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高波碧 / 日比野京
2024年5月18日 12:48
言葉の虚しさが嘆かれて久しい。古今東西どの文学においても、近代へと年代をくだって行くにつれて文学者たちは言葉を芸術にとっての桎梏としてとらえるようになり、筆舌に尽くし難い情調やパノラマを前に言葉の虚しさ、言葉の非力さをひしひしと感じずにはいないように思われる。時あたかも1973年、ランボーが詩ふくめ文学から逃亡する前夜の一節である。アウシュビッツを冴やかに証言した『これが人間か』を処女作とする
2023年8月4日 18:51
京は和歌が好きだった。そのせいか、京の言葉にはいつもかろやかなスピード感と彫琢された表現とが織り合わされていて、さらりとした語調とリズミカルな響きもふくめてどこか薫風のなつかしさに似たような深みがあった。行儀良くならべられた言葉たちには一切の無駄がなく、それらはまさに和歌のような文藝で、だからだろう、京の文章はどのような歳のどのような人にとっても同じく非時間・非人称の真新しい驚きを与えた。僕も例外