見出し画像

物語に命が吹き込まれない理由

上記のスケッチは、一見、小説風に読める。

が、読んでくれた読者には申し訳ない(その前に❤︎を下さったかた、ありがとう!)のだけれど、どうも文章がイキイキしていないし書いているほうも小説を物語を書いている感じがしなかった。

最近は、本稿が書けずにイライラしちゃって、コラムの真似事のような記事ばかりをアップしていたわけである。

なにも書かないよりは。と思い、パタパタとキーボードを打っていたわけだが、本末転倒である。

上記のスケッチ読んだ読者はわかるだろうが、

「最後の弟子」第一章講演会にて(スケッチ)では、表層的な描写と説明ばかりに終始しており、本質的つまり読者がその場面の描写を読んで自分のこととして捉え、感じ取るような一元的な表現として描かれていない。

ボツである。だから記事にアップしたわけだ。

色々自分なりに「テーマ」「モチーフ」があるのになぜ物語が動かないのか? なぜキャラに命が吹き込まれないのか? それをここ二週間(いやもっと一ヶ月くらいずっと)考えていた。

ぼく(筆者)なりに、確定的に分かったことがある。

❶筆者が主人公たちの漁協の仕事が理解、把握できていない(取材すれば解決するのか?☞おそらく取材すべきだろう)。

❷主人公たち、蒼ヰ、三橋、日高の過去、背景、関係性が、しっかり掴めていない(物語を書き進めれば深くなるし、新たな地平が開けるだろう)。

❸「テーマ(プライド、虚像)」と「モチーフ(漁村、田舎、うわさ話)」はある。のである(生まれて初めての「レジュメ」、「プロット」からの物語の立ちあげなので、手順は間違ってはいないとは思うのだが)。

もうひとつ。

このnoteで第三者からのデータがある。見ていただくとわかると思う(ちなみに僕がnoteを始めた(初記事UP)のは昨年の11月26日)が、下記が全期間。

注意)コラム記事は無視してください。

見るべきは、小説のアクセス(アクセスの経緯がどういった経緯かはまぁ不明ですが、統計の絶対数も少ないけれど、ぼくの唯一のデータですので)

画像1

下記が、直近の週の集計、

画像2

二週間前まで、はぶっちぎりで「竜胆〜」Vol.9【祇園の夏、少女編】がトップだったのです。(リンクしておきます)

不思議なことに、じつは筆者であるぼくも、この主人公の「少女」は久しぶりのヒットで、6歳くらいの少女なんだけど、書いていて本当に生き生きと物語の舞台のなかを駆けまわった。さらに読者の評判も良かった(アクセス数だけだし、❤︎は少ないけど。でもこれってあまりないことですよね、筆者のヒットと読者のヒットが合致するってことは)わけです。

読者のこと(物語の解釈)は、千差万別なのでぼくにはわかりません。ですが、筆者としてわかることがある。

場所は何度もおなじロケーションで文章練習を書いていた、

「京都のある路地」がいよいよ書き手のぼくの頭のなかで鮮明に浮かびあがってきて、それがどこになにがあるか、を完璧に掌握していた。少女が走れば、少女の背丈から何が見えるか?転べば周りに路地の地面には何があるか? 粉屋なるカフェの裏手には何が置いてあるか? 路地で遊ぶこともたちは何人いて、どの悪ガキがその場を仕切っているのか? 姉の店にやってくる男はどのような印象の男なのか? 少女の目線になってハラハラドキドキしながら書いた記憶があります(これが一人称小説の強みですよね)。


むむむ。老作家は、置いておき。

蒼ヰ瀬名と、三橋眞也と日高健治。

蒼ヰ瀬名(35)はもちろん。

とくに三橋慎也(37)と日高健治(45)は、もう少し掘り起こせば、なにかが動き始めるような気配も感じられる。

三人のミニストーリーをひとつずつ書いてみるのも手かもしれない。

年齢もあるのかな。でも6歳の少女はなんだか上手くかけたんだよね。笑。

筆者にキャラを描く得手不得手ってあるんでしょうね。


とにかく、地道に書いていくしかないな。

^ ^


よろしければサポートおねがいします サポーターにはnoteにて還元をいたします