憶以外は捨ててしまったほうが良いのだろうなと思う。それが簡単にはできないことはわかっているし、そこを利用したりするのだけれど。





#エッセイ


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