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「月に吠える」二篇削除の再検討 ―事実関係の整理による読みの可変性


はじめに

 大正から昭和にかけて活躍した詩人である萩原朔太郎は、現在その処女詩集「月に吠える」が最も広く知られている。同書は大正六(一九一七)年に感情詩社と白日社の共刊で出版され、両社の主宰である室生犀星と前田夕暮が発刊に大きく関わった。序文を北原白秋が書いたことでも知られる。

「月に吠える」は北原白秋、与謝野晶子、高村光太郎といった高名な詩人が、また後の時代においても同郷の詩人や評論家をはじめ、老若男女を問わず国内外の読者が高い評価をしているものである。その熱狂的な注目は、「初版無削除版」の前橋文学館寄贈という事件によって、歴史的な経緯にも波及している。「月に吠える」が、発表直後に二篇の詩が削除されたことはよく知られている。削除を免れた初版本が現代にも存在し、秀明大学の学長でコレクターとしても知られる川島幸希氏が、その「初版無削除版」を令和三(二〇二一)年に朔太郎の故郷・前橋の前橋文学館に寄贈したのだ。削除に関する経緯は、萩原朔太郎本人を含め多くの人が新聞や論文で論評しているため、先行研究は数しれない。

本稿においてはまず出版の経緯に触れ、「削除」にまつわる事実関係をまとめた上で、削除された詩の評価を検討することを通して、その意義を考えたい。

出版の経緯

 「来年あたりから大に奮闘して日本詩檀(ママ)の潮流を根本からくつがえす大革命を実行する確信があります、それだけは吃度(ママ)やって見ます、」というのは、大正五(一九一六)年十月二十九日に、朔太郎が従兄の萩原榮次に送付した封書[一]だ。

朔太郎に短歌への道を開き、その手ほどきをしたのは他ならぬ榮次である。「月に吠える」の扉には、「従兄 萩原栄次氏に捧ぐ」という一文がある。この書簡の翌年に刊行されるのが「月に吠える」だ。まさに「日本詩檀の潮流を根本からくつがえす大革命」が起きようとしていたのである。

大正六(一九一七)年一月には、『感情』の第六号に「月に吠える」の詳細な広告が掲載される。同号において朔太郎は編集状況を「元旦に発行する」としているが、これは叶っていない。より詳細な編集状況を、朔太郎は北原白秋宛の書簡に記述している。伊藤信吉は、この書簡の中で朔太郎が「ザムボア・及び創作時代の詠嘆調のものは、後にまた別の詩集に集めて出版する予定ですから、」「詩集全体の感じの統一を保つために、あまりに調子のさがったものは省きました」の書いており、この「別の詩集」が『純情小曲集』を指すことを[二]指摘している。詩集全体への著者の認識を考える上で重要な記述であると言える。

梅田順一は詩集の発刊が遅れた理由について、朔太郎が原稿を紛失したこと、発売禁止の内達を受けたことの二つを挙げている[三]。だがこれは、若干の留保を要する。確かに朔太郎は原稿の一部と室生犀星から受け取っていた跋文を紛失しているが、これは大正五年の年末のことである。一方内務省警保局から発売禁止の内達を受けたのは、大正六年二月、発刊が差し迫った時期のことであった。

「月に吠える」初版の奥付に記載されている刊行日は「大正六年二月十五日」で、印刷を「二月十日」としている。さらに前橋文学館に初版無削除版を寄贈した川島幸希は、「月に吠える」の装丁を行った恩地孝四郎が自身の日記で、二月十二日に同書を納本したことを記述していることを紹介している[四]。当時出版法の第三条は「文書図画ヲ出版スルトキハ発行ノ日ヨリ到達スヘキ日数ヲ除キ三日前ニ製本二部ヲ添ヘ内務省ニ届出ヘシ」としており、納本は発行者の法的義務であったのである。納本者について、伊藤は白日社の前田夕暮であるとしていた[五]が、これは誤りであることがわかる。伊藤がその根拠としたのは、夕暮が『詩歌』大正六年三月号に寄せたこの文章だろう。[六]

「月に吠える」はも少しで発売禁止になるところであった。納本してから九日目に内務省から発行者に向って直ぐ出頭しろといふ通知があった。室生君が驚いて行ってみると、一〇三項の「愛隣」といふ詩がいけないから削除せよ、若し書店に配布してしまったら全部禁止するといふ厳しい命令でもあり、比較的同情ある注意でもあった。幸ひ製本が遅れた為めに書店に配布はしてなかったので、その「愛隣」とそれにつづいた「恋を恋する人」を削除して世に出すことにした。危い事であった。

『詩歌』大正六年三月号

これは削除に関する経緯の説明として、もっとも知られたものである。この文中では極めて重要な点が複数含まれている。まず、警保局が注意を行なったのは詩のうち「愛憐」であり、「恋を恋する人」は「それにつづい」て削除したという点。そして内達の内容が、「書店に配布してしまったら全部禁止するといふ厳しい命令」であったという点である。いずれも次章で検証するとして、伊藤はこの後実際に発売された日付を、同じく白秋に宛てた朔太郎の手紙の記述を根拠に二月二十八日ごろであろうとしている[七]。また牧義之も、国立国会図書館に所蔵されている内交本[i]の奥付が手書きで「二月二十八日」に訂正されていることを指摘[八]している。こうして二月二十八日に発売された「月に吠える」だが、削除の余波はまだ残っていた。

削除の余波・朔太郎の誤認

 大正六(一九一七)年二月二六日、萩原朔太郎は地元紙・上毛新聞に次のような抗議文を寄せている。[九]

禁止されたものは「愛憐」及び「恋を恋する人」の二篇であつて、共に性慾に関する憧憬及びその美感を歌った者ではあるが、その取材といひ内容といひ極めて典雅な耽美的の抒情詩であつて、どこに一つの不思議もないのである。(中略)
ああ風俗壊乱の詩とは何ぞ。この問題は私にとって思議することの出来ない神秘である。いまはただ改版になった自分の詩集が、大変お目出度い官許の詩集であるいふ意味のことだけを述べておく。

大正六(一九一七)年二月二六日 上毛新聞

 削除された二篇について「風俗壊乱の詩」であるため禁止されたとし、また削除した「愛憐」「恋を恋する人」を「共に性慾に関する憧憬及びその美感を歌った者」としている。図らずも朔太郎自身がこの二篇を自ら論評した文章になったわけだが、いくつかの事実誤認がある。

 まず当時の出版法は一九条で「安寧秩序ヲ妨害シ又ハ風俗ヲ壊乱スルモノト認ムル文書図画ヲ出版シタルトキハ内務大臣ニ於テ其ノ発売頒布ヲ禁シ其ノ刻版及印本ヲ差押フルコトヲ得」とし、これに基づく処分が一般に発売頒布禁止処分として知られる。だが、牧は官憲側の目録などに「月に吠える」がないことから、正式な発禁処分ではなくあくまで「配布したら禁止」という命令の内達であったことを指摘している[一〇]。このため、「大変お目出度い官許の詩集」云々は当然誤りである。さらに牧は続けて、「恋を恋する人」が削除された理由について、この詩が本来注意を受けた「愛憐」と頁続きであることを挙げ、「禁止されたものは〜二篇であつて」という記述も誤認とした。注意を受けたのが「愛憐」のみであるという点は、先に引用した夕暮の文章からもわかる。

 この朔太郎の抗議文は広く知られており、初版復刻版寄贈を伝える朝日新聞の記事[一一]にも「収録した「愛憐(あいれん)」と「恋を恋する人」の2作品が「風俗壊乱」として内務省から発売禁止の内達を受けた」とあるなど、現代においても朔太郎同様の誤認がある。だがいずれにしても削除をしなければ発売が認められなかったため、全くの間違いということもないだろう。

二篇の詩をめぐる評価

 ここからは、削除された二篇の詩をめぐる評価を考えたい。警保局は当然ながら「愛憐」に風俗壊乱の疑いを認めたわけであるが、朔太郎は先に引用した通り「共に性慾に関する憧憬及びその美感を歌った者ではあるが、その取材といひ内容といひ極めて典雅な耽美的の抒情詩」とした

 伊藤は「愛憐」について「官能的表現が発禁の一つの対象とされた」とした。一方「恋を恋する人」は「一種の性意識の倒錯を主題にした作品」とし、「奇妙にういういしい性的な憧れがあり、そういうものとしての美感がある」としている[一二]。「屈折があり、その心理に一種の性的倒錯がある」とも述べ、「男性の女性化への空想が濃厚である。」と結んだ[一三]。

 佐藤房儀もこの詩について「少しも性堕落が感じられない」「少年の新鮮さすら匂っている」「肯定的な姿としての性欲を、女性を憧憬し渇仰することによって唱っているとも言える」と述べた[一四]一方、川島は紙面上で二篇を「エロスと死が感じられ」るとした[一五]。

結論

 二篇の評価は、いずれも削除にまつわる正確な情報に基づきなされたか否かによって、全く異なるものとなる可能性があるだろう。伊藤信吉は朔太郎と同郷の詩人であるが、彼自身も納本者などの事実誤認があり、経緯を正確に把握していたか疑問が残るところである。

 「愛憐」と「恋を恋する人」は、明らかに異なる性質の詩である。「愛憐」が「月に吠える」を初出とするのに対し、「恋を恋する人」が『詩歌』第五巻第六号にて既出である点や、草稿から同名の詩が見つかっている点からも明らかである。また伊藤や佐藤が指摘したように、「恋を恋する人」はより純粋とも言える女性化への憧れである。歴史的な経緯を踏まえると、二篇の詩を文学的に検証し直す余地がなおも残されている。


出典

[一] 萩原隆『若き日の萩原朔太郎』(筑摩書房、一九七九年)より引用

[二] 伊藤信吉「『月に吠える』の出版をめぐって」(『月刊本の手帖』昭森社、一九六三年十月)

[三] 梅田順一「『月に吠える』の出版の経緯 ‐日本近代文学文庫から」(『明治大学図書館紀要』三巻、明治大学図書館、一九九九年一月)

[四] 川島幸希「『月に吠える』の論文 −弥永徒史子さんの思い出と共に(前編)」(『日本古書通信』第一〇二七号、日本古書通信社、二〇一五年二月)

[五] 伊藤信吉「『月に吠える』の出版をめぐって 二」(『月刊本の手帖』昭森社、一九六三年十一月)

[六] 梅田順一「『月に吠える』の出版の経緯 ‐日本近代文学文庫から」より引用

[七] 伊藤 一九六三年十一月

[八] 牧義之「萩原朔太郎『月に吠える』発行の経緯に関する考察 ―内閲、削除、作者の誤認」(『文学・語学』二〇六号、全国大学国語国文学会、二〇一三年七月)

[九] 朔太郎大全実行委員会編『萩原朔太郎大全』(春陽堂書店、二〇二二年)より引用

[一〇] 牧 二〇一三年七月

[一一] 「月に吠える」故郷に帰る 朔太郎の初版無削除版、前橋へ/令和三(二〇二一)年十二月十三日 朝日新聞 夕刊 全国

[一二] 伊藤 一九六三年十一月

[一三] 伊藤信吉『日本の詩歌 14 萩原朔太郎』(中央公論社、一九七五年一月)

[一四] 佐藤房儀「萩原朔太郎詩研究 ―」『恋を恋する人』について―(『国文学研究』三十五巻、早稲田大学国文学会、一九六七年三月)

[一五] 「月に吠える」初版無削除版への渇望 前橋文学館「ないのはさびしい」でも「買えない」/群馬県(平成三十一(二〇一九)年三月十五日 朝日新聞 朝刊 群馬全県)


 [i] 「内務省交付本」の略で、出版法に基づき納本された書籍二冊のうち帝国図書館に納本されたもの。

※本文の内容は、脚注に示した諸文献のほか、以下を参照した。

・伊藤信吉編『萩原朔太郎研究 増補新版』(思潮社、一九七二年)

・中村稔『萩原朔太郎論』(青土社、二〇一六年)

・浅岡邦雄「出版検閲における便宜的法外処分」(『中京大学図書館学紀要』第三八巻、中央大学、二〇一八年三月)

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