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人生を共に歩んでくれる友がいる。(エッセイ)


私には、人生に彩りを与えてくれる友の存在がある。

なんて出だしは超かっこいい。だけど、嘘ではなく本当です。

この友人の存在は大切すぎるから文章にしたことがないのだけれど、急に、どうしても書きたくなってしまったから書いておこう。
(もしかして私、もうすぐ死ぬの?)


友人Yとの付き合いは、とある駅に隣接する「花火の広場」というところで待ち合わせをしたことから始まった。
この広場は今はもうない。

この頃、私は高校一年生になったばかり。
中学の頃仲の良かった友人Aとは高校で離れたが、変わらず遊んだりしていた。
そんな中、友人Aが「高校で仲良くなったIちゃんの親友(Y)が、○○のすごい・・・ファンなんだって」と話してくれた。

中学の頃から、私は〇〇というロックバンドに心酔していて、四六時中そのバンドのことしか頭になかった。

それなのに、周りにファンらしき人はいなかったから、そのことを少し寂しく思っていた頃だったかもしれない。
そんなときに、友人Aから“〇〇ファン仲間”の話を聞いて、私には珍しく「紹介して!」という流れになった。

当時は、高校生になったら携帯電話を持つ、という流れが自然な中で、私もYもまだ持っていなかった。持とうという意識すら薄かった。

互いの電話番号をそれぞれの友人伝いに聞いて、家の電話で初めて話をした。そして「花火の広場」で待ち合わせをすることになった。


あれから20年以上が経った。(端折りすぎ)

出会いがあり、互いに猛烈に例のバンドのファンである確認ができ、交流を深めたその年に、バンドは七年間の活動休止へ。
その間、たまに会ってはバンドの話で盛り上がり、交流を続けて、晴れて活動再開の伝説のライブに隣同士のチケットを持って参戦した。

「バンドのライヴに一緒に行く友達」とは、いつしか学校の話、家族の話など、バンドと関係ない話に時間が割かれるようになった。それをお互いが心地良いと思うようになった。

出会って20年以上経った今は、さらに会う頻度が増え、2〜3ヶ月に一度は一緒にでかけたりする。2日に一度はバンドの話でメッセージを送り合ったりする。

ひっつき合った関係のようで、お互いになんでもかんでもオープンにしている訳では無い(と思う)。
私は今こんなにハマっている小説を書いていることすら、Yには言っていない。

それでも彼女のことが大事。

バンドのメンバーはいつかは先に逝ってしまうだろうから、その時は墓参りツアーも行こうと約束をしている。

彼女とは同い年だけど、この先いつまで一緒にいられるかわからない。ライヴ終わり、いつも選んで入る安いチェーンの居酒屋で、お互いの健康を祈って乾杯してしまう(今はもうお酒をやめている)。この楽しい日々があるのはYのおかげ。Yには長生きしてもらわなくちゃ。

今で言う「推し活」を軸にして繋がっているから、当然一番気分が高揚しているときに会う友人だからこその特別感はある。

何でもないときに毎日顔を合わせていたら、喧嘩もするかもしれない。
だけど、「ともだち」は家族じゃないから。良いときに会えばいいし、寂しくて会いたくなったら会えばいいし、言いたくないことは言わなくていい、と思っている。

なんでも話せる友達はいるか、と聞かれたら、拡声器を使って「いない!!」と答える。

なんでも話せる他人はいるかと聞かれれば「いないし、いらん!!」と答える。

それでも、大切な他人はいるかと聞かれたら両手バンザイで「います!!」と言える。

Yのことが大切だから気を遣う。この場合の気遣いはとても心地良いものだ。
Yからもとても大切に扱ってもらっているという気遣いをいつも感じる。
私とYの間には、親しき中の礼儀が備わっている。

じっくり育んできた関係は、人生の後半、どんどん磨かれて、一緒にいるだけで有り難くて尊いものになっていくのだろう。

ありがとう。本当に出会えて良かった。
こんなふうに、ついついお互いに言ってしまう。そして必ず、出会いをもたらしてくれたそれぞれの親友に感謝する。その後で、そもそもこのバンドが存在したから出会えたんだということにわざとらしく「は!」と気付く。そうして、ますますバンドがもたらしてくれた今の幸せに感謝する、と言う脳内極楽ツアーを二人で楽しみ、別れを惜しみながらバイバイする。


・・・

こうやって、Yのことを文章にするとなんだか薄いなぁ。
もっともっと濃ゆい思いがあるのに。

大切な人への想いを綴るって難しい。
だから、絶対わたしに弔事は頼まないでほしい。
私も頼まないから。





#友へ
#エッセイ






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