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後生の一大事の解決05/阿部信幾先生2023.10.06【仏教・浄土真宗】

後生の一大事の解決05


宿業について話す

みんな「業」についてあまり言わない。「業」に触れると差別につながるからといって避けているからだ。だからこそ「業」の話をしないと仏法の話にならない。今日はあえて「宿業」について話そうと思う。
「宿業」という言葉が出てくるのは、私の知る限りでは『歎異抄』だけである。

他の聖教には「宿業」という言葉は出てこない。親鸞聖人は『歎異抄』に書かれているような宿業観ではないと言う人もいるが、それを言い出したら聖教なんて読めなくなる。自分の都合の良い悪いに関わらず、聖教に書いてあることを何を言おうとしているのか聞く態度が必要だ。

『歎異抄』という書物は誰が書いたか分からない。
しかし、内容からすると親鸞聖人と直接会ったことがある人が書いたことは間違いない。「私は縁があって親鸞聖人のお話を聞くことができたので、これから生まれてくる人に対して親鸞聖人の教えを間違いなく伝えるためにこの書物を書きました」と書いてある。

つまり、『歎異抄』を書いた人は親鸞聖人と出会っている。そのため、この書物を書く力がある人となると、弟子の中でも有力な人が考えられる。
親鸞聖人の弟子の中でも筆頭に出てくるのは真仏房しんぶつぼうである。真仏房は非常に有力な弟子である。

もう一人、有力な弟子として挙げられるのは性信房しょうしんぼうである。性信房は親鸞聖人が生涯かけて書いた『教行信証』を頂いた人であり、この『教行信証』は今も直筆のものが一つしかない。それを受け取ったのが性信房である。

それともうひとつ、性信房についてこういう話を聞いた。
性信房のお寺は浅草にあるが、以前は茨城県にあった報恩寺というお寺だった。なぜ東京に移ったかはよくわからないが、茨城県のお寺が東京に移り、しかも浅草に来た。現在では銀座が中心だとか築地が中心だとか言われているが、実は浅草は東京ができる前から存在していた。

浅草寺という寺があり、浅草寺を中心に江戸が形成された。大体、寺を中心に町ができる。だから浅草寺を中心に町ができたため、東京の中心は浅草だった。当時の東京は江戸だったが、そこに別院ができた。それが振り袖火事で焼け、東本願寺も西本願寺も浅草の別院もなくなった。

東本願寺は徳川家康が作った教団であり、本願寺はもともとひとつだった。しかし、本願寺の力が強すぎたため、日本を治めるには本願寺対策が重要だった。昔からよく言われる「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」という句は信長が詠んだもので、相手が言うことを聞かないなら潰せというやり方だった。

一方、秀吉は「鳴かぬなら泣かせてみようほととぎす」という句で、プレゼント作戦をとった。西本願寺の本山の土地は秀吉が寄付し、本願寺と良好な関係を築こうとした。家康は「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」という句で、時期を見て対応した。

信長が大阪の本願寺を攻めた際、当時の門主である顕如上人と戦争し、天皇が仲裁に入り和解が成立した。顕如上人の長男である教如上人は大阪の本願寺を明け渡すことに反対したため、顕如上人は教如上人に後を継がせず、三男に継がせた。

本願寺のご本尊は親鸞聖人

家康はこの時、本願寺を分けるチャンスと見て、教如上人に新しい本願寺を作らせ、自らが土地を確保した。これにより東本願寺ができた。本願寺はもともと阿弥陀様が本尊のお寺ではなく、「親鸞聖人の木像がご本尊」である。

木像がないと困るね。だから木像はどうしたかというと、今は前橋にあるが、元は茨城県にあった妙安寺というお寺に親鸞聖人自刻の木像があった。「自刻」とは親鸞聖人が彫ったという意味ではなく、親鸞聖人が自ら認めたという意味だ。つまり、親鸞聖人が「これを私の木像としていい」と認めたということ。そのために、裏側にのみで一文字入れるという。それが「一ノミ入れる」ということで、自刻と呼ばれる理由だ。このような木像が何体か存在する。

報恩寺にもそのような木像があった。性信房のお寺には現在でも存在する。しかし、報恩寺はその存在を黙っていた。なぜなら、木像が取り上げられることを恐れていたからだ。実際、妙安寺は家康によってその木像を取り上げられてしまった。家康の手紙には、「その木像を東本願寺の本尊に出せ。その代わり、妙安寺を特別な寺として扱う」と書かれていた。

東西に別れた本願寺の話に戻るが、振袖火事の際に焼けた時、お東は家康が関与しており、浅草に再建するように言われた。一方、西本願寺は海を埋め立てて築地に再建するように指示された。築地は埋め立て地で、その土地を本願寺に与えるということで、埋め立てを行ったのは佃島の門徒だった。だから築地本願寺の一番古い門徒は佃門徒であり、彼らは江戸時代からずっとそこで一番いい場所を確保している。

家康は魚が好きで、江戸には漁師がいなかったため、大阪から漁師を呼び寄せた。その漁師たちは佃島に住み、最初に伝えたのが佃煮だった。佃煮は大阪の食べ物で、小さな魚を煮詰めて作る。そのため、佃煮の起源は大阪であり、佃島の漁師たちは浄土真宗の門徒だった。彼らが築地本願寺を作ったのだ。

歎異抄の作者唯円

話を戻すが、親鸞聖人と出会った者が書いたと言われる文献があるが、弟子の真仏房や性信房が書いたものではない。では、誰が書いたのかというと、江戸時代にお東の了祥というお坊さんが論文を書き、勉強会で発表した。それが唯円説であり、内容から見て唯円というお弟子が書いたに違いないとされている。

親鸞聖人が唯円を相手に「お前は、わしの言う通りできるか?」と尋ねた。唯円は「もちろんです」と答えるが、親鸞聖人はもう一度「本当だな?」と念を押す。「本当だな?」と。「もちろんです」と唯円が再度答えた。

すると、親鸞聖人は「人を1000人殺してみろ」と言い出す。「人を1000人殺したらお浄土に参れるぞ」と。この話には元がある。釈迦の時代に、仏教以外の宗教(外道)を信じる修行者が、お師匠さんの奥さんに誘惑されるが、断ると奥さんが逆恨みして「弟子が私を誘惑した」と嘘を言う。お師匠さんはそれを信じ、弟子に「1000人を殺し、その指で首飾りを作れ。そうすれば悟りを開く」と教える。その弟子が本気で始めたという話が元になっている。

この話が元となり、弁慶と義経の話が生まれた。弁慶が橋の上で刀千本を集める辻斬りを始め、義経と戦って負けて義経の家来になるという伝説がある。元々は釈迦の話であり、そのアングリマーラが悟りを開く話から派生している。

親鸞聖人が唯円に「1000人殺してみろ」と言ったのは、唯円に「お前の心が良いから1000人を殺さないわけではない。過去の宿業がないからできないのだ」と教えるためだ。さらに、「1人も殺すまいと思っても、1000人殺すことが起きることもある」とも言う。宿業によって人生が左右されるという考え方を示している。

続けて、唯円が「いや、とんでもありません、私は1000人どころか1人も殺せません」と言った後、親鸞聖人が「これにて知るべし」と言ったのは、「お前の心が良いから1000人を殺さないわけではない。過去においてこれが出て1000人殺す宿業がないからできないのだ」と。

さらに逆の言い方もして、「1人も殺すまいと思っても1000人殺すことが起きるぞ」とも言った。つまり、縁が来れば何をするかわからないということ。これが人生の姿だというのだ。宿業が関係していると説明している。

お師匠さんにやれと言われてもできないのは、やるだけの種まきがなされていないからだ。もし1000人殺す種まきがされていたら、1人も殺すまいと思っても1000人殺すことができると言っている。これが人生の現実だと。神様や仏様が運命を支配しているわけではなく、宿業が自分の人生を作っているという考え。

浄土真宗が生き方を問わない理由

だから浄土真宗は生き方を問わない。立派な生き方をしようとしても、なかなか生きられないから悩むのだ。嘘をつくのは悪いことだと知っているから嘘をついて悩むのだ。

だからこのように生きるべきだ、このように生きましょう、念仏を申す人はこのように生きようじゃありませんかと言われても、「宿業」が関係してくるため、浄土真宗は生き方を説かない。生き方を言い始めた時点で浄土真宗ではない。

生き方は問わないが、どうでもいいというわけではない。自分の思うようには生きられない。歎異抄の結論は「善き事も悪しき事も業報にさしまかせて」。良いことも悪いことも業報であり、やった行いに任せている。「ひとえに、本願を憑みまらせればこそ」、阿弥陀様は生き方によって浄土に生まれるかどうかを決めない。

阿弥陀様にお任せする者が浄土に生まれる。阿弥陀様に任せない者は、念仏をしても浄土に往生できない。信心が大事であり、生き方ではなく阿弥陀様に任せること。善悪は業報に任せて、阿弥陀様は生き方を問わずに救うとおっしゃっている。これが他力の救い。

生き方の先に救いがあるわけではない。生き方の末に救いがあるのなら、臨終の時に間に合わない。布教の最後にお聴聞が大切だから一生懸命聞きましょうと言うが、臨終の時には聞く暇がない。お聴聞が大切という話では救われない。

何を聞くかと言えば、阿弥陀様の救いは生き方を問わない。どんな生き方をしてもそのまま救う条件がない。この真実に出会うことが重要。「善き事も悪しき事も業報にさしまかせて、ひとえに本願を憑みまらせればこそ他力にてはそうらえ」。ここまでずっと生きてきた。生まれて死んで、生まれて死んで、これが生死の苦海。

私の生まれる前もあり、そのまた生まれる前もあり、ずっと生きてきた。この度生まれて死ぬまで生きる。生まれてから死ぬまでの話がこれを作る。人を殺したら地獄に落ちるというのは本当。地獄が他にあるわけではなく、人を殺した事実が自分に地獄をもたらす。己のやった行いの結果を自分が受ける。人に地獄を味わわせた者が自分が地獄を受ける。生まれてから死ぬまでの行いが次を作る。これが迷いの世界。

無疑心・疑蓋無雑

ここにおいて他力の信心をいただく。信心をいただくということは、何かをいただくものがあると思うが、信心という言葉はどんな宗教でも言わない宗教はない。ところが信心の別名があり、親鸞聖人しか使わない。それは「無疑心むぎしん」。

「無疑心」という信心の別名がある。この無疑心とは、疑いのない心を指す。もうひとつの言葉、「疑蓋無雑ぎがいむぞう」も同じ意味を持つ。疑いが蓋になっている状況を指し、無ということはこの蓋が外れている状態を意味する。計らいがない、疑いがないということだ。

疑いとは、阿弥陀様の働きに対する私たちの計らいを指す。阿弥陀様が働いて私を仏にするということを信じることが、私の計らいがなくなるということだ。名号を聞くということは、私の計らいがなくなることを意味する。名号とは本願成就を表し、阿弥陀様が全ての者を仏にするという誓いを示している。この誓いには48の条件があり、それが全て成就しない限り、阿弥陀様は仏とは名乗らない。

信心をいただくということは、阿弥陀様の誓いを信じることであり、私の計らいを捨てることだ。だからこそ、浄土真宗では生き方を問わず、阿弥陀様の誓いに頼ることが重要である。生き方に囚われず、阿弥陀様の救いに全てを任せることが求められる。

ここまでお釈迦様がお説教してくださったら、阿難という弟子が質問する場面がある。阿難が「お釈迦様、法蔵菩薩様はまだ修行中なのか、それとも修行が完成して仏様と同じなのか」と尋ねた。これに対する答えが以下のようになる。

「その法蔵菩薩はもう仏になってから十劫じっこうという時間が経っている」阿弥陀様はすでに仏となっていて、あなたの上に届き、あなたを救おうと働いているということだ。

ではなぜ阿弥陀様が働いているのに私が救われないかというと、その働きを疑っているからである。阿弥陀様の働きを疑うことは、自分が何かをして浄土に参ろうとしていることを意味する。だから説教を聴聞し、信心をいただいてから参ろうとするが、もちろん聴聞しなければ信心をいただけない。しかし、聴聞して信心をいただこうとすることも自力である。聴聞しなければいいかと言えば、永遠に信心をいただけない。

これが浄土真宗の一番の難関である。
いただこうという心が一番いただけない。なぜかというと、それは自分の計らいだからだ。自分の計らいを持ち出すと安心できない。阿弥陀様が働いていると知ったら、自分の計らいは不要になる。阿弥陀様が働いていることをどこで知るかというと、

「南無阿弥陀仏が私の世界に聞こえている、届いているということが、実は本願が成就して阿弥陀様が働いている姿であり、その証拠である」と言ったのが親鸞聖人や蓮如上人である。

浄土宗と浄土真宗の違い

ここが「浄土宗」と違う。浄土宗は「念仏は私がするもの」であり、私が念仏して浄土に生まれるというのが浄土宗である。(私が先にある)
一方、「親鸞聖人の浄土真宗」は阿弥陀様が南無阿弥陀仏の名号となって私の世界に届いていることが先である。

だからその南無阿弥陀仏の謂れを聞いたらどういうことかというと、もう阿弥陀様は働いていらっしゃったんだ。阿弥陀様の働いている証拠が南無阿弥陀仏が私の世界に届いているということだったのだ。それを知ったら疑いがなくなる。それを信心をいただいたという。

「疑い」というのは、丁寧に言えば「計らい」である。これが名号を聞くことである。名号というのは何かというと、お釈迦様が南無阿弥陀仏の謂れを説いたものである。南無阿弥陀仏の謂れとは、四十八願が成就して働いている姿が私の世界に届いているということだ。それが名号の謂れである。その名号の謂れを聞いて私の計らいがなくなった。計らいがなくなったことを「たのむ一念」という。

では、私の計らいがなくなったらどうなるか。
阿弥陀仏の働きがそのまま私の上に働くということだ。私の計らいが蓋になって阿弥陀様の計らいを邪魔していたのだ。阿弥陀様の計らいは、私のお念仏となって働く計らいである。阿弥陀様の救いの最終が、私はあなたのお念仏となってあなたに救いを告げるというものである。

これは先ほど皆でお務めした重誓偈の内容である。十方世界に届くのは念仏であり、私はお念仏となってあなたに救いを告げるということだ。だから浄土真宗の念仏は、唱えて救われるのではなく、「唱えている南無阿弥陀仏の謂れを聞いて救われる」のである。

信心正因

その謂れを聞いて救われるのを「信心正因」という。唱えることが往生の役に立つのであれば、「称名正因」であり、称名という念仏が浄土往生の種になるとすれば、「称名正因」の異安心になる。

「浄土宗」では、念仏を唱えてお浄土に参るとされる。「南無阿弥陀仏」を唱えなければお浄土に参れないという教えだ。「浄土宗」では念仏をしてお浄土に参ることを信心と言っている。

一方、「浄土真宗」の信心は、「念仏したら浄土に生まれると信じること」とは異なる。自分の計らいがないことを信心と呼んでいる。

計らいが邪魔をするというのは蓋のようなもので、蓋があると中のものが出ず、外のものが入らない。蓋が取れると阿弥陀様が届き、念仏として出ようとするのを、自分の計らいが邪魔してきた。例えば、「念仏なんか誰がするものか」と考えたり、「私はまだ若いから」と念仏をしなかったりする。これは自力心だ。

せっかく念仏に出会っても、「念仏して助かろう」と考えるのも自力である。唱えることも唱えないことも自力である理由は、唱えるか唱えないかが自分の判断によるからだ。これが自分の計らいだ。

名号と「南無阿弥陀仏」と出会うことで計らいの蓋が取れると、阿弥陀の働きがそのまま現れる。
「称名」について親鸞聖人は、称名の「称」とは「はかり」のことだと喩えた。
「称」と「秤」は同じ意味であり、「秤」とはたとえば、100gを載せると100gと表示されるものを指す。南無阿弥陀仏や名号が自分の計らいがなくなると、そのまま口から現れる。これを称名という。他力の念仏は、自力の念仏とは異なり、縁によって念仏が出るものである。

例えば、阿弥陀様の前に立つと自然に手が合わさって「南無阿弥陀仏」と唱える。縁によって念仏が出ることを他力と言う。ありがたい話を聞いたり、葬式を見たりしても自然に「南無阿弥陀仏」が出るのが他力の念仏だ。阿弥陀様の働きそのままの念仏である。これは自分の計らいが取れた状態で南無阿弥陀仏がそのまま出てくる姿である。

原口針水和上が詠んだ歌に「われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀 つれてゆくぞの 親のよびごえ」がある。この歌は、阿弥陀様が共にいるという意味であり、今臨終でも安心できることを示している。これが浄土真宗の教えであり、今聞いて今助かる話でなければ浄土真宗ではない。念仏したら助かる、信心をいただいたら助かるといった未来の話ではなく、今助かることが重要である。

阿弥陀様の「そのまま救う」がなければ今の救いは成立しない。「そのまま」とは条件がついていないことを意味し、今が臨終で間に合っていることを指す。これを聞いて今晩安らかに眠れない人は、まだ計らいが取れていないことになる。


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