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書くことがないときに僕の書くこと2024

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読むこと、書くこと、教えること、生きることについて
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#読むこと

20240704 Homme Qui Marche, Les Cartes

トマス・エスペダル『歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術』にジャコメッティのエピソードがあって、ジャコメッティ「Homme Qui Marche」の小さなレプリカが無償に欲しくなる。誕生日プレゼントにねだるとしたら、これか……。

かつて何気なく「Roland Barthes card」と検索したところ、ロラン・バルトの遺したカードの写真が何枚か表示され、それを度々見返す。気持ちが

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20240613 すなおに、ずばりと、大胆に率直に

岡崎裕美子『発芽/わたくしが樹木であれば』の粉飾された赤裸々さの感じが嫌になって手に取った『啄木歌集』だが、寡聞にして存じなかった薮野椋十なる人物の序文が、(当時の感覚はわからないが)軽快でおもしろく、そこに「こんな事をすなおに、ずばりと、大胆に率直に詠んだ歌というものは一向にこれない。」とある。「すなおに、ずばりと、大胆に率直に」! まるで岡崎裕美子ではないか……などと思って、そういえば岡崎の歌

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20240612 毎日書くような気持ちでいないと

毎日書くよりも、書くことがあるときにしっかり書いた方が多少読めるものができあがるようには思うのだが、毎日書くような気持ちでいないと、書くことは現れてこない。

ストレスが溜まっている。結局、すべて仕事に関わることがストレスになっている。仕事に関わらない習慣だけが……読むことであり、書くことであり、語学であり、百人一首であり……だけが、一時的にせよ解放である。

岡崎裕美子『発芽/わたくしが樹木であ

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20240605 歩きつかれる

よく働いたものだ。教育実習に行ったとき、指導してくださった先生が「教員は肉体労働だよ」と教えてくださったが、なるほど、教員とはそれなりに肉体労働である。

キルケゴールが「歩きたいという欲求だけは失うな。私は毎日、歩くことで、健康になっていき、あらゆる病が縁遠くなっていった。」と書いているらしい(エスペダル『歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術』)が、俺は毎日数万歩歩き、健康は損な

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5/21 歌集が読めない

岡崎裕美子『歌集 発芽/わたくしが樹木であれば』を読んでいる。この文庫が出るまで単行本が手に入れにくい状態で、雑誌や短歌の本などに載った幾首かを読んで「これはすごい!」と思っていた時期もあったのだが、こうして歌集で続けて読んでいると、何というか、映画のワンシーンとかの方がよほど詩だなぁという気持ちになってしまった(ここで映画が思い浮かぶのは、世に評判の「したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤

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5/16 雨の日の椅子取りは/現代の詩人の主戦場を聴く

雨の日、我々が教室で勤しんでいた椅子取りゲームは、満員電車の予行練習なのであった。それは学歴奪取の、キャリア形成の象徴であり、人の世で生きるということの始まりなのであった。

満員電車に押し込まれて突っ立っていると、当然読書どころではなく、音楽でも聴くほかないのだが、思うに、現代の詩人の主戦場はポップスにあるのである。と思ってJ-POPを聞き取っていると、新しい言語使用とイメージを開拓せんとする意

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5月6日

千葉雅也『アメリカ紀行』を読み、有限性の意味深長に勘付き、だらだらと続けて続けられなくなっていたこの日記めいた一連の文章にも一区切りを入れ、また書き始めることにした。連休の最終日……余裕がある時に始めなければ、始めることはできないし。余裕のある時に始め、平時は、習慣によって進むのみ……。