「竜胆〜」Vol.7【Re.Start up】
プロの作家に文章指南を受けている。前回までの流れは下記、
講座のあと、美樹先生は、この掌編(竜胆の予約席)をめちゃくちゃの原稿つまり文章練習の「たたき台」にすればいい、どんどんと壊して、つくって、壊しつくして、アイデアもだしつくして、(梅干しを味がなくなるまでしゃぶりつくして)から、捨てる。それからまた新たなのを書けばいいんじゃないかい。
とう言うことで、
新たな「二人の、男女の(琴線の機微の)物語」
「シンプルなストーリー(ありふれてても、単純明快でも、ベタでもいい」を。再構築セシ。ニイタカヤマノボレ! 笑。
と言うことで、二回の冒頭の書きあぐね(ボツ)、
を経て、いちおうの、提出分を書きました。もう「竜胆の席」でてこない。www
題名は未定(ってかたたき台だからタイトルはなんにでもなる)
便宜上の仮題として、記事のタイトルをつけます。
冬。
京都の大徳寺裏の路地に「粉屋」とのれんをさげた、町に馴染みすぎたのか観光客はとおりすぎ、常連客しかたずねてこない間口一間の小ぶりな店構えの珈琲店があった。
粉屋ののれんからも、男の部屋がみえるはずだ。
二度と戻らぬ部屋を、もう一度みまわした。三畳の、黄いろく色あせた畳以外、なにひとつなかった。男と女の精液で湿ったせんべい布団も家財道具もすべて処分した。昨晩、枕に使ったリュックが男の私物のすべてだ。着替えはすでに東京に送ってある。
今晩、京都発新宿着の夜行バスに乗る。それだけだ。男は、年が明けた明日、東京の作家、龍洞虚人に弟子入りする。まだ、女には伝えていない。
畳に、じかに寝たので、全身が痛んだ。男は立った。
二階の窓をあける。夜のみぞれは雪にかわっていた。
窓の外は白く眩しすぎた。男はふらつき壁にしがみつく。眼球をかばうように男は目を閉じる。目を閉じると耳が冴えかえって、目をつぶった世界は白銀のしじまではりつめていた。まるで積もった雪が京都じゅうの音という音を土の下に抑えこんでいるようだ。窓の外の雪から突きあげる強烈な光は、男の閉じた目蓋のなかで無数の精子の影を炙りだしている。
男の目蓋にうつる無数の精子は、次第に、粉屋の、麻に滲んだのれんの藍色、右下に「円」と朱色で打たれた落款のような手書きのしるし、夏、陽炎があがるアスファルトに打ち水で腰をまげる浴衣姿の影、遠くから近くから呼びかける弾けた甘い嬌声、すき透る白い膜のような肌、節くれたほそく折れそうな指、青くうく手の甲のうねった血管、左の靨によりそう黒子、肩までたれた墨汁が染みこんだみたいな黒髪、男の血液や精液を吸って赤くなった尖った唇になって、脳裏に打ちよせてきた。
頭を振って男は腕時計をみる。三時を回っていた。
新宿行きは二十三時三十五分発だ。夜行バスの出発の時間まで男がこの部屋にいれば凍死しそうだった。
粉屋ののれんが、降りつもる雪で凪いでいるはずなのに、男をまねくように揺れていた。
男は女に会う気などなかった。が、ふらふらと、足が勝手に、粉屋に向かった。
元日のせいか、昼の三時すぎなのに、雪一面の路地は足跡ひとつなかった。きゅっきゅ、と男は安手の、草臥れてすり減ったスニーカーの底を、路地に積もった雪に、沈ませ、また沈ませ、粉屋の前についた。
昼の三時がすぎたというのに、黒雲のような雪雲が空いちめんを覆っていて、夜のように暗い。
ベルのついたドア横にある、夜の営業でつくはずの銅製のランタンの灯がついている。
それは女と出会ってちょうど一年は経った節目に男が日曜大工で付けたランタンだ。
ドア前からでも店のガラス越しに、カフェの主人がずいぶんと板についてきたエプロンを腰に巻きつけた女が、ひとりで立ちまわるのが困難なほど狭いカウンターのなかで食器を洗っている姿がみえる。二年前と同じだった。男は二年前からずっと六席しかないカウンターの止まり木の席に毎日座りつづけてきた。
女と自然にくっついて一年目の春だった。
「そろそろ、おれは、物書きで埒をあける」
女は驚いたように顔をあげた。洗っていたカップを泡にまみれた手からするりと落としそうになった。男は女にじぶんの決意を表明した満足感に浸ってさらに饒舌になった。
「でも有言実行。とかってひとはよくいうけどさ、言葉ってホント不思議だよなあ、真実ってのはいったん口にだしていってしまうとさ、パンドラの函を開けちまったみたいに、方々に、散りぢりに、雲散霧消になって消えていってしまう。そんな気がするんだよなあ。暗殺とか革命とかクーデターとか歴史が、個人の人生がひっくり返るようなことを、有言実行でどうやってやるんだ? 二律背反ってやつか。はっはっは」
言葉が男の口からついてでた。女は驚いた顔のまま男を見つめていた。
カップをひとつひとつ丁寧に拭きながら、女は口をほんの微かにうごめかせた。そのうごめきは、読唇術でも見破れないほどのうごめきだった。
「じぶんでわかってるんだったらいうなよ、だからできねえんだよ」
男は不吉な芋虫のようになった女の口のうごめきを見逃さなかった。
「いまなんていったんだ。おい」
女は男と目を合わせようとしなかった。音のでない芋虫のような女の口がゆっくりと、またかすかにうごめく。
「やっぱあ、わかってないんだぁ」
男は女の口の動きをまったく読めなかった。だがあのときの男と目を合わせようとせずに、黙々と、コーヒーカップをていねいに拭いているあの目は失望と軽蔑の目だった。男はそう思っている。
雪のなか、指がかじかんでいた。
男は粉屋のドアの前で俯いたまま、じぶんの足元を見つめた。スニーカーに泥で茶色くなった雪がしみ込んで、足先が冷たく、感覚がなかった。このままだと凍傷になると思った。
二年後に文芸新人賞をとらなかったら別れる。とったらば女にプロポーズをする。その約束が守れなかった自分への怒りなのか、現実に打ち破れたじぶんへの不甲斐なさなのか、男にずっと取り憑いていたいいしれぬ熱が、腹の底からこみあがる。熱が、とめどなく湧いては間歇的に吹きあがる。じぶんでも抑えきれない、どこにも辿り着かないやり場のない熱は、男じしんでさえ制御できないほど膨らむ。矛先をうしなった熱は、首を切られても際限なくで暴れまわるヤマタノオロチのようになって、まるでマグマのようにボコボコと沸騰する。男は叫びたかった。大声で叫びたかった。叫んでさけんでもさけび足りない熱を、なにかにぶつけたい。目の前にあるランタンでも粉屋の窓ガラスでも愛する女の肉の塊でも、金属バットかなにかでフルスイングしてぶっ壊したい。そんな恐ろしい衝動に駆られた。だが男は、生き霊のような、矛先をうしなった熱を、腹の底に沈めた。
男は踵を返した。安もののパーカーのフードをかぶりバス停のある北大路通へと歩きだした。
カラン。音が鳴った。
「ちょっと、ショウタ、寒いから入りなさいよ」
女の声がする。粉屋の店主の円だった。ショウタと呼ばれる男は振りむいた。
「開店休業中よ。豆、焙煎機でまわしているとこ。本当なら音がうるさいから営業外にやる仕事でしょう。でもほら、この雪で静かだから」
女は男を招き入れた。
男が先に店に入ると、女は濡れた手で、いつものように男のパーカーに積もった雪をぱんぱんと払った。
「さわんじゃねぇよ! 」
男は言わなかった。女は、男のほっぺたに濡れた手を当てた。
「わあ、つめたい。焼うどんでも食べる? レトルトね。すぐ作れるのはそれくらいしかないけど、まだコンロ掃除終わってないから。ふたり分、作っちゃうわね」
女はレジを抜けて一枚板をくぐってカウンターのなかに滑りこんだ。
男は立ったまま黙って女を見つめていた。カチャカチャと食器を洗う音が聴こえる。シンクのなかで、毎夜、男の腕をねっとりと搦めとってきた女の十本の指が、くねくねと食器の泡のなかでもがいている。
「ほら、ショウちゃん。店に入ってまで、なに突ったってんのよ」
柱時計は三時四十五分。男の耳が急にキーンと、高度があがったときの耳鳴りがしたかと思うと無音につつまれた。カウンターのなかで女がカチャカチャと食器を洗う音がまったく聞こえない。店内は音楽がかかっているのだろうか? 店内は外の雪いちめんの世界よりも静かだった。この店には音が無かった。男は恐ろしくなった。
「おい円、そんなこと後でやれよ、先にコーヒーをくれよ」
女はわざとかわいく頬をふくらませて見せ、男に真っ赤な舌をだしてみせた。それからサイフォンでコーヒーを淹れ始めた。
「ほら、ショウちゃんの席はこっちでしょ」
女は店内にだれもいないのを確認して、カットソーをさらに開いて、小ぶりな、淫らな胸を男にみせつけ、ウィンクをした。
「この、カウンターのうえで私を抱いてみる? 」
女は口パクでいった。男がグーで殴るマネをすると、女はヒョイと頭を引っ込めてみせた。
男は定席の止まり木の席に腰をおろして、うなぎの寝床になっている店内を、ぐるり、みまわしてみる。
あっ!
またきた。また、男の両耳は無音で塞がれた。男の左右の鼓膜は完全な無音につつまれた。
「なんか、曲、かけて、くれ、ないか、なんでも、いい」
男は女に伝える。
「え、ショウちゃん、なにいってるの? なにか食べたいの? ケーキ?」
「音だよ! なんでもいいから曲、かけてくれ! 」
男は叫んだ。女に向かって大声で叫んだ。女は、へらへらと笑って男のカップにできたてのコーヒーを注いている。女は笑いながら男になにかを言っている。
「あー、音楽? 早くいってよ、」女は、ステレオのスイッチへ手を伸ばした。どうやらスイッチを入れたようだ。小さいボリュームで店内に古いジャズがながれだしたような気がする。
違う。おれはまだ耳が塞がれている。男が見つめた女の手は、十字の蛇口をひねって水を止めた。水は、排水溝の穴へうずを巻いて消えた。
違う。おれは心のなかで、女が十字の蛇口をひねって水を止めたとしゃべっているだけだ。水は、排水溝の穴へうずを巻いて消えたと心でしゃべっているだけだ。水の音など聞こえていない。
そのときだった。
男は、女の店が、ガラリと変わっていることに気づいた。女の店が、まるで大きな波のように蠕動する龍の腹のなかのように感じた。女と出会った二年前は、レジ横に業務用焙煎機はなかった。粉屋はいまでは自家製焙煎豆を全国へネット販売するまでになっていた。男が触れる紫檀の一枚板のカウンター左手の壁には壁龕ができミニサボテンやミニ盆栽や文庫本が立てかけられ、白壁をキャンバスに、地元の美大生のモダンな絵が描かれてある。右手には大きな炭を塗ったように照った大黒柱があって背の高い棚に名盤ジャズのレコードが立てかけてあった。
この店は… いつの間に…
「じゃーん! 」
女の声が聞こえた。女は、焼うどんをやめて、ナポリタンにしたー。といって男の隣の席にまわってきてランチョンマットのうえに皿を置いた。
男は自分が耳が聞こえていることに気がついた。
「ほら、温かいうちに食べて、見て、これタコ足ソーセージ。まかない用のショウちゃん専用、裏メニュー」
男の右隣に座って女はナポリタンを食べ始めた。タコ型の赤いウィンナーソーセージをおいしそうに口に入れる。急に男も食欲が湧いてきた。男と女は飢えた野犬のようにナポリタンを食べはじめた。
「やだもー、下品。その食べかたじゃ、本当に焼きうどんじゃないー」
女の声が聞こえる。店内にカチャカチャとフォークの音と、男と女がナポリタンを啜る音が響いた。
「身体が温まったよ。ランチ代でいいかな」
男はいうと女は大げさに両の手で口を塞ぐ。
「今日くらいは、ちゃんと払うよ。今日が最後かもしれないから」
男が言うと女は鼻の下を伸ばして目を細めた。
「明日のランチは、ショウちゃんの好きなカルボ。取っておくね」
女がいうそれを男は制した。
「いや、おれ明日、だからその、ランチメニューは他のお客さんのために…」
女は男にしな垂れかかった。
「またぁ、食べたいくせにぃ」
男は最後のコーヒーを味わうように啜った。
「そうだな、明日も、いつものようにとっておいてくれよ。明日もくるよ。いつもの時間に、そうだ、あ、もうこんな時間だ、おれ行くところあったんだ」
女は、まるで幼稚園児にでもなったかのように、自分のおでこを男のおでこにあてている。
「こんなに雪が降ってるのに?」
男は、女の腕を、するどく払った。
「これ、明日のランチの分だ。とっておいてくれ」
女は、男に腕を払われたことにショックだったらしく、しばらく唖然としていた。
「明日、おなじ時間にまたくるよ」
カラン。ドアベルが鳴った。
粉屋をでた男は雪のなかに消えていった。
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