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分岐点に触れるときいつも泣いている


もう二月になっている。note自体は開いていたのだけれど、フォロワーの日記を読むだけで終わり、その間に何件か前の記事にいいねをくれていて、読んでくれている人がいることはとてもありがたいことだけれど、私は面白くない人間なので、面白いことが書けない(面白いことを書こうとはしてないけど、いるでしょ、面白い人って、すごく憧れる)ので、どんな気持ちで読んでくれているのかなあと時々考えます。でも嬉しいです本当に。ありがとうございます。
日記を書かない間にいろんなことがありました。

神戸に行きました。中華街?にも行ったし(ちょうど春節?だからすごい人でした)、古書店や個人経営の本屋さんにも回れるだけ回ったし、人生初のIKEAにも行きました。IKEAデート。その言葉を知ってるようで知らなくて、それらしいことができたのかわからないけれど、とりあえず楽しみました。田舎者なのでIKEAがどういう仕組みか理解するために何度か立ち止まりました。あの大きなお買い物バックが入店してすぐ持つべきか後からどっかで取れるのかわからなくて、でも周りの人を見ると持ってない人が多くて、倣って入ればいろんなお部屋のモデルルームがあって、それ見て回っているうちにあのお買い物バックを持っている人がちらほら現れて、そろそろ持つべきなのかもしれないと思ったタイミングで再びバッグが積まれているワゴンを発見したのでそこから持ち始めました。そしたらもう、入れるわ入れるわ。みんなもこのタイミングで持ち始めたんだろうな、と思いつつ、ガシャガシャしているバックを肩にかけ、いつの間にか彼もかけ、小物やら食器やらを買ううちに持つのがしんどくなって、最後の方でやっとカートに出会い(カートどっかにあったんだろうか、見つけられなかった)詰め込み、最後の最後でレジの海外っぽさに喜び、(なんだっけあれ、ベルトコンベアかな、あれに流すのよね、商品を)なんだかええ感じでした。あれはIKEAデートだったのでしょうか。正解がわからないけれど、楽しかった。
そして素敵な本屋さんに行ってたくさん本を見て、古書店では岸雅彦さんの「東京の生活史」がぼーんと横たわっていて、思わず驚いて、買いました。なんでこんな遠いところでこんな重たい本を買ってしまったのかと一瞬しっかり思ったけれど、嬉しさの方が優った。
(東京も田舎も住んでいる人は同じ人間なのに、生き方がこうも違うのね、と驚きつつも、とてもいい本やと思いました。)

そろそろ読みたい本もだいぶ買い揃えたし、今はぼちぼち読みつつ、作る方にシフトをやっています。ゆいなさんや秋ちゃんと読み始めた「死の棘」はまだまだ読めいてないけれど、はよ読みたい気持ちもありつつ亀です。そのあとはたまこさんに誘われた「百年の孤独」を読みたい。これもゆっくり。


本の話ができる友達が増えて楽しい日々です。職場でも、仕事の話ができる上司に恵まれているし、いい方へ進んでいる、と思う。(思い込みはだいじ。絶対)

そんな感じで楽しいこともありつつ、仕事との向き合い方についても考えつつ、今年はやっぱり、いっぱい頑張りたい年にしたいなあと改めて思いました。
短歌も小説も書きたいだけ書いていこうと思うし、仕事ももっと楽しくなるためにもいろんな勉強が必要だと気づき、とりあえ英語の勉強を再開しました。
図書館で英語がなんでいるの、って思うかもしれないけれど、めちゃくちゃすぐに役立てることというよりは、イベントのためであったり、自分のスキルアップのためであったり、色々、プラスになることが多いから頑張ろうというわけで、ゆるゆる、学んでいこうと思います。


泥沼のような数年を送ってきた身としては(知っている人は知っているでしょう、それはそれは、引きこもって病んで傷ついての繰り返しでした)
過去のことはどうしようもないけれど、これからのことはいくらでも変えていけるので、どんどんいい方向へ変えていこうと決心できたので良かったなと思っている。
少なくとも今までの自分は全てのことがうまく回らなくて、自分のせいで、医者しか相談する相手がいなくて、他人にとってはそれくらいどうにかしろよ、はっきりさせろよ、対応しろよ、みたいなことが全く対処できなかった。怖いのと、自信がないのと、一人になるのがどこかで怖かったのとで。
でもそれが全部怖くなくなったのは、複雑性PTSDだとか、鬱だとか、パニック障害だとかが、医者とか友人とか、本とか、時間とかとにかくいろんなものに適切に治療してもらうことができたからっていうのと、踏み出したことでいろんなことが動き始めたからであって。

だけど、賽の河原で積む小石のように、小さなことでも一個ずつ一個ずつ積み上げてても、誰かにとってはそれは見えないことであり、信じられないことであり、不要なことでもあり、不都合なことでもある。だから努力をしていても、他人の力によって、一気にがしゃんと崩される可能性もあるわけで。
いや〜それ考えたら何にも出来なくなるし、自分の性根は自分が一番よくわかっているのだから、この際他人は関係なく、自分がいいと思うことをちゃんとやっていく、ってことに重点を置いて、どんどん迷わず進んでいこうと思ったのです。昨日まさにそれを、夜中に一人で思って、一人で泣いた。多分悔しかったんだと思う。

誰のためでもない、自分のためにこうしていることが、自分にいつか返ってくるなら、それでいい。なんで認められることばかりに必死になっていたんだろう。
私が今頑張っていることをどういう風にとらわれたっていいじゃないの。
今、楽しく、今、幸せに、今、大事にできることを自分のできる範囲で大事にするというスタンスを崩したくないな、と思いました。

今が分岐点だな、と直感した。この直感は当たると思う。間違えてないという直感。

だから短歌も、小説も、とにかくやりたいことを好きなだけやって、たくさん笑っていられるようにしたい。過去は変えられないから、これからを変えるしかなく、過去のことばかりに気を取られて、今を見てられない時間がもったいない。
でも時々反芻して、悪かったこととか反省したこととかを改めて悔いることは必要だけど、だからって今の私を否定するのは違う。
見たくないものをずっと見ないで、見ようとするものだけを見て偏るのは違う。それは私の責任じゃない。自分のことを変えようとしない人に何を言われても、私はにこやかにスルーしていたい。

だから毎日、できるだけ笑顔でいたいです。君にできることがあるように、私にもできることがあるから。

明るい方へ進む、これからは絶対にそうする。暗いほうへは行かない。



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