見出し画像

もう見失わないでいて、

日々

いろんな人と関わって喜びと興奮もありつつもちょっと疲れてしまった9月前半、体調を崩しているうちにあっという間に後半に突入。刺激を受けて学べたことも多く、気づきを得た期間だった。だけど変化もあった。

いろんなことを諦めた。笹井宏之賞も出すの諦めたし、家事や人付き合いなど、諸々をそつなくこなそうとするのを、やめられる部分はやめた。
「できるだけ多くの小説や短歌の公募に出そう!」と思って書こうとするのをやめて、自分が書きたいもの(書けるもの)を書いた後で出せるところに出すか、短編中心で出せそうなところ、かつここに出したいな、というところを決めて、そこに合わせて書くようにする方が今はいい気がしていて、それがぬるいと言われればそれまでだけれども、基礎がないうちに、感性重視で、センスがないけど頑張ろうなんて無責任な考え方で取り組むのをやめた方がいい気がしたから、やめた。
わからないところは調べて、わかるまで読んで、ちゃんとした基礎を築いていくところから始めようと決めた、
そうでもしないと保てない心があり、自分の中の今の努力のやり方の限界というか、今の私のてっぺんに到達したような感じがしたので、ええい潔くあれ、と思い、今は読書すら少し離れて、遠くから自分を見つめ直している。

官能性をなくしてしまうと、全てが粗雑になる。いろんなことを見逃してしまう。花を見つめても「綺麗だな」だけで終わってしまう。そうじゃなくて、私って、そんなんじゃなかったはずなのに、そうなってしまっている自分を情けなく思っている。そして恐ろしくも感じている。あまりにも日々が早くて、立ち止まっていられなくて、全てが倍速で進んでいるのが悔しい。ちゃんと立ち止まりたい。深く深く息を吸って吐いて、を繰り返したい。
心が強くなることは繊細さを失うことと同義な気がしている。でも本当は繊細さを見失わずに思うままにいたいのに、「こっちがしっかりしなきゃ」とか「私はその立ち位置にはなれない」スイッチが入ってブレーキをかけているというか、そうやって自分と他者を天秤にかけて、他者が深く沈み自分が飛び上がるほど軽く天に月上がるのを当たり前のように受け入れてて、結局は何もかものほとんどを他人軸で生活していたのだなと思う。思うように生きることはまるで悪いことかのように思えていて、純粋に休みたい、純粋に考えたくない、純粋に今はできることだけをしたいし感じることだけをそのまま感じていたいと思っている私と、
その役割は私ではない、しっかりしなくてはいけない、フォローしなくてはいけない、気づいていることを知らないふりはできない性分だからと、これでも好きにさせてもらっている方なのだからと、できるだけのことをそつなくこなして生活を送れるようにしないといけない、できる限り良い人生を送らなくてはいけない、という自分で自分を追い詰めているシステムが通常運行していて、ただただ苦しかった。良い子であろうとする意識とその実現が遺憾なく発揮されていた。

だけど悪いことばかりではなくて、いろんな考え方を持つ人と関わり、いろんな意見を得て、お気遣いをいただき、優しくしていただき、言葉や文章を交わすうちに私の中に新しい考えが生まれて良い刺激をもらっていた。感謝することもたくさんあった。
だけど、咀嚼して理解してを繰り返すことで私の中身は何度も何度も入れ替わり、細胞分裂を繰り返すうちに、私が私を取り戻した時にはそれまでとは違う私が成分に含まれている感覚があってあまりにも覚束なく、不安になっていた。

そうしているとなんとなく、自分の考えを声に出すことや人と関わることが少しだけ恐ろしくなった。文字に向きあっている方が誰も傷つけないでいられて楽という意味では心地良いし、オラクルカードやタロットカードを通じて自分の心と対話している方が精神的に安定することができるし、心理カウンセリングを受けているときにありのままを吐露することで専門的な知識からアプローチしてもらえることによる深いメンタルケアに助けてもらったりしている方が自分の内的な環境を整えることができると感じたら、詰まるところ自分の欲しい答えは自分の中に明確にあって、本当はもっと自由でありたいと思っていることを再確認したのだった。環境に振り回されているうちに、自分が今どこにいるのか、何をしているのかわからなくなっていた。誰の言葉も届きやすくて、言われやすい環境にいると、本当に自分を見失う。見失わないようにしていたのに、いつの間にか見失っていたように思う。何度も何度も同じ過ちを繰り返しているので、もうこれからは、なるべく繰り返さないようにしていきたい。そして、同じ場所に戻らないように、思考の癖を治していきたい。
誰かのためでなく、自分で自分を尊重して生きていける人でありたいという気持ちがあったことを思い出すための、必要な経験であったのではないかと今は思えているけれど、渦中にいるとそうは思えず、もう勘弁してくれよ、と思いつつもどうすることもできない日々に忙殺されていた。
一旦それらを手放そうと思うし、少し立ち止まって、深く息をして、自分のことをまずは信じて、他人の意見に振り回されないようにしたい。
無理なものは無理だと伝えることや、必要以上に抱え込まないこと、私がしたいのだからする、いらないものはいらないではっきりさせることを念頭に、これからは生きていきたい。だって、私のことを一番大切にできるのは、私以外あり得ないのだ。そこは譲れない。悩みすぎないで、カラッとした心で、軽快に生きていきたい。いや、生きるぞ。大丈夫。好きなことを好き勝手やるぞ。みんなもそうであればいいな。

この記事が参加している募集

習慣にしていること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?