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冒頭で出会うVol.18_漁協にて

「日高さんと、三橋さん、いなくなって一週間になりますね」

安藤真帆は外のコンクリを見ながらいった。それを聞いて蒼ヰは同窓会名簿を閉じた。

結局、2003年度の、霧岬高校創立50周年記念同窓会名簿のなかの、どこをめくっても「三橋眞也」の名前はみつからなかった。2003年は蒼ヰが霧岬高校に入学した年で、同時に霧岬高校創立50周年の節目にあたる年だった。当時は蒼ヰが一年で三橋は三年生で同時に同じ高校に在学していたことになる。

蒼ヰや安藤真帆にてきぱきと実務的な指示をだしていた三橋慎也が、霧岬漁協本部をひとりで切り盛りしていたように感じていたが、実際に三橋が失踪してみて、三橋がいなくとも漁協は滞りなく回っていた。

「三橋さんの名前、見つかったんですか?」

盆に、淹れたてのコーヒーを淹れたカップをのせた安藤真帆が声をかけてきた。

「ん、ああ、名簿に三橋眞也という名前はなかった」蒼ヰはいう。

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潮のせいでたてつけが悪くなって、一瞬ガラスを引っ掻いたような音を立てドアが開いた。蒼ヰのデスクにカップを置いて安藤は受付にたった。あれえ、ハンコ忘れちゃったなぁ。ニッカポッカを穿いた若い男がズボンを弄っている。男が穿くズボンが漁師用の作業ズボンではなく安藤はふりむいて笑う。いいですよ。サインだけしておいてください、ココね。ハンコはあとで三文判でもいいです。サンキュー真帆ちゃんまた来るわ。手をあげて去っていく。三橋が失踪してから安藤真帆を見るためか、漁協に顔をだしにくる若い男が増えた。外で止まっていた白いバンに若い男が乗り込んでいった。白いバンがはしり去ると、日陰になった市場のコンクリがホースで洗われて水で、てらてら光っていた。その奥には入江になった漁港に繋がれた船が揺れているのが見える。

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「なんかそれって、逆に、三橋さんらしくないですか。そんな感じしません?」

「え、失踪が三橋らしい?」

失踪が三橋らしい。蒼ヰはそれについて考えてみる。一週間前まで、この霧岬漁協本部(といっても、入って受付の奥にデスクが四つあるだけの簡易郵便局程度の小さな建物)に、三橋慎也はたしかにいた。本来であれば、肩書きだけといってはあれだが本部の長である日高さんがやるべき朝礼さえ三橋がやっていた。盗まれたものはなにもなかった。今後もしかしたら、船の保険だとか組合員の住宅ローンだとかで問題が出てくるかもしれない。だが蒼ヰは、三橋慎也を名乗った男はそういう大きな詐欺をやらかすような男ではないような気がしてならなかった。そういう意味で安藤真帆は「今回の失踪が三橋らしい」と言ったのだろうか。

「真帆ちゃん、ここにきて、たしか五年目だっけか」

「もう八年ですよ。高卒でてすぐにここに就職です。いま二十六。いやだ蒼ヰさん、だれかさんと勘違いしてません?」

安藤真帆は意地の悪い顔してわらってそれから蒼ヰのデスクにくっついた、一週間前まで三橋が座っていたスチールデスクを顎でしゃくった。

「わたしが入ってきたその後すぐに三橋さん。ここにきたんですよね」

三橋もここにきて八年になるのか。一緒に働いて八年にもなっていたのか。蒼ヰは思った。

「よく覚えているね」

蒼ヰは熱いコーヒーを啜りながら安藤の記憶力に感心していると、

「だって、ここに勤め始めて右も左もわからないわたしに受付の業務と在庫管理から、それから経理とか融資とかの仕事をほとんどぜんぶを教えてくれたの、三橋さんですよ」

一瞬、安藤真帆に、本来なら日高か蒼ヰが安藤に教えるべき業務だったのだのでは、と睨まれたような気がして蒼ヰは肩を窄めた。安藤真帆は話を継いだ。

「簿記の一級も。三橋さんに薦められて取ったんですよ〜。するとこんどは、三橋さん、わたしに英語を薦めるの。わたし英語とか絶対に無理。そういう勉強がいやだから短大も行かずに高校でてすぐこんな鄙びた漁協に勤めてるんじゃないですか〜、っていうわたしに、違うんだよ、漁協だとか高卒だとか、わたしはダメだとかそういうのじゃないんだ。英語ひとつでいい男がつかまったり玉の輿になったりつまんないと思ってたじぶんの人生がいっぺんに変わったりする時代なんだって、人生なんて本当になにが起こるかわからないんだ。とにかく訳なんかいいんだよ、意味なんかいらないんだ、じぶんでいいか悪いか決めずに、わからずにでもTOEFLでもTOEICでも一個とっとけばそれでいいんだって、すんごく強く薦められちゃって、それから三橋さんネットとかでも、こんなパーチクリンのわたしのためにですよ、オンラインの英語講座とか、音楽で英語を聞きながすだけのなんとかラーニングだとかそういうの色々調べてくれて、それで最近わりといい点とったんです」

安藤真帆は嬉しそうに語った。

三橋慎也はたしか、日高さんが連れてきたはずだった。日高さんが漁協に連れてきてそのまま蒼ヰの席の向かいにひとつスチールデスクを置いた。その後に事情を説明された。こいつは三橋といって役所の職員だ。役所でパワハラを受けたらしい。エリートコースだった三橋は助役かだれかに嫌われただ「漁協に出向け」と職場を追いやられた。その日からすぐに日高は三橋を連れて飲み歩くようになった。蒼ヰもよく誘われた。

日高のデスクの電話がなった。安藤真帆が走っていって受話器を耳にあてる。安藤真帆の顔がみるみると青ざめる。固まったままぎょろりと蒼ヰを見つめている。受話器を手でふせて、蒼ヰさん、新聞、しんぶん。という。蒼ヰは新聞を探すがどこにも見当たらない。受話器を切って安藤真帆が走ってきた。まだ顔が青かった。

蒼ヰの目は安藤真帆の携帯のディスプレイに釘付けだった。新聞アプリの東九州地域版の、それも東国合同新聞の小さい記事だった。

「東九州の分別県、東国市、霧岬港、汐干町の国道沿いのバラック家屋にて火災、放火か、二名の男女の遺体発見」

国道沿いに架かる河口橋の手前にあるバラック小屋は、日高の実家だ。そこには、日高の実家しかない。そこにあった部落の他の家はみんな数年前に立ち退いて、市街地の市営住宅に移り住んでいた。

ネットニュースの日付を見た。

その記事は、三橋が無断欠勤した翌る日の日付だった。

日高の実家には両親が住んでいたのか、母親だけが住んでいたのか。それによって、だれが死んだのか変わってくる。まさかじぶんの家に放火をして消えた?

それと、三橋と日高が、なぜまた、選りに選っておなじ日に消えたのか。

蒼ヰには謎が残るままだった。

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