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掌編小説 | わたしの青

 あるとき、目に映る世界がすべて青になった。それは、幼かった自分がはじめてつくり上げた、わたしだけの世界だった。
 誰の悲しみにも触れたくなくて、水に浮かぶイメージを持ち、ゆっくりと体を丸めて青に沈んでいく。静けさと、冷えた感情だけに包まれるその世界では、目を開けても視界はぼやけている。ただ、濃淡のある青いグラデーションが目の前に広がっていた。
    耳の奥でクジラが鳴く。実際には聞こえないその声は、現実ではない。現実ではない音と、現実ではない目の前の風景。だけど、その中にいるわたしの感覚だけは本物だった。ここではわたしの呼吸をすることができて、クジラの鳴く声以外、聞かなくていい。
 
 姉が泣いていた夏の日は、慰めている両親の後ろ姿を思い出す。その記憶の大半は、わたしが実際に目にしたものなのか、話で聞いたことなのか、あまりはっきりしない。だけど、あの日の自分の感情を今でも感じることができる。そして、わたしははじめて青い世界を見た。
    姉は泣いている。両親も悲しんでいる。そして、わたしも泣いていたんだ。

 姉の猫が死んだ。犬だったかもしれない。
 姉の大切なペットが死んで、その子を火葬することになった。わたしは、自分の分身のように大切にしていたイタチのぬいぐるみを持って最後のお別れに行った。腕にしっかりと抱いたイタチは〝ちっち〟という名前だった。
 お別れが済んで、軽く食事を済ませたあと、帰りの電車の中で、再び姉は泣き出した。両親は姉に声をかけ、一先ず次の駅で降りようと言った。わたしはそのとき、靴を脱いで座席に上がり、ちっちと外の景色を見ていた。電車が次の駅で止まると、母から急に降りると告げられ、慌てて靴を履いた。父に手を引かれてなんとか電車を降りた。ホームに立ったわたしは、そのときはじめて、座席にちっちを置いてきたことに気がついたのだ。
 「ちっちが」と言って電車に戻ろうとするわたしの腕を、父は強い力で引いた。泣きじゃくる姉の肩を抱く母は、振り返ることもなく歩いていく。ちっちを乗せた電車のドアが閉まり、ゆっくりと動き始めた。ホームにいた人々は、わたしたち家族には目もくれず、それぞれの向かうべきところへ進んでいった。

 姉の泣き声が聞こえる。両親が取り囲む中で漏れてくる悲しげな泣き声だ。それと同時に、わたしだけは、わたしの泣く声も聞いている。ペットを失った姉の悲しみと、わたしがちっちを失った悲しみの違いを説明してくれる人はなかった。
    わたしがそのとき抱いた行き場のない悲しみは、生まれた途端、青の中に沈んでしまった。これは、大人になってからわたしが、〝そうであった〟と決めたことだ。見えていた景色も、聞こえていた音も、大人になるにつれて、少しずつ自分で記憶を塗り替えるようになった。そうすることで、わたしは悲しみを癒した。

    ちっちを電車に残してしまってから随分と時が経った。あの日のわたしは幼くて、当然知らなかったが、ちっちを取り戻す手立てがあったことを、成長したわたしは、いつの間にか知っていた。知識を持っても心が動かなかったのは、幼かったわたしが、悲しみの居場所をちゃんと用意できていたからだった。わたしには深い青があって、いつでもそこに沈むことができた。

わたしの青は広く、深い。同じ悲しみに再び出会うことが不可能なくらいに深く、広い。透き通る湖の青、明け方の薄暗さを纏った空の青、いずれもわたしだけが知っている青とは違う。しかしそれは、今となっては、幼いわたしが当時作り上げた青とも違っている。わたしが悲しいとき以外にも、いつでも現れるようになった青に、わたし自身が違和感を持ちはじめていることは確かだった。

 静かな青に浮かぶとき、たまに小首をかしげるのはわたしの癖だ。不透明な青の中に、いまだ、見つけられないものを探す気持ちが残っているのだ。だって、わたしは、ちっちと別れた日から、少し変なのだ。どんなに深く青に沈もうとも、いまだに納得できていないのだった。

 



[完]


#短編小説


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