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生きづらい社会は向き合い方で変えられる

現代人の生きづらさとは、どっから来るんでしょう。

色々な切り口で考えられる問題ですけど、「社会の定義」・・・つまり「自分が社会とどう向き合うか」という思想的なものに生まれるズレ・歪みから、無意識につらさは生まれてるんじゃないか、と考えてみたので報告したいと思います。

◆サラリーマン型の社会定義の終わり

生きづらいなー、と思うのは、自分(の考え方)と目の前の現実の間のどこかにミスマッチがあるからに他ならないと思うわけですが、

そのミスマッチの要因の一つに、社会に時間と労力を費やして、対価としてお金を得るという、サラリーマン型の考え方があると思っています。
そして、そのお金を生活や余暇や遊びのために使うんだと。

これは、サラリーマン型が根本から間違えていたというわけではなくて、今まではむしろマッチしていたんだけども、現代の人の生き方にマッチしなくなってきてるんじゃないの?と疑問を投げかけたいのです。

「いやいや、サラリーマン型が現代社会にミスマッチを起こしているなら、もっと大きなムーブメントになってるんじゃない?今でも、サラリーマン型を受け入れている人はたくさんいそうだけど?」とツッコミが入りそうなテーマですが。。

僕も、全員に当てはまることだとは思っていませんが、サラリーマン型を実践している人の中でも、実は多くの割合の人がこのミスマッチを「生きづらさ」として体感しているんじゃないでしょうか。

サラリーマン型が世の中で広く浸透している理由は、真理だとは思えません。むしろ、単に過去の踏襲なんだと思います。

例えば、こういうもの。

・サラリーマン型で成功した人が多数おり、その人たちの成功体験は否定できない。
・社会(政治)は時代の主流になったサラリーマン型で生きている人を全力で支持して支えようとしている。

これらは、非常に強力で、本当はサラリーマン型が向いていない人に、「これでいいのだ」と押し込むようなものです。押し込まれた人は、根拠のない習慣の踏襲に巻き込まれ、刷り込まれ、取り込まれてしまうのです。
そうして気がつけば、理想と現実のギャップが凄い勢いで広がっていることに気がつくのです。

そんなこと言ったって、サラリーマン型の何が悪いのよ!
という話に入っていきます。

◆私たちが社会に捧げるモノ

まず、社会に時間と労力切り売りしていると考えることがサラリーマン型の間違いの一つです。

それは確かに「働く」ということに共通する事実かもしれませんが、それは本質ではなく、捉え方によって解釈が変えられることです。

この切り売り思考では、少ない時間と労力でやるべきことを達成することが正しいことだと考えるようになります。

そうすると、定時までに、疲れなく仕事を終えることを理想としたり、定時に終われる範囲に自分の活動の水準を設定してしまうのです。

前回の記事に書いたのですが、人は自分の設定した理想や水準から良くない方に傾くと、それに対して苦しさを感じます。

仕事というものは、思い通りにはいかないことだらけです。そういうものを水準を設定することは、常に思い通りにはいかないストレスに悩まされることと直結します。


◆ 私たちが社会から得るモノ

つぎに自分が社会に何かを費やす対価として、金銭を得ようとするのも間違いです。

これくらい費やせば、これくらいのお金を貰えるだろう考えることだからです。

つまり、お金に理想を抱くようになり、これもまた自分の中のひとつの水準として、設定せれてしまうのです。
その瞬間に、この理想に到達するくらいのお金が得られるようになるまでずっと、ストレスが続くことが決まってしまいます。

実際には、サラリーマン型の考え方で、理想とする、時間と労力とお金の理想を現実化できる人はどれくらいいるんでしょうか。
少なくとも、僕にはとても難しいです。

◆ サラリーマン型の未来

今までは、そうやってサリーマン型で生きていくことは「平凡」だったのかもしれませんが、今や平凡に生きようとすることが自分を量産型サラリーマン型人間へと向かわせることになってきています。

そのサラリーマン型は、すでに時代とギャップが生まれ始めて、生きづらさを象徴する「型」となりつつあります。たぶん、ゆくゆくは、前時代的な考え方だと位置付けられるでしょう。今の時代でいう単純作業や肉体労働のように。

決して、サラリーマン自体を辞めるべきと言ってるわけではなくて、サラリーマン型の考え方をそろそろやめなければいけないかもね、と僕は思っているということです。

その、サラリーマン型の働き方を現代に持ち込んでいることこそが、現代人の生きづらさの根底に潜んでいるんじゃないでしょうか。

現代では、YouTubeを見れば「好きなことを好きな時間にやってお金持ちになる」という考え方が理想として蔓延してて、それが広く受け入れられるほど、さらにサラリーマン型の現実と理想のギャップが大きく深くなり、影響が強くなっています。

それが、現代人の辛さです。自分のすぐ隣に成功があるように錯覚する。その成功にさえ手が届かない自分に惨めさを感じる。そんな気分になりませんか?

でも、考え方は変えられます。

「サラリーマン型じゃない考え方って、時間を区切らずに夜も土日も働かないといけないの?耐えられない!お金のことも考えちゃいけないの!?そっちのほうがツラすぎる!」と思うかもしれませんが、そうじゃーありません。

◆目的と果たすべきもの

サラリーマン型から抜け出そうと思うと、私達が社会に費やすもの、そして社会から得るものは、今までとは違う視点で考えないといけません。

まず、社会に費やすものはなにか。

それは挑戦です。挑戦を社会にぶつけるんです。
夢や目標があるなら、それでいいし、なくても「こんなことできたら面白いよねー」とかそうゆうのでもいいです。

大げさに挑戦と言いましたが、生き方に自主的に行動できるようなゲーム性をもたせることが出来たらサイコーだと思います。

社会というものは、自分の頭の上にのしかかるものではなく、自分の下に広がるフィールドであって、初動を起こすのは社会の方ではなく、自分の方なんです。

降ってくるように、やることを要求されていたサラリーマン型とはさらばです。

社会の弱いところや、穴をつついて、くすぐったがるところを見て楽しみましょう。
社会を「ハック」すると言ってみてもいいですね。

そして、社会から得るものは「手応え」です。
これは、ふわっとしてしまうのですが、充実感や生き甲斐とも言えるし、夢が叶うことでもあります。
単に、誰かの1いいねかもしれません。

自分がやったことに対する何らかのレスポンスは、それ自体が達成感を感じるものだし、そして、次の自分の一手への燃料にもなります。

この、挑戦→手応え、という一連の流れの繰り返しが現代人における新しい型なのではないかと思います。

つまり、これから社会とどう向き合うべきかというと、

社会は自分の挑戦をぶつけるために用意されたフィールドである

そういう風に社会を認識するといいかもです。
決して、消耗戦であるなどと考えないでください。

とでも言って、今回は締めたいとおもいます。

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