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創作大賞感想 | わたしの子宮は胎児を殺す。


今朝、コニシ木の子さんの感想文から、めぐみ ティコさんのエッセイを知った。

正直な話をすると、このタイトルを読んでもわたしはそんなに衝撃を受けなかった。
『女だから』。
だいたい想像がつく。

そして拝読してみてもやはり予想の範囲を出ない内容だった。
『女だから』。

そうして冷静に読んで受け止めていた。
『女だから』。

だけど
本当にわたしは『女だから』という理由で
めぐみ ティコさんの書かれた想いを
理解しただろうか。

それは無い。

女だから、大抵のことを共感できると思ったら大間違い。


女はそれこそ
結婚するかしないか、
結婚した年齢、
妊娠したかしないか、
出産に至ったかどうか、
生んだ子供の数、
子供を産んだあとに復職しているかどうか……など、
ものすごく細かく分類されて、それでも一般的には『女』という一括りの中でまとめられて生きていく。

(それは男だって同じではないかという話だろうけど、それに関してはまた別としたい)

そこにいる一人の『女』の心の中には、ものすごく黒いものが渦巻いていることがある。
それをめぐみ ティコさんは、ひとつの例として書き上げた。

ひとつの例。

そうやって世間では『よくあること』としてまとめられる。


実際に不妊治療を経験している女性にとって〝よくある例〟である彼女の体験は、本人にとってはものすごく大ごとで、苦しくて、痛くて、吐き気のする内容なのだ。
それをめぐみ ティコさんは堂々と書き綴られた。

書いて、示す。
黒く、醜い感情、痛くて苦しい叫びを、エッセイとして書き記す。

こういうものを書く時、大抵の人は躊躇する。
コニシさんもおっしゃられていたが、かなりの覚悟を要する。
だから彼女の場合、機が熟して書くに至ったのだろうと想像する。
(想像なのは、わたしが普段からの読者ではないので)

めぐみティコさんの、この身を切るような決断と、冷静な文章に敬意を示したくてわたしはこの感想文を書いている。

だけど、肝心なところをわたしは書いていない。

女として、なにに共感した?
女として、どこに、なにを感じたのか。

このことについて、わたしは書かない。
そこを隠して生きるのもまた『女だから』。

わたしは結婚している、していない。
わたしは妊娠している、していない。
わたしは子供を生んだ。
いや、生まなかった。
いや、生めなかった。

小説を書き始めてから、こういうことに関してエッセイやプロフィールなどでは極力書かないと決めた。(とはいえ、機が熟せばわたしだって書く可能性はあるけど)


わたしはこれまで、自分の言葉では語らずに、妊娠出産に関する小説をいくつか書いたし、これからも書く。

『女だから』、一番分かり合えない部分がある。
これを書いていきたいから。

めぐみ ティコさんは凄い。
本当のこと、自身の経験とそこに生まれた、隠しておきたい感情をさらけ出すことは、たぶん、自分自身が一番傷つく。
それでもきっと、書かずにはいられなかったのだろうとも思う。

わたしは、めぐみ ティコさんが放ったこのエッセイが、多くの人に読まれることを望んでいるのではないかなと思った。

なぜならここに書かれていることは、

老若男女、「そんな個人的なこと知らないよ」って、言えないはずの問題だから。

よく耳にする不妊女性の話」と突き放されたくもない。




#創作大賞感想
#エッセイ




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