高波碧 / 日比野京
随想の記録。著者は高波碧/日比野京。
あらゆる和歌の美学の原型である『古事記』から分岐し、自立しゆく歌たちの記録として。日比野京と高波碧の共著。
高波碧/日比野京による第一論文。愛、エゴイズム、主体性、アイデンティティ、共同性と個体性、死、ニヒリズムなど、〈私〉というふしぎな事象へと収斂していく文学的/哲学的な主題たちを珠玉の論理をつなぐことで実証的に分析することをこころみる意欲作。 ───── 日比野京による巨大な人間学の構想の第I篇にあたり、「あとがきI」のほかに「あとがきII」、「選書」を新たに収録。虚構の時代にそびえる孤峰としての比較社会学。
本など。著者は高波碧。
言葉の虚しさが嘆かれて久しい。古今東西どの文学においても、近代へと年代をくだって行くにつれて文学者たちは言葉を芸術にとっての桎梏としてとらえるようになり、筆舌に尽くし難い情調やパノラマを前に言葉の虚しさ、言葉の非力さをひしひしと感じずにはいないように思われる。 時あたかも1973年、ランボーが詩ふくめ文学から逃亡する前夜の一節である。アウシュビッツを冴やかに証言した『これが人間か』を処女作とするレーヴィも、そのカタストロフの禍々しさを言葉でえぐり切れないことへの呻吟から自ら
斜日の赤白橡に染まりゆく雪の野の歌 言附け サムネイル:菅かおる『水に咲く』
白馬の裾野で見た朝日のドラマチックな眩しさときらめきが瞼の裏からいつになっても消えないものだから、それを文学に昇華せずにはいられなくなって書いた短文。日比野京という名義で書いた『鷺』という小説の第一章の一セクションにあたる。 「黎明の眩しさ」というもの以上の至福を僕は知らない。壮大なオーケストラの音楽に象徴されるような響きの奢侈も、ビートルズやディランなどが聴かれたあの微熱と昂奮であふれた70年代のコミューンの目紛しさも、美術史の高峰と言われるような芸術家たちが革命的な力作
人が自らの行動を自由に決めることができたとしたら、一体、人々はどのような尺度で持ってそれを決定していくのだろうか。ある人は「正/邪」という対語における「正」の方を選ぶという。またある人は「愛/孤独」という対語における「愛」の方を選ぶという。またある人は「正義/不義」という対語における「正義」の方を選ぶという。なるほど、どれも立派なものだ。けれども困ったことに、僕にはそういった克明な形での尺度というものがなく、「一体、僕はどんな尺度で持って自分の行いを決めていけば良いのだ?」と
以前、砂漠みたいな東京の渇いた空気から抜けてみたくて、ずっとずっと歩いて1人で江ノ島まで行ったことがある。六月のことだった。脚がくたびれて、意識も遠くに攫われかけそうになりながら巨大な夕景の方へひたすらに歩いて行った。はしゃぐ人の声が弥立つ砂浜の方へ。砂浜についてイヤホンを外すと、びっくりするほど大きな波の響きが立ち上がって僕を包み込んだ。ふと、くたびれて焦点も合わなくなった眸を響きの方へ向ける。彼方は美しかった。 夕景には、金色がちりばめられた赤い波の絨毯が布かれ、その和
京は和歌が好きだった。そのせいか、京の言葉にはいつもかろやかなスピード感と彫琢された表現とが織り合わされていて、さらりとした語調とリズミカルな響きもふくめてどこか薫風のなつかしさに似たような深みがあった。行儀良くならべられた言葉たちには一切の無駄がなく、それらはまさに和歌のような文藝で、だからだろう、京の文章はどのような歳のどのような人にとっても同じく非時間・非人称の真新しい驚きを与えた。僕も例外ではない。 京の文学とはなんだろうか、と僕は言葉を綴りながら考えてしまう。プル
音階もコードも知らないと言っていたのに、なぜか京はピアノが上手だった。京は自分の指の赴くままにピアノに触れ、音調の中でしずかに微笑んみながらピアノの響きに満たされていた。そんな京の表情を見て、ああうらやましい、と僕はよく思った。ある日、京がピアノで何を弾いているのかを知りたくて「何をイメージしているの?」と訊いてみたことがある。すると京は、「私がいつもピアノで弾いているのは水の感触」と答えた。 水の感触。 月の出た浜辺のように微光をちりばめながら、なめらかに姿をかえる水。