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ソウル・ミュージックの俯瞰と時代ごとの軌跡、その意義

ソウル・ミュージック」という言葉が意味する音楽ジャンルについて考える時、私たちはそのルーツや内実の複雑さに困惑する。成立過程や代表されるアーティストについて共通した知識を持ち得たとしても、その認識には微妙な差異が生まれざるを得ないのではないだろうか。本稿冒頭では、「ソウル・ミュージック」の辞書的な意味を紐解き、サム・クック、レイ・チャールズ、ニーナ・シモン、アレサ・フランクリンの音楽をなぞりながら、その社会的意義を考えたい。


「ソウル・ミュージック」の辞書的意味

まず、平凡社・世界大百科事典「ソウル・ミュージック」の項を引用する。

1960年代を頂点とする,アメリカ黒人の現代的な大衆音楽。第2次世界大戦直後に興ったリズム・アンド・ブルースが,ゴスペル・ソング,ジャズ,白人のポピュラー音楽などの影響をうけ,ワシントン大行進(1963)に象徴される公民権運動の高まりにも刺激されて,黒人の感性を洗練されたサウンドで表現する音楽形態として発展した。これをそれ以前のリズム・アンド・ブルースと区別して,ソウル・ミュージックと呼ぶ。黒人の民族意識が高まった1960年代には,黒人同士が〈ソウル・ブラザー〉と呼びあったり,黒人独特の料理を〈ソウル・フッド〉と呼んだりするのが流行していた。〈ソウル〉はスラングとして,アメリカ黒人間の共通意識,特有の資質などを感覚的に表し,ソウル・ミュージックも〈魂の音楽〉という意味に解するよりも,アメリカ黒人の自己確認のための音楽といった含みでとらえるべきであろう。(以下略)

平凡社・世界大百科事典「ソウル・ミュージック」※太字筆者

この文章中では、極めて明確になっている点がいくつか存在する。1つは、ソウルミュージックがアメリカ黒人の大衆音楽であり、R&Bの後継音楽であるということ。1つは、「ソウル」という単語の重要性である。

後者に関しては日本人に理解し難いものを多分に含んでいる。
「”魂の音楽”ではなく”アメリカ黒人の自己確認のための音楽”である」という解釈については後述する。

前者に関しては、別の引用を行いたい。小学館・日本大百科全書(ニッポニカ)の「ソウル・ミュージック」の項である。

 1960年代以降のリズム・アンド・ブルース(R&B)の呼称。1950年代半ばから黒人ジャズ演奏家の間に、ジャズの基盤であるブルースの精神と、黒人教会音楽のゴスペル(福音歌)からの影響を強調して演奏し、それをソウル(魂)とよぶ傾向がみられた。R&Bはこの傾向を受けるとともに、ゴスペル色の強いレイ・チャールズや、人気の高い多くのゴスペル四重唱団からも影響を受けてゴスペルの感覚を取り入れ、50年代末にソウル・ミュージック(ソウル)へ移った。(以下略)

小学館・日本大百科全書(ニッポニカ)「ソウル・ミュージック」※太字筆者

ここでは「ソウル・ミュージック即R&B」という書かれ方がなされている。内容こそ「ソウルはR&Bの後継である」という趣旨であり、この点は平凡社のそれと合致する。一方それぞれが別物かどうかの表現が異なる以上、意味するところも当然全く違うものになろう。

R&Bとの違いと発展

音楽評論家 ピーター・グラルニックの取材に対し、音楽ジャーナリストのジェリー・ウェクスラーは次のように述べている。

 「慣例的というか、(中略)意味的なものを人々がでっち上げたに過ぎないね。あれは音楽の発展段階の一つで、それがある地点まで進化しただけのことさ。要はリズム・アンド・ブルースなんだよ」

※太字筆者

グラルニックは『スウィート・ソウル・ミュージック : リズム・アンド・ブルースと南部の自由への夢』中で、R&Bとソウルには決定的な違いがあり、それはソウルが人種差別に抗する「黒人の連帯宣言」であってR&Bからの大胆な逸脱であると考えていたが、執筆を通して徐々にその考えが変化したことを吐露している。

この差異に公民権運動が影響したことは間違いない。アメリカ史の文脈という作用が、音楽のあり方を大きく変えたことを否定する術は誰も持ち得ない。しかしソウルとはあくまでフィーリング、クライマックスを仄めかし続けるフィーリングの音楽であり、意識を開放する観念ではないということだろう。

「ソウル」の軌跡

ここで「ソウル」という言葉について再度考えたい。

50年代半ばから、R&Bがゴスペルからの影響を受けると同時的に「ソウル・ジャズ」が急速に流行し始め、グラルニックはこれを音楽シーンにおける「ソウル」の初出であるとする。リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカとして知られる思想家)は「ゴスペルが冷凍庫から救い出され、ジャズ、R&Bに最も力強く、最も健全な影響を与えた」としている。具体的には1953年のフェイ・アダムズ「シェイク・ア・ハンド」とジ・オリオールズ「涙のチャペル」であるが、いずれも未だR&Bからの展開にとどまっていた。

ソウル・ミュージックの嚆矢は言うまでもなく、サム・クックである。ミシシッピに生まれ、牧師を父に持つ彼は幼い頃から聖歌隊に入り、いわばゴスペルの「英才教育」を受けてきた。1950年には19歳の若さでゴスペルグループ「スターラーズ」にリードボーカルとして加入し一躍人気を集める。

57年、ゴスペルの域から脱しようとしていた彼はR&Bに全振りし、「ユー・センド・ミー」の大ヒットへとつながる。

これはのちにアレサ・フランクリンらもカバーすることになる歴史的な名曲として、名を残した。ゴスペル時代との違いといえば、重心が「信仰心」から「情念の発露」に移行したことだろう。

サム・クックといえば、「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」について触れないわけにはいかない。

元々政治的な意見を主張しなかったという彼だが、ホテルのフロントでの従業員とのいざこざを理由に警察に逮捕されたことをきっかけに、公共空間における人種隔離政策に対する疑問を抱くようになり、マルコムXやモハメド・アリらとも交流を持った後に公民権運動への連帯としてレコーディング・リリースされたと一般に知られている。

ソウルの社会的意義はここに極めて端的に定義されたと言っても過言ではない。「いつか変化が訪れる」というタイトルのこの曲は後に公民権運動の運動歌にもなるが、ボブ・ディランの「風に吹かれて」(同曲もまた、公民権運動と反戦平和への賛意を全面に出している)の影響を多分に受けていることも忘れてはならない。サム・クックのマネージャーであるJ.W.アレクサンダーは、次のように語っている。

「サムはこう言ったんだ。『ねえアレックス、ぼくも何か書かないと。白人の青年がこんな曲を歌っているんだ…』とね。あれが彼に〈ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム〉を書かせるきっかけになったんだよ。あの曲は、本当に公民権について歌っているんだ。」

サム・クック同様に、ソウルの草創期で名を馳せたのがレイ・チャールズである。彼に関しても語るべきエピソードは多いが、彼もまた1961年にジョージアで行う予定だった公演を、座席の人種隔離を理由にキャンセル。因縁の地となったことが2004年の映画「Ray」では描かれている。

79年にはジョージア州議会がレイの代表曲の一つ「ジョージア・オン・マイ・マインド」を州歌に定めており、歴史的な経緯が象徴的だ。

公民権運動とソウル

60年代は、公民権運動が佳境を迎えていた時期である。悲惨な事件も続発し、多くのアーティストがこれに抗議する楽曲を多数出している。

例えば1964年、ニーナ・シモンによる「ミシシッピ・ゴッダム」がある。この作品は映画「ミシシッピー・バーニング」でも知られる、フィラデルフィアでの公民権運動家殺害事件と、バーミンガムで起きたKKKによる児童殺害事件への抗議作である。

ニーナは必ずしもジャンルとして「ソウル」に分類されるとは限らず、ジャズピアニストとしての側面もあるため一概に語ることはできない。一方2015年に公開された映画「ニーナシモン 魂の歌」では、彼女自身が「ソウルの女王」ことアレサ・フランクリンと、自分のメインストリームにおける扱われ方の違いを随所で述べている。

この理由は明らかで、彼女の公民権運動に対するスタンスが、アレサのそれと質的な変貌を遂げたからだろう。彼女はキング牧師に対し「私は暴力を否定しない」と述べているし、そもそも「ミシシッピ・ゴッダム」の「ゴッダム」は「地獄へ堕ちろ」の意だ。さらに彼女はその後「アー・ユー・レディ?」という白人に対して極めて挑戦的な楽曲も発表している。ミシシッピにおける事件を受け目に見えて過激化していくニーナと、キングの道筋が離れていく様は、マルコムとキングの関係性を思わせる。

オバマの演説に見るアレサ・フランクリン

 キングと共にあったのは、アレサ・フランクリンであった。彼女の楽曲はいずれも博愛に満ちていて、それはいつの時代のアメリカ人も欲していたものだったのだろう。2016年にオバマ大統領が彼女について述べた文章が象徴的である。

The cool cat wept, King had marvelled. When I e-mailed President Obama about Aretha Franklin and that night, he wasn’t reticent in his reply. “Nobody embodies more fully the connection between the African-American spiritual, the blues, R. & B., rock and roll—the way that hardship and sorrow were transformed into something full of beauty and vitality and hope,” he wrote back, through his press secretary. “American history wells up when Aretha sings. That’s why, when she sits down at a piano and sings ‘A Natural Woman,’ she can move me to tears—the same way that Ray Charles’s version of ‘America the Beautiful’ will always be in my view the most patriotic piece of music ever performed—because it captures the fullness of the American experience, the view from the bottom as well as the top, the good and the bad, and the possibility of synthesis, reconciliation, transcendence.”

クールな猫は泣いた、キングは驚いた。アレサ・フランクリンとその夜のことについてオバマ大統領にメールを送った時、彼は返事をためらわなかった。「アフリカ系アメリカ人のスピリチュアル、ブルース、R&B、ロックンロールのつながりをこれほど完全に体現している人はいない」と、彼は報道官を通じて返事を書いた。「アレサが歌うとき、アメリカの歴史が湧き上がってくる。だから、彼女がピアノに座って『A Natural Woman』を歌うとき、私は涙を流さずにはいられない。レイ・チャールズの『America the Beautiful』のバージョンが、私の見解では最も愛国的な音楽作品であり続けるのと同じように。それはアメリカの経験の全体像を捉えているからであり、底辺からの視点も頂点からの視点も、良いことも悪いことも、統合、和解、超越の可能性もすべて含まれているからだ。」

Aretha Franklin’s American Soul | The New Yorker
https://www.newyorker.com/magazine/2016/04/04/aretha-franklins-american-soul ※太字筆者

「the fullness of the American experience (=アメリカの経験の全体像)」とは言うまでもなく、ソウル・ミュージックの系譜と文脈そのものだろう。

ソウルとは、時代の葛藤をそのまま反映しつつ発展した音楽ジャンルなのである。その意義は、反差別や公民権といった枠組みを超えた、歴史認識と共存、多様化の生き証人として、今もなお求められている。

参考文献

(1)Guralnick, Peter, 新井 崇嗣. スウィート・ソウル・ミュージック : リズム・アンド・ブルースと南部の自由への夢 / ピーター・ギュラルニック 著 ; 新井崇嗣 訳. 東京, シンコーミュージック・エンタテイメント, 2005, ISBN4401619188.

(2)Wolff, Daniel, 石田 泰子, 加藤 千明. Mr.soulサム・クック / ダニエル・ウルフ [ほか]著 ; 石田泰子,加藤千明 訳. 東京, ブルース・インターアクションズ, 2002, ISBN4860200462.

(3)Aretha Franklin’s American Soul | The New Yorker
https://www.newyorker.com/magazine/2016/04/04/aretha-franklins-american-soul

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