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それでも生きていくと決めたのだから


 阿波しらさぎ文学賞の1次選考通過作品と、最終選考に残った作品が新聞に掲載された。朝の6時過ぎから新聞を開き、睨むようにそれを読んだ。見覚えのある作者名がちらほらいる中、私の名前はどこにも見当たらなかった。上にも、右端にも、左端下にもいなかった。その中に彼の名前はあったのは嬉しかった。嬉しかった。

 夜は悔しくって泣いた。何回だってあるだろうこの悔しさを、一回一回こんなに悔しがってちゃ身が持たないような気がしたけれど、それでも湧き上がる悔しさとか、「またおもんないもん作ってしまったんや」、「結局いい子ちゃんのままやった」という気づきだったり、何が面白くて、なんでこれが面白くないかの違いがわかった気がして。彼にも同じようなことをもっとわかりやすく言葉にされ、さらになるほどという気持ちにもなったと同時に、反省と悔しさと怒りが打ち寄せてきて、瞳を越えて涙になって具現化した。何度だって打ち寄せてきては涙になって溢れてくるので、目は海だ、いや、体が海で、波打ち際が目なんだ、と思った。
 前回も悔しかった気がするけれど、ここまでではなくて、もっと楽観的に、次も書こう、次はもっとやるぞ、の気持ちがあったから。しょうがないと思ったから。でも、あの頃のしょうがなさと、今のしょうがなさは全く別物だし、なんなら今は、しょうがなくはないのだ。
 数日経った今でも、深く考えれば苦しい。でも、日々生活を送らなくてはならないから、できるだけ考えないように意識しているけれど、思い出したらすぐに泣きそうになる。「ほんとうの感情」というものは、すべて苦しい。

 個性がない。私には個性がない。無個性。普通。普通って、一般的。だけどずっと、人並みであることにどこか安心しようしようとしていた。ちょうど良いのがいいのだと思う時がある反面、それが嫌だとも思っていたのも本当だ。それは要所によって違っていて、ペルソナみたいなものというか。なんやろうね。何事かに負けてもいいと思えることもあれば、そもそもそんな競争に参加していないものもある。だけど公募するってことはいわゆる競争の世界だ。戦っている。箸にも棒にもかからないものを書いたってしょうがない。
 普通について考える時ほど普通という言葉の定義があやふやな時もない。そして結局は自分の納得のいく落とし所を見つけるだけのことで、どこにも正解がないことのように思う。だから、普通とは何か、を考えること自体が邪推で、でも、ものを作るときはやはり、普通ではいけないと思う。

 私が書きたいことと、それを読む人で感じ取ることは全く別物だってわかっているのに、そこまでの想像が足りていない。もっと上手く表現できれば良かったなとか、もっとこうすれば、あのシーンは、とか、書いている最中に思い浮かばなかったことばかりが今更浮かんでくる。今回の物語は、書き上げることができて心がすっきりしたという感覚はあった。書きたいことは書けた気がした。でもそれはブレインダンプと変わらないもので、物語ではあるけれど、ありふれたものだったんだな、と反省した。
 
 散々落ち込んだので今は少し気持ちが前に向いているし、落ちたからって、全てを諦めるつもりはなく、これからも頑張りたいし、また次の公募に向けて考えていきたい。直近は短歌の公募。その次が小説。やるっきゃない。

 私は私が特別でありたいわけじゃない。上記の話と矛盾してくるかもしれないのだけれど、特別になりたいのではなくって、何か役目が欲しいのかもしれないな、と考えた。でもなんだか、それもあっているようで違う。

 音楽をやっていた時の、書いては消して、書いては破り捨て、燃やした作詞ノートたちを今更かき集めることもできないし、何一つ詳しく思い出すこともできないけれど、素直に表現することが楽しかったあの頃の自分と、今の自分が全く別の人間になっていて怖かった。過去に戻りたくはないし、行くなら未来に行きたい派だけれど、心を空っぽにして歌っていたあの頃の、底なしの自信とか、歌が響く時の感動とか、気持ちよさとか、誰か一人でも立ち止まって聞いてくれたらそれだけで十分だと思っていたあの純粋さ。そこで出会った人々との会話。握手。寒い冬の夜にくれた温かい缶コーヒー。名前も知らない人からの声援。その笑顔、私が私を嫌っていた日々に、私が私ではなく「ソラ」という名前で歌っていた日々。
 ただただ、あの場所で透明になりたかった。ひたすらにそうなりたかった。その日々が懐かしいだなんて。自分で作ったものを歌うことも、好きな歌手の曲をカバーすることも、どれも純粋に楽しかった。そこに存在しているだけで良かった。そこにいるけどいないみたいな、透明である実感が良かった。縋っていた。歌うしかなかった、なんて、信じられないと思う。でも生きる希望が見えない時に、言葉を歌にすることが救いだった。どう考えたって、誇張ではなく、光っていた。静かに燃えていて、不幸から目を逸らして、歌っていけたら、それさえあれば良かったのだった。あのときは歌うことが好きだから、と思っていたし、今でも好きなのだけど、結局、今の私に残り続けているのは、歌うことではなく、書くことだった。書いて作ること。私について考えること。生きることについて考えること。それらだけが残っている。
 年月が経って気づいたのは、何かを手放して手に入れることを繰り返すことは、進むために必要不可欠だということ(YUIのTOKYOにもまさにそのようなフレーズがあった)。だから、言葉によって何かを捨てて、何かを得る必要があるんだとずっと、具体性はなく、本当に漠然と思っていて、それが今はこうして、短歌を作るとか、小説を書くとかになっていて、私の人生に本当に欲しいことなのだと自覚した。私を幸せたらしめるそのものではなく、私は私のやりたいことを叶えることこそが「不幸にはならないこと」なのだろう。
でも、こんなに考えていても、それに追いつかない稚拙すぎる筆力。まだまだ何も得られない実力。透明になれない濁った人間。

 諦めの悪い人間でいたい。自分を見つめ直したいし、何回ダメであっても、何回しんどくても、それでもいいからこれで生きたい、と今は思っている。気が大きくなっているかもしれない。でもこれでいいと思う。
ただ、悔しさに覆われたおかげで、泣いたおかげで、漠然としていた「何かが欲しい」という感覚がはっきりと文字にできたことを、忘れないでいたい。


透明になりたい。誰でもなく、何者でなくてもいい。
誰か一人でも見つめてくれる人がいてくれればいい。
あの頃無我夢中で歌っていた頃の私のように、透明になって、言葉を紡げる人になろう。
取り戻していこう、手に入れすぎた諸々を、少しずつ手放して自由にしてあげながら。


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