カド=カド

日々の悩み事や、これからの思想について、考えたことを記録しています。 Twitter→https://twitter.com/antonio_nuel

カド=カド

日々の悩み事や、これからの思想について、考えたことを記録しています。 Twitter→https://twitter.com/antonio_nuel

最近の記事

僕が悲しくなるのは、正しく不平等だから

例えば、誰か身近な人がが亡くなったとする。 そのときに僕はどんな気持ちになるのだろうか。 いや、本来はどういう気持ちになるべきなのだろうか? 若くして亡くなった方がいると、皆が口を揃えて「まだ若いのに可哀想に」と言う。 しかし、残念な僕はそれには同意しない。 人がいつ死ぬかは定められてはいないし、誰も分からない。僕たちが知っているのは、ただの大規模な統計データであって、それは種としての指標になることはあっても、個人がいつ死ぬのか?という問題にはほとんど関係がないことだと

    • 暇と退屈の考察 ー「暇と退屈の倫理学」を読み終えてー

      退屈とは変化度のフィードバックである國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」を読み終えて、自分なりに新しい「暇と退屈」の考察に取り組みました。その結果、退屈とは人間が時間の経過と環境の変化を認識し、それらの差から導き出される変化度が自己にフィードバックされる現象であるという仮説を導きました。 新しい仮説なのか、箸にも棒にも触れぬ暴論なのかとか、そんなことは僕に深い検証をする能力はないので何卒ご勘弁を! 「暇と退屈の論理学」の素晴らしさと違和感人はなぜ退屈するのか、そして退屈を

      • サンタクロースを教えることは罪か

        昨年いっぱいはスピリチュアルや都市伝説などの世間一般では「非現実」の「嘘」だと言われていることを積極的に信じてみるというキャンペーンを行っていたのですが、約束通り2021年に現実にかえってきたので、改めて客観的に ”それら” は何だったのか報告したいと思います。 ※自分のやったことを合理化するために割と肯定的に書いていますが、決して、積極的にオススメするものではありません。 非現実を学ぶことは無意味か?つい先日、心理学の名越さんのYOUTUBEチャンネル(https://

        • 学び続けないと、好きなことはできなくなる

          Youtuber的な ”好きなことで生きていく" ならば、"好きなこと" と自分が生きる "経済システム" について学ばなければいけないのは当然のことですが、ならば、"個人で" 好きなことをやるだけなら、やりたいことをやりたいだけやればいいのか? 僕にとっては、この答えは NO でした。 "消費" ≠ "学び"僕は物凄く反省しています。 自分なりに世の中の出来事の情報収集を行うこと、新しい技術やメディアに関心を持って体験すること、好きなこと心を傾けて参加すること、そんな

          幸せを掴むには、ハードル走をやーる

          今回は、現代人にとって幸せとは何か。です。 幸せというのは人それぞれで「これをやれば大丈夫!」などという、万人が利用できる解決策を見出すのは、超難問っぽいですが、何とか考えようと思います。 先日から、「生きづらさって何で起こんの?」ってなことを考えていたんですけども この時に考えていた「生きづらさ」の反対は「生きづらくない」であって、それって「幸せ」な状態に結構近いんじゃない?と思いましてね。 もし、その考え方が間違いでなければ、今よりもっと「幸せ」のことを理解できる

          幸せを掴むには、ハードル走をやーる

          生きづらい社会は向き合い方で変えられる

          現代人の生きづらさとは、どっから来るんでしょう。 色々な切り口で考えられる問題ですけど、「社会の定義」・・・つまり「自分が社会とどう向き合うか」という思想的なものに生まれるズレ・歪みから、無意識につらさは生まれてるんじゃないか、と考えてみたので報告したいと思います。 ◆サラリーマン型の社会定義の終わり生きづらいなー、と思うのは、自分(の考え方)と目の前の現実の間のどこかにミスマッチがあるからに他ならないと思うわけですが、 そのミスマッチの要因の一つに、社会に時間と労力を

          生きづらい社会は向き合い方で変えられる

          人は何に追い込まれているのか。

          生きていることがときにツラいと感じてしまうのは何故でしょう。 人は、お互いに争わず平和でありたいと思っているはずなのに、なぜか、何者かに自分は追い立てられている。 「追い込んでくるもの」について考えたい、そんな本日でございます。 ◆ 心に潜む「魔」人の心には、油断すると現れてしまう「魔」みたいなものは潜んでいて、それが自分や誰かを追い込んでくることがあるみたいです。 「魔」が現れた結果、その人の本来の姿ではない、イライラして何かに当ったり、怒ったり、悲しんだり、憎んだり

          人は何に追い込まれているのか。

          私たちの「頑張らなくていい」時代

          競争することを避けて、仲良く。 苦手なことの克服よりも、得意なことを伸ばす。 頑張らずに、デジタルの力で生産性を上げる。 今、僕はそういう時代に生きていると思います。 相変わらず、競争の激しい世界でてっぺんを目指す人達もたくさんおるけど、 競わずに個性を発揮することが本来の生き甲斐ではないかと考える人が、こんな時代だからけっこう増えたんじゃないでしょうか。 ホンマの話、「もっと頑張れよ」なんか言われたことないし、「頑張らなくていい」とばっかり言われ続けた人生でごさいます

          私たちの「頑張らなくていい」時代

          芸術のほんと

          芸術って何か改めて考えてみません? 絵、音楽、踊り、写真、彫刻とか、芸術に分類される行為や物が「芸術だ!」 と言うのは僕はちょっと寂しい。 僕は、芸術とは  無意味なものに、意味が芽生えること。 だと、思います。 例えば、絵だとこう。 ただの景観を書き出した1枚の絵がある。 客観的に見るとただの街の光景の記録である。 でも、 描かれた建物や人、 犬や車を眺めていると 見ている私の心に印象が芽生えてくる。 なぜか季節感を感じ出す。 それは 人の服装で

          芸術のほんと

          溶解する、上下の関係。

          -上下関係は、幻だった。 (強い口調で、自分に言い聞かした記事ですw偉そうに話しますが、威張っているわけじゃないですw) ◆そこにある、上下関係力や能力、年齢や立場が違うと、自然とお互いの関係には「どちらが上か」が考慮されることになる。 このときにいわゆる、上下関係が発生する。 どっちが偉いかということ。 でも、それは全て幻である。 ◆不本意な上下関係上下関係は、本来、お互いの関係をより良くするために存在する。 教える者と教えられる者、人を管理する人される人。 お互

          溶解する、上下の関係。

          人生で最も本来的な問いとは?

          人間生きていると、これから何をすべきなのか迷うことがあるものです。 そんな時に「私は今、幸せか?」などと自分に対して問いかけることによって、正しい方向に進んでいるか確認したりするんですね。 少なくとも僕は何回も何回もそんなことを繰り返しながらクネクネと宛てのない人生をさまよっています。 そこで! そんなときのために「人生で迷ったときは、これを問え!」っていうものを自分なりに考え尽くしてみようと思ったわけです! 今回は、自分がどんなふうに物事を考えているかを追いながら

          人生で最も本来的な問いとは?

          「又吉よ、これはエンターテイメントか。」

          「はい、エンターテイメントです。」 人から表現されるものは、 「エンターテイメント」、「アート」 に分けて受け止めているという話。 「エンターテイメント」とは! 人を喜ばせたり、盛り上げたりすることが目的です。 例えそれが嘘であっても、作り物であっても。 「アート」とは! 宇宙の真理を形に表すことが目的です。 例えそれが、誰にも伝わらなくても。 あなたがさっき口にした言葉は「アート」ですか? それとも「エンターテイメント」ですか? ホントのことに出会いたいなら「アー

          「又吉よ、これはエンターテイメントか。」

          SF未来日記 - 雨はいずれ海に向かう

          * 法律から今夜のご飯まで、 したたかに張られた包囲網。 気付いた頃には身動きが取れず、 あとは自動的に 私は時代の側溝へと流された。 私にも貧困という言葉が よく似合っている。 でも、知っていた貧困とは 全く違った。 ・・・実は、何も 不便はしていない。 何も束縛されていないし、 生活はベーシンクインカムで やりくりできるから、 体も至って健康なわけだ。 少々節約しては、 社会的価値のある企業に出資し、 リターンを貯めて、 趣味などに浪費したりもする。 仕事は

          SF未来日記 - 雨はいずれ海に向かう

          「全て」を受け入れる心構え

           常日頃から、もっと優しい世界にならんかな〜って想像してるんですけど、やっぱり、何かを否定することはその優しい世界への一番身近な障害だと思います。  「全て」が正しいことであると決して思いませんが、まずは、その存在を受け入れた上で、関係性を築いていきたいものです。  それで、私なりに、文字通り 「全て」を受け入れられる 方法の理論を実践してきたので、その過程を8つに分けて記録したいと思います。 〜「全て」を受け入れる心構え〜 1.無関心にならない 目の前のことに無関心にな

          「全て」を受け入れる心構え

          感染症を調べていたら、「神」になった男

          ※本文はだいたいフィクションです。本人の思想もあんまり関係ないです。<この記事について> 話したいことを、端的にまとめようとした結果、読む人を振り落としていく壊れたジェットコースターのような記事になりました笑 せっかく起こしたのを破棄するのも悔しいので投稿します。 深く知りたい人は、キーワードや本文中の単語を組みわせて検索してみてね。 「はじまり」 感染症に対して自分はどうすべきか分からなくなって、自分なりに調べているうちに、色んな目線のストーリーがあることに気付き、そ

          感染症を調べていたら、「神」になった男