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水の感触とピアノの響き。
音階もコードも知らないと言っていたのに、なぜか京はピアノが上手だった。京は自分の指の赴くままにピアノに触れ、音調の中でしずかに微笑んみながらピアノの響きに満たされていた。そんな京の表情を見て、ああうらやましい、と僕はよく思った。ある日、京がピアノで何を弾いているのかを知りたくて「何をイメージしているの?」と訊いてみたことがある。すると京は、「私がいつもピアノで弾いているのは水の感触」と答えた。
水の感触。
月の出た浜辺のように微光をちりばめながら、なめらかに姿をかえる水。渇いたところにじわりと染み込む水。ごうごうと渦巻く水。波打つ水。ひんやりとした柔らかい感触。そのプリズム。京は水の微かな感触の差異をよく記憶していて、そこにいろいろな命の生成と消滅とを見ていた。それは、天空のランダムなきらめきの中に騎馬や楽器や神々だのの大饗を見ることができた、かつての文明人の瞳の力に近いものだったと僕は思う。京のピアノは文章と同じようにミニマルで虚飾がなかったが、かと言ってコンテンポラリーアートのような寂寞としたものではなくて、むしろ水の感触やその波立ちの光景が瞼の裏におのずとうかんで来るようなそう言うものだった。
大気と水、その微かな波立ちととけ合い、光の粒子のざわめき、見出された存在たちの饗と祈り、そして回帰する水の感触。京のピアノはそれらの秘密にそのまま満たされていた。
サムネイル:菅かおる『まるい小宇宙(月光)』
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