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タイピング日記007 / 「ロング・グッドバイ」レイモンド・チャンドラー / そのあとがき、村上春樹。

■レイモンド・チャンドラーの独自性

ヘミングウェイは、自分がそこで何をしているか。何をしようとしているかを明確に理解している。人の行為は自我の強い影響下にあり、自我によって多くの領域を支配されているがゆえに、作家は人のなす行為を具象的に緻密に描くことによって、その自我の輪郭をより客観的に描くことができるというわけだ。それがヘミングウェイの書き方だった。それは多くの場合、自我そのものを描こうとするよりはずっと効果的である。もちろん「うまく書ければ」ということだが。


「もしあなたが、朝起きたときに腕が三本になっていた人間の物語を書くとすれば、その物語は腕が一本増えたためにどんなことが起こったか、というものでなくてはならない。腕が増えたことを正当化する必要はあなたにはない。それはすでに前提としてあるのだ。」(レイモンド・チャンドラー)

つまり腕が一本増えたために主人公がとる行為と、その行為が招聘するであろう別の行為との相関性の中に、腕が増えた理由も(自発的に)暗示されていくべきだというのが、チャンドラーの考え方なのである。


「私は思うのですが、生命を有している文章は、だいたいはみぞおちで書かれています。文章を書くことは疲労をもたらし、体力を消耗させるかもしれないという意味あいにおいて激しい労働ですが、意識の尽力という意味あいでは、とても労働とは言えません。作家を職業とするものにとって重要なのは、少なくとも一日四時間くらいは、書くことのほかに何もしないという時間を設定することです。べつに書かなくてもいいのです。もし書く気が起きなかったら、むりに書こうとする必要はありません。窓から外をぼんやり眺めても、逆立ちをしても、床をごろごろのたうちまわってもかまいません。ただ何かを読むとか、手紙を書くとか、雑誌を開くとか、小切手にサインするといったような意図的なことをしてはなりません。書くか、まったく何もしないかのどちらかです。(中略)この方法はうまくいきます。ルールはふたつだけ、とても単純です。
⑴むりに書く必要はない。
⑵ほかのことをしてはいけない。
あとのことは勝手になんとでもなっていきます。」

 彼のいわんとしていることは僕(村上)にもよく理解できる。職業的作家は日々常に、書くという行為と正面から向き合っていなくてはならない。たとえ実際には一字も書かなかったとしても、書くという行為にしっかりとみぞおちで結びついている必要があるのだ。それは職業人としての徳義に深くかかわる問題なのだ。おそらく。

レイモンド・チャンドラーの小説「ロング・グッドバイ」の解説「チャンドラーの独自性」より。村上春樹。


村上春樹 / wikiより


村上 春樹(むらかみ はるき、1949年昭和24年)1月12日 - )は、日本小説家文学翻訳家

京都府京都市伏見区に生まれ、兵庫県西宮市芦屋市に育つ。早稲田大学在学中にジャズ喫茶を開く。1979年、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。1987年発表の『ノルウェイの森』は2009年時点で上下巻1000万部を売るベストセラーとなり[2]、これをきっかけに村上春樹ブームが起きる。その他の主な作品に『羊をめぐる冒険』、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』、『1Q84』などがある。

日本国外でも人気が高く、柴田元幸は村上を現代アメリカでも大きな影響力をもつ作家の一人と評している[3]2006年フランツ・カフカ賞をアジア圏で初めて受賞し[4]、以後日本の作家の中でノーベル文学賞の最有力候補と見なされている[注 1]。精力的に、フィッツジェラルドチャンドラーの作品などを翻訳。また、随筆紀行文ノンフィクション等も多く出版している。

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