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前回の記事/宗教とは何か?神はいるのか?/のお詫び。

粗品はあげません。笑。

が、前回の記事でコメントを頂いて、自分が間違っている。

ことに気がつきました。

リンクはいらないと思うけど(時間が経つとわからなくなるので)一応、貼っておきます。

ぼくがたまに覗きにいく、のり子さんのコメントです。

全部の引用はせずに簡単に。

「困った時の神頼みですね」

というくだりに、ぼくがコメント返しで「筆者としての意見」を挟んでしまった。つまり筆者が本文の内容を、

「これが正しい文脈です」

と読者に勝手に押しつける形になってしまった。わけです。

これはどういうことかというと、ぼくが書き手として成長していない。ことです。

小説でもおなじことがいえます。

プロの作家から文章指南を受けていたときにも指摘されました。

「じぶんで読者に解釈を投げだすな」

「じぶんで説明しきれぬことを、道具として使うな」

例えば夏目漱石の「それから」(ちなみに前の師匠は、そこらへんの大学の夏目漱石研究者よりも夏目漱石作品に詳しい人でした)。

物語の「それから」それ自体の「暗喩」が結(ラスト)は別だし、それこそプロでも上級者(夏目漱石級の作家)のなせる技です。

つまり、ぼくは書き手として、「そこからの解釈は読者よ、想像すればわかるだろう」という格好つけをしていただけに過ぎなかった訳です。

それから、なんとぼくは筆者(書き手)として最低な行為にでてしまう。つまり読者に訂正をしてしまった。最後の文章も加筆修正(それも、サイレントで)してしまっています。

これは、とても良くない。

大きく反省。

のり子さんには、まさしく記者会見クラスのお詫びの記事を上げなければいけないと思い、急いでアップしております。

前回のぼくの記事のように、ラストを、読者に投げて(ひどいと丸投げして)しまっている小説ってありますよね。

これは、どこまでもアマチュア(もちろん、ときに、プロの一流作家にもある)です。

たしかに、雑文、雑記、備忘録、エッセイ、あるいは小説、ショートショート色々あるとは思います。

でも、前回の記事のスタンスは良くなかった。

区切りとして、記事をアップしました。



(下記は、ぼくの小説作法のぼくへの備忘録)

それと、関係ないようですが、【初出】を投げない。

【初出】をいちいち丁寧に処理しながら物語を前に、前にすすめていく。

これはいま、ぼくの創作のなかで非常にかなめになっている。【初出】が「マクガフィン(秘密の箱)」だと、その大小の秘密の箱をさらに処理をどうするか、すぐに処理して物語を前にサクサクと進めるのか? どこらへんで開く(読者に提示する)のか? つまり【初出】のマクガフィンはどんなに小さかろうが、後ろへずらせばずらすほど「読者の謎」は大きく、「興味」はどんどんと膨れあがります。これは書いていて面白い。それも作為と作家の意図の練習(本稿ではつねに本番ですが、なにか? 汗、)になる。

それと、ラストシーンは、きっちりとマクガフィンを開かせる。物語の闇を見せる(「(仮)最後の弟子」の作家の死と過去、三橋の過去、日高の過去=男のプライドそれ自体は物語全体をとおして読者へ提示させる)。


それと、

「置いておく」

これは、純文学を書いてきた癖なのか、筆がとまるのを、抑制する効果がある。

とにかく、

「書いた一文をあまり深く考え過ぎずに、まずは、置いておき、すぐに次の文章に取りかかる」

これは、レジュメ、プロットがあっての話だとおもうが、でも、悩んだときには「決定高までにどうにか処理すればいいや」と「置いておく」のは非常に有効な手段だ。

段落も、章も、一文も、まずは置いておいて、じぶんでかく物語の全体像をつかむ。
それから細部に命を吹き込む。
「置いておく」

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