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なんにもないはぜんぶある
わたしにはなんにもない
ちょっと前までは
ネガティブを含んでそうおもってきました
特別に努力してきたことや
自信を持って語れることや
糧にできるような失敗も苦労もない
それがずっとなんとなく恥ずかしくっていました
でも今はいいわるいなく
そのまんまの意味で
わたしにはなんにもない
っておもっています
『何もないっていうことは
全部あるということだからね』
わたしにそういう言葉をく
その10分でなにをしましょう
『10分程遅れてしまいます
申し訳ございません…』
と大変申し訳なさそうな留守番メッセージが
予約の1時間以上前から
電話に収録されていたことを知らずに
てきぱきとオープン準備を進めて
セッティング完了の時点で
ボーナスタイムの追加10分間
10分
小学校の頃って
お昼休みがたぶん長くても20分とか
たらふくの腹を抱えて
校庭へ全力疾走できるほどに
おとなの10分って
そんなに贅沢で
おてあてから始める世界平和
お手当てとはよく言ったもので
手を当てるだけで
心も身体もまあるくなる
医療もなんにもなかった時代には
王様の触れる手で病気も怪我も治っていた
そんな話も良く本で目にします
みんなが手を当てあっていたら
この世界ってきっと
もっと平和になるんだと思うんですよね
そうしみじみとおもった先日のこと
今日は疲れた~と呟いたら
同居人が肩から肩甲骨までぐいぐいと
おしてくれました
10分程触って
音のない時間(わたしのわたしに戻り方3)
音のない時間
これに関しては戻り方であり
ずれ方と言ってもいい位に
音との距離感はわたしにとって繊細なもの
わたしは昔から
テレビのある部屋での勉強とか
大勢がいるところで会話することとか
そういうことが苦手でした
情報としての音だけではなく
花火とかサイレンとか電車が通過する高架下とか
身体がこわばるのを感じます
そういう自分に自覚的である最近は
たとえば料理は
ラジオ聴きながらできる?
髪を切る(わたしのわたしに戻り方2)
わたしの実家は田舎の美容室
小さい頃からずっと
お父さんに髪を切ってもらっています
もうここ5.6年はショートカットに
落ち着いていて
実家まで帰るのが間に合わず
美容室っていうところへ行くようになったのは
やっと最近
ほんとうは
ショートカットの手入れをするのが面倒だから
伸ばしっぱなしをしたい
でもそれができない
なんで刈り上げ?って
聞かれることもあるけれど
なんでもなにも
要らな
身体の話し相手やります
“私はいつだって言葉が多すぎる”
最近観た舞台で吐き出された台詞の一節
え?その台詞なんだっけ?知っている‥って
瞬時におもったそれは
どこか外の世の中で出会った言葉ではなく
いつも私の中にあったものでした
わたしは決して
いわゆるコミュニケーションが得意な人間
ではありませんと今はおもっています
苦手なつもりもなかったのですが でも
それを得意とする人との
圧倒的な能力の差を感じたことが