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評論

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大学のレポートのような、割とちゃんとまとめたもののような。
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ソウル・ミュージックの俯瞰と時代ごとの軌跡、その意義

ソウル・ミュージックの俯瞰と時代ごとの軌跡、その意義

「ソウル・ミュージック」という言葉が意味する音楽ジャンルについて考える時、私たちはそのルーツや内実の複雑さに困惑する。成立過程や代表されるアーティストについて共通した知識を持ち得たとしても、その認識には微妙な差異が生まれざるを得ないのではないだろうか。本稿冒頭では、「ソウル・ミュージック」の辞書的な意味を紐解き、サム・クック、レイ・チャールズ、ニーナ・シモン、アレサ・フランクリンの音楽をなぞりなが

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「月に吠える」二篇削除の再検討 ―事実関係の整理による読みの可変性

「月に吠える」二篇削除の再検討 ―事実関係の整理による読みの可変性


はじめに 大正から昭和にかけて活躍した詩人である萩原朔太郎は、現在その処女詩集「月に吠える」が最も広く知られている。同書は大正六(一九一七)年に感情詩社と白日社の共刊で出版され、両社の主宰である室生犀星と前田夕暮が発刊に大きく関わった。序文を北原白秋が書いたことでも知られる。

「月に吠える」は北原白秋、与謝野晶子、高村光太郎といった高名な詩人が、また後の時代においても同郷の詩人や評論家をはじめ

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石川啄木の、現代への警鐘

石川啄木の、現代への警鐘

 冒頭の1歌も含め、『一握の砂』は1~151までが「我を愛する歌」という小題でまとめられている。この「我を愛する歌」の最後の2歌について、ここでは論じたいと思う。

 筆者はこの2歌こそ啄木の歌の中で最も解像度の高い時代性・社会性を持った歌だと考える。冒頭の「東海の…」は、解像度よりも相対性を重視しているのに対し、この2歌は実際の人物や事件をそのまま題材としている。

 1909年10月26日、伊

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クィア文学としての夏目漱石『こころ』における「明治の精神」

クィア文学としての夏目漱石『こころ』における「明治の精神」

はじめに 『こころ』の文学理論としての読解は、多くの先行研究が存在する。作品に研究の数だけ読解があるとするならば、『こころ』は近代日本文学の中で最も主題の多い作品の1つと言えるのではないだろうか。作品が朝日新聞上で連載されてから既に100年以上が経過している今日改めて本作品に取り組む上では、必然的に先行研究の何れかに根ざしたものにならざるをえない。本稿では、そうした数ある作品論の中でも、クィアセオ

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