見出し画像

経験していない中での「死」について

「PLAN75」という映画が、カンヌ国際映画祭で特別賞を受賞!


満75歳から生死の選択権を与える「PLAN75」という制度が出来た、という架空の話です。

映画の感想はもちろん観てからにしますが。
この機会に、「死」について考えてみたいと思います。

死んだ経験のある人っていませんよね。
誰も避けて通れないけれど、経験したことはない。
なので、生きている間は、自分が迎える「死」はイメージでしかない。
「死」に対するイメージをどのように持つか。
これが、とても大切な気がします。


身近な死が減っている


核家族化が進んでいる
 ⇒おじいちゃんおばあちゃんの死を間近で見ることがない。
子供の数が減っている
 ⇒親類縁者の人数が減っている⇒親戚のお葬式にいく機会が少ない。
ご近所付き合いが減っている
 ⇒ご近所のお葬式に行くこともない。
また、今は「家族葬」が主流で、参列する関係者の範囲が狭まり、全体的にお葬式に行く機会が減っています。

身近に「死」を感じる機会が減っています。
「死」を感じるのは、誰かの死がニュースで流れたとき。
人身事故で電車が止まったとき。

死に至る過程や心境などの実際は、知りようもない。
もしくは、知ったように感じるだけです。

「死」がリアリティを無くしている気がします。
人の認識の「死」が軽くなっている気がするのは、私だけでしょうか?

意識して、考察を深める機会をもちたいと思うのです。


お勧めしたい本


ここでご紹介したい本があります。

僧侶で現在タイのチェンマイ在住の高橋卓志さん

著書3冊をご紹介したいと思います。

少し古い本ですが、内容は全く古くありません。

たくさんの「死」に向き合った著者の「死」の前、死そのもの、「死」後についての試行錯誤、逡巡、考察が書かれています。

いまから六百年前に書かれた中世ドイツの散文詩「ボヘミアの農夫ー死との対決の書ー」は、驚くべき構成で「死」の本質を僕たちの前に見せつけています。
<中略>
裁判官である神による<略>裁定を見ると、やはり死は真理を語っているからこそ勝利を得ていると言えるのです。わたしたちは今まで死と真正面から向き合うことがあまりありませんでした。健康な日常ならなおさらそうです。
しかし死が真理であるとするならば、やはり死をしっかりと見据え、そこから逆に生を充実させる技法を学んでいかなければならないと思います。

生き方のコツ 死に方の選択

この「技法」というところが、私は好きです。
死をぼんやりとではなく、将来確実に起こる「事実」としてリアルにとらえる。
そうすると、「では、生きている間に何をするか?」が具体的になってくる気がします。

次にこちら

社会背景、寺の役割、今まで当たり前としてきた慣習への疑問と提言が書かれています。

そして、


終末期医療や、安楽死の海外の制度や現場について踏み込んだ内容になっています。


「死」を考えることは、「生」を考えること


長寿命社会は、死を迎えるまでの期間をどう過ごすか、充分に考える余裕のある社会と言えます。

しかし長寿命を、まるで永遠に生きるかのような感覚で漫然と過ごしていないか、私自身心したいところです。

いつまで生きるかはわからない、でも不死身でないことは事実です。
この事実とどう向き合うのか。

死を考えることは、どう生きるかを考えること。

ともすると社会や制度の話に飛びがちです。
しかし、私たちはその議論の縁にも立っていない気がします。
一人一人が「死」と向き合いよく考えること。
それが、出発点ではないでしょうか。
50代からの人生では、特に大切なテーマではないでしょうか。

最期まで読んで下さり、ありがとうございます!

=======================
「50代からの未来をつくる」サービスを展開中
よろしければぽちっとご覧くださいませ。

=======================


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?