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掌編「予知夢」(8枚)

 わたしは雑誌やテレビで手や身体を触れずにスプーンを曲げたりトランプを透視したり、あるいは時空をねじ曲げる主人公が活躍する映画などをよくみていました。ですが、わたしの能力が、ほかのモノと、種類がちがっているものにはじめてきがついたのは小学四年生のときでした。

 科学で説明のつかない特殊な能力をもった人間が世界には少なからず存在する。そのような事実に疑いは持っていませんでした。たとえそれがペテンや映画の特殊効果のようなものであれ。そういういかがわしモノには必ず背景があります。私にも同じ能力が備わっていればなあ、とよく心で思ったものです。

 ある日のことです。それは理科の実験の時でした。

 校舎の三階にある理科室に行き、マグネシウムの燃焼の実験をしていました。私以外の生徒は全てといっていいほどマグネシウムの燃焼を面白がり、勉強とは関係なしに驚いていました。

 私はそんな実験にはほとんど興味がなく。一番後ろの実験グループの机で両ひじをついて両手の上にあごをのせてボーっと外を飽かずに眺めていました。するとほんの一瞬でしたが私が眺めていた窓枠に人の姿をした物体が落ちていくのが見えました。確かに人に姿でした。私は慌てて飛び起き、大きな声で「あっ」と叫んでしまいました。すると、担任の岡野幸子先生が私のほうを振り向き、

「どうしたの、遠藤さん」

「窓の外で女の人が落ちてきたのを見ました。」

私の発言でクラス全員が実験をそっちのけで全員、理科実験室のベランダに出てきました。一階のベランダの花壇にはパンジーが奇麗に咲いていました。

「だれもいねえじゃん」

「遠藤いつもボーっとしているからさ夢でも見ていたんじゃねえの。」

男の子の生徒に冷やかされました。幸子先生も

「実験に戻りますよ。はい、みんな各自、自分の席に戻って、次は普通の空気より少し酸素を多めに入れるとマグネシウムはどのように燃焼するのか実験してみましょう」

それから二ヶ月くらいたったある日のことです。

日曜日、私はいつものように遅く起きて、二階の私の部屋の二段ベッドの上で寝ころびながら本を読んでいたときのことです。

一階のリビングからお母さんの声がしました。

「美咲、降りてきて」

「わかったー」

 私は重い腰をやっと上げて、階段を降りてリビングに行きました。お母さんはテレビにかじりついていました。テレビではニュースが流れていました。お母さんが、

「見なさい、美咲の学校じゃない。何があったのかしら」

 テレビの中にはいつも見ている、朝遅刻すれすれに私が入ってく、あの校舎の南門が映し出されていました。

 ニュースの報道では男性のレポーターが冷静な面持ちで低い声でテレビに語りかけていました。

「こちらあきる野市立桜ヶ丘中学校では昨日未明、同校4年生の担任の教師、岡野幸子さん二十九歳が自殺をしているのは明らかになりました、…警察の発表によりますと…    屋上からの投身自殺だと思われます、遺書などの遺留物はまだ見つかっていません、…未だ動機や原因は不明ですが…    警察によりますと捜査中とのことです…    以上現場からお送りしました、現場の山本でした」

 私は背筋が凍るように寒くなり、空気が凍りついたように、時が止まっていました。私はそのニュースを聞いて、腰が砕けたようにしゃがみ込んでしまいました。お母さんも

「えっ、岡野先生って、美咲の担任の先生じゃない」

「…うん」

 お母さんもどうすることも出来ず、私にどう話しかけてよいか分からなかったのでしょう。少し唖然としていたようです。

 次の月曜日はまだ警察の現場検証が終わっていなかったらしく、学校は休みでした。火曜日に登校すると、体育館で全校集会がありました。校長先生は神妙な面持ちで岡野先生の熱心な授業姿勢などを称えるように褒めて、最後には命の大切さを全校生徒に向けて語っていました。クラスに戻ると、教壇には花瓶が置かれており霞草などあまり派手でない花が活けてありました。副担任の津山先生が当面私たちのクラスの担任をすることになりました。津山先生はベテランの先生らしく私たちクラスの生徒のことを考えて、あまり刺激しないように岡野先生のことを語ってくれました。

 岡野先生は若い先生にありがちな自分の教育への理想や希望と実際の教育現場で直面した厳しい現実に相当悩まれていたそうです。

津山先生は私たちに

「自殺とは自分を殺す殺人罪です、わかりますか。どんな罪より重いのです、岡野先生もまだまだ若かった、私のように人生の半分以上を生きていると、いつも思うのですが、やり直しの出来ない人生などありません、だからどんなに悲しく、辛い時があっても、生きること、生き続けることが一番大事なのです」

 と柔らかく私たちに述べ、学校が配慮したのか、私たちのクラスは特別、ホームルームの後、帰宅になりました。

みんなが帰った後、私は職員室の津山先生のところに質問をしに行きました。

「幸子先生はどこで死んでいたのですか?」

「変なこと質問するねえ」

 津山先生は、幸子先生は屋上から飛び降り、落ちたところはパンジーが植えてあるベランダだったと教えてくれました。また私の背筋が凍りました。あの理科の実験のときに観たのは幸子先生だったのではないかと思うようになりました。

 それから私は昼夜、夢を問わず、私の脳裏に突然浮かぶイメージは時間のズレが多かれ少なかれあるにしろ、地下鉄駅構内でのパニックは地下鉄サリン事件のイメージだったし、場所は分かりませんでしたがとにかく、突然の大きなゆれで火事になり辺りが焼け野原になる夢が阪神淡路大震災、外国人がわけの分からない声で叫びあい、狭い非常階段を人がぎゅうぎゅう詰めなってパニックになっている様子のイメージはアメリカ同時多発テロでした、身近な隣人、友人の交通事故などの、死、にまつわる予知がことごとくあたっているのを自覚したのは私が幸子先生と同じ年齢になったときです。

 私は都内の会社のOLとして働いていました。まだ結婚はしていませんでした。同期が寿退社をし始めた頃。

 その頃から私はおかしな夢を見はじめました。

 夢で、女の人の背中が映っていました。その夢は女の人が、水を張った浴槽に子どもの首を押し付けていました。

 最初は、子どもは苦しいのか、ばたばたと両手を振って暴れもがいていましたが、だんだんと力が抜けるように、動かなくなり、子どもの身体はだらんとしてしまいました。その女性は振り向きました。

 その女性の顔はなんと私でした。


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