内的心理器官(アンタッカラーナ)
意思(マナス)
理智(ブッディ)
我執(アハンカーラ)
心素(チッタ)
*註釈:ヤコービは、ナースィキヤ派(サーンキヤ派)と関係のない独自の原始ヨーガを、現存の経典および注釈から復元できると主張している。しかし、ヤコービはその出発点において、経典と注釈を無条件に一体視しているという誤謬を犯していることも指摘されている
サーンキヤ哲学
真我
自性 → 覚 → 我慢
意 + 根(眼・耳・鼻・舌・皮)
語・手・足・排泄器官・生殖器官
五唯(色・声・香・味・触) → 五大(地・水・火・風・空)
覚 ・ 我慢・ 意 総合して心と呼ぶ
サーンキヤ哲学の体系では、対象を視覚的に捉えることが重要視される。科学者が脳を調査する際、脳の働きを科学的に観察するのと似ている。
仏教徒の視点からすると、外部から対象として捉えるものは感覚器官と同様に扱われる。理智、我執、意思、心素(チッタ)などをまとめて内的心理器官(内官)と呼び、感覚器官の延長線上にあるものとして捉える。
しかし、これらは仏教で言う「意識」とは異なる概念である。マナス(意思)は内官、つまり内的心理器官(アンタ―カラナ)の延長線上にあるものであり、仏教での「意識」とは別のものである。この違いを理解することが重要だ。
縁起
十二因縁説は縁起というものが元になっている。よくブッダは縁起を悟ったという言い方をするが、では、縁起とは何だろう?
縁起とは、これらの条件を満たしていることを指し、「これ」と「かれ」が縁起の関係にあるということ。ブッダは、この縁起の関係に基づいて、無明から行が働き、生まれ変わりに至るメカニズムを察知した。そして、これらは連鎖したものと考えた。しかし、この縁起という関係は、通常の意味あいでの理性や論理学に全く適合しない。
四行をよく簡略化して以下のように二行で説明されることがある。
・「これ」があるとき「かれ」がある
・「これ」がないとき「かれ」がない
縁起とは、この二項目を満たすものだという解釈をする例が非常に多い。しかし、ブッダの悟った縁起は、四行が全て成り立たなければならないため、二行に簡略化してはならない。
また、論理学のように解釈して理解しようとする人もいるが、これも全く無意味になってしまう。縁起というのは因果関係のもっと強力なものである。因果関係というのは、「これがあるとき、かれがある」「これが生ずるから、かれが生ずる」これを因果関係と言う。「これ」が時間的に先で「かれ」が時間的に後である。因果関係というのは必ず時間の前後を含んでいるわけで時間の中にあるものだ。
だから、その因果関係の中でさらにきちっとしたもっと強固な関係になっているもので、「これがない時、かれがない」「これが滅するから、かれが滅する」というような状況であるため、生じたり滅したりする時の、直接の因である。「直接の因」になっているもの、それを縁起と言う。
単なる因果関係だったら複数の因があってもいい。複数その因を生む何かがあって、それがひとつの果を生む。そうするとその複数の因は全部因果関係の因になる。ところが、縁起の関係というのはひとつである。「これ」が生じると次のが生じ、「これ」が消えると次のが消えるという関係。ほぼ1対1の関係である。これを論理的に解釈するとめちゃめちゃになってしまう。論理学というのは時間というものが全く考慮に入れられていないからだ。
・「これ」があるとき「かれ」がある $${x⇒y}$$
・「これ」がないとき「かれ」がない $${¬x⇒¬y}$$
これを論理学で考えるとまったくおかしなことになる。
$${¬x⇒¬y}$$の対偶は、$${y⇒x}$$となる。したがって$${x⇔y}$$($${xとy}$$は同値)。
論理学は時間の概念を無視しているから、論理学は、同じ時間、同じ次元でないと成り立たない。縁起というのは論理学の領域を超えてしまっているため、縁起については、数学的な知性や論理的な知性では全く対処ができない。
さらに推し進めると、$${y⇒z}$$、$${¬y⇒¬z}$$も成立することになり、$${x⇒z}$$、$${¬x⇒¬z}$$もまた成立することになる。
これが論理学的な考え方だが、ブッダの説く縁起というのは直接連結してる二項目のことを言うのであって、$${x⇒z}$$ のように、間に$${y}$$が入るような$${xとz}$$の関係のことを縁起と言わない。
縁起というのは、連続する直接力を受け渡す二項でなければならない。「これが生じてかれが生じる」「これが滅するからかれが滅する」という関係にならないと、その生まれ変わりに至る十二の連鎖が成立しない。
これにより、生まれ変わりの過程が説明されるので、最初の因を滅ぼせば生まれ変わりを滅することができる、すなわち解脱できるというブッダの教えが成り立たなくなる。
したがって、「これとかれ」の連続する連鎖によって生まれ変わりのメカニズムを説明する必要がある。この連鎖が四つの項目をすべて満たすものであることが重要である。これが十二の因縁ということになる。
参考文献
仏教の基礎知識シリーズ一覧
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