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無疑曰信(むぎわっしん)【仏教】

疑い無きを信と曰う

不疑(=疑わない)と無疑(=1μも疑いは無い)とは天地雲泥の差。
疑いが全く無くなる迄、批判精神を働かせないと無疑にはなれない。
解ってなければ疑いは付いて回る(いつもモヤモヤした信仰)
『不疑』から『無疑』には絶対到達出来ない。


「不疑」は単に疑わないことを意味するが、それはまだ疑念の余地がある状態。例えば、ある事実を信じるが、その背景や証拠に対して完全に納得していない場合、「不疑」の状態にあると言える。これは、まだどこかに「モヤモヤ」が残っている。

一方、「無疑」はその「モヤモヤ」を完全に取り払った状態を。ここに至るためには、批判的な思考を徹底的に働かせ、あらゆる角度から疑問を解消しなければならない。つまり、「無疑」とは一切の疑念を抱かず、全てを理解し納得した状態である。

この「無疑」の状態に達するためには、絶え間ない探求と自己批判が必要だ。「不疑」から「無疑」への道のりは険しく、単純な信念だけでは到達できない。何故なら、「不疑」は単なる受動的な信頼であり、「無疑」は積極的な理解の結果だからだ。

従って、「無疑曰信」とは、真の理解と納得に基づいた信念を持つことの重要性を強調している。それは、ただ信じるだけではなく、徹底的に疑い、批判し、最終的に完全に納得することによって初めて得られるものである。


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今後ともご贔屓のほど宜しくお願い申し上げます。