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二河白道01/阿部信幾先生(2023/06/17)【仏教】

『二河白道』は親鸞聖人が書かれた『教行信証』に登場する。親鸞聖人の直筆の『教行信証』は一つしかなく、これは性信房に伝えられた坂東本である。現在、この坂東本が京都の国立博物館で親鸞聖人850年記念法要として展示されている。展示では正信偈の部分が開かれており、その部分が特に人気である。

『教行信証』は「教」(教え)、「行」(実践)、「信」(信心)、「証」(悟り)、「真仏土」(悟りの真実を表す仏と浄土)、「化身土」(方便として現実に働く世界)の六巻から成り立つ。正式名称は『顕浄土真実教行証文類』。

この中の「信の巻」に、信心を守護するために『二河白道』の例えが説かれている。この例えは元々善導大師が『観経疏』で述べたものであり、『観無量寿経』の注釈書である『観経疏』の「散善義」の部分に登場する。

七高僧

なぜ『二河白道』の例えが用いられたかというと、信心を守るためである。親鸞聖人のもとに阿弥陀様の救いの教えが伝わった過程を七高僧によって表現している。七高僧は、龍樹、天親、曇鸞、道綽、善導、源信、源空であり、親鸞聖人が法然上人と出会うことで、浄土真宗の救いが親鸞聖人に届いた。七高僧のうち直接面会して師弟関係を結んだのは、道綽禅師と善導大師のみである。

道綽禅師は末法の時代について説き、末法とは悟りを開く人がいない時代であると述べた。これは、お釈迦様の教えが説かれた時代には、修行を通じて悟りを開く人がいたが、その後は行が完全ではなくなり、悟りを開く人がいなくなったためである。この時代を「像法」の時代といい、親鸞聖人は1500年説を採っている。つまり、お釈迦様が亡くなってから500年間は悟りを開く人がいたが、それが過ぎると修行する人はいるものの、悟りを開く人がいなくなる。

2000年経つと末法に入り、末法の時代は教えだけが残り、修行する人がいない時代となる。日本の仏教においても、禅宗や真言宗などの修行は続けられているが、結婚している僧侶が多く、出家して修行する人は少ない。親鸞聖人は阿弥陀様の働きで悟りを開くため、出家は必要ないと説いた。

親鸞聖人自身も一生涯、袈裟衣を脱ぐことなく、末法の時代の僧侶の姿を示した。日本の仏教の現状は、まさに末法の時代を象徴している。

道綽禅師

道綽禅師という方は、末法の時代において唯一の救いの道は念仏によって阿弥陀仏の浄土に生まれることであると説いた。この考え方は親鸞聖人にも影響を与え、「道綽決聖道難証」として知られるようになった。道綽禅師は、出家して修行することによって悟りを開く仏教は、末法の時代にはもはや仏になる道ではないとし、念仏を唱えて浄土に生まれること以外に仏になる道はないと説いた。

道綽禅師が住んでいた玄中寺は、元々曇鸞大師が建立した寺である。道綽禅師は曇鸞大師の教えに感銘を受けて玄中寺に行ったが、当時曇鸞大師は既に亡くなっていた。玄中寺の碑文に書かれた曇鸞大師の教えを読み、道綽禅師はその前で深く頭を下げて「私はあなたのお弟子になります」と誓い、玄中寺に住み込んだ。

その後、道綽禅師が住職を務めている時に、善導大師が訪れ道綽禅師の弟子となった。善導大師は道綽禅師から念仏で浄土に生まれ仏になる教えを聞いた。当時の唐の時代は、中国が最も仏法が盛んであった時代であり、玄奘三蔵がインドから経典を持ち帰ったのもこの時代である。天台大師や華厳宗の祖師なども唐の時代に活躍していた。

善導大師は、念仏で浄土に生まれる教えの拠り所として観無量寿経を重視した。唐の時代の前には随の時代があり、煬帝という皇帝が父親を殺して即位したことが観無量寿経の阿闍世の故事と似ているため、観無量寿経は爆発的に流行した。その結果、多くの僧侶や学者が観無量寿経の解説書を書き始めた。

仏教の教典には、仏が説いたものを「経」、菩薩が書いたものを「論」、人間の師匠が書いたものを「釈」と分類され、「経論釈」に通じている人を三蔵法師と呼ぶ。例えば、摂大乗論は天親菩薩の兄である無著によって書かれた。また、釈経論部は経典に対する注釈書である。

菩薩の摂大乗論には、念仏によって平等に往生する教えが説かれており、それは縁のない人々に仏縁を結ぶために説かれたものである。これは、念仏を唱えたからといって直ちに仏になるわけではない。例えば、1円を貯金してもすぐに100万円になるわけではなく、少しずつ貯めていけばいつかは100万円になるのと同じで、念仏も同様に、少しずつ仏縁を結ぶための方便であると道綽禅師は説いた。

親鸞聖人は、法然上人の代理として関東に招かれた。したがって親鸞聖人の20年の説教は、完全に法然上人の教えそのものであった。これが『歎異抄』の内容である。

お釈迦様の真意を「念仏一つであると見抜いた」善導大師。念仏ぐらいで仏になれるはずがないというのは小乗仏教の人々だ。その人たちに対して信心を守るために説いたのが二河譬(にがひ)。二河譬のたとえというのはあくまでも信心を守るためのものであり、白道というのは信心を指す。

『教行信証』は観無量寿経と阿弥陀経を方便の経だという。しかし観無量寿経には真実の部分と方便の部分があり、これは念仏に関わる。観無量寿経の教えの中心は、『歎異抄』の言い方をすれば、「ただ念仏して弥陀に助けられるべし」、これが観無量寿経である。

しかし定善や散善が説かれている。定善でも浄土に往生でき、散善でも浄土に往生できる。なぜお釈迦様がこんな言い方をしたかというと、皆が行っている修行をこの世界で悟りを開く行から浄土往生の行に転換させるためである。浄土を目指す修行に変えなさいと進めた部分が定善散善である。しかしそれはこの世界で悟りを開こうという人々を導くための方便の説教である。

最終的に言うと、それで修行して浄土に往生しようとするなら、行自体は変わらないので、完全に悟りを開けない。だから最後に念仏に引き入れるために説いたのだ。念仏を唱えて浄土に生まれるように勧める、これが観無量寿経の真実である。

阿弥陀経がなぜ方便と言われるかというと、自力と他力の区別がついていないからである。阿弥陀経の特色は他の行が一切出てこない。観無量寿経には他の行が出てくる。

これは最初から念仏一つである。しかしその念仏が自力の念仏と取れるような表現がされている。だから一心が真剣にという意味に取る場合もあれば、それを他力の一心と取った場合には他力の信心に基づいた念仏と取ることができ、これが真実である。

観無量寿経の真実は念仏一つだと最後に出てくる。阿弥陀経も自力に捉える部分は第二十願である。なぜ自力かと言うと、我々の世間に合わせているからである。観無量寿経には自力が一切混じっていない。

どことは言わないが、「仏法を聞きなさい。仏法を聞いたら人生は充実する」というのは大嘘であり、騙されてはいけない。生き方なんて聞いたって意味がない。どんな生き方をしたって浄土往生はできない。生き方で浄土に往生できる説教なんてどこにもない。敢えて言えば、生き方で浄土に往生できるという説教をするのは観無量寿経だけである。

だからそんな話ではない。仏法というのは輪廻からどう解脱するかである。仏法を聞かない人はどうなるか。また輪廻に戻る。そして人間に生まれることは大変である。人間に生まれないとどこに生まれるのか。天国?冗談じゃない。天国に生まれるには人間に生まれるのの倍ほど良いことをしなければならない。人間に生まれるのは誤解である。

煩悩というのは怒りと貪りであり、その原因は愚痴である。愚痴というのは真理を知らないということである。因果の道理を知らないということから愚痴が生まれる。「なぜ私がこんな目に遭わなければならないのか」というのは、自分の過去の行いに原因がある。自分の過去の行いの結果が今の現実である。だからその真理を知ると愚痴は「なんでなんでなんで」ではなく、自分のやった結果が今自分を苦しめているのだと理解することができる。自分のやった結果が自分を幸せにしている。だから幸せになりたかったら、自分の幸せを求めるのではなく周りを幸せにすることだ。周りの人を幸せにすると自分が幸せになる。

だから言っておくが、西を求めて浄土に生まれようとしてこの世界を離れようとすると、離れられない原因が見えてくる。それが二河譬の例えである。


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