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人生で最も本来的な問いとは?

人間生きていると、これから何をすべきなのか迷うことがあるものです。

そんな時に「私は今、幸せか?」などと自分に対して問いかけることによって、正しい方向に進んでいるか確認したりするんですね。

少なくとも僕は何回も何回もそんなことを繰り返しながらクネクネと宛てのない人生をさまよっています。

そこで!

そんなときのために「人生で迷ったときは、これを問え!」っていうものを自分なりに考え尽くしてみようと思ったわけです!

今回は、自分がどんなふうに物事を考えているかを追いながら、考える姿を記録し、その答えに迫りたいと思います。

途中は長ったらしいので、一番下の結論だけでも、見ていってください。


   # # #   前提   # # #  

今回のような、目に見えない、答えのない物事を考える時には、自分の姿勢をはっきりしておかないと結局どこに向かっているかわからずに、頭がぐちゃぐちゃになって終わってしまうので、どの立場から考えるか宣言した上で、先に進みます!

「考え方は人によって違うからなー」とか思い始めると絶対に答えなど出ないので、そう思った時は、前提をブチ建てて、考えにくいこととか、考えても仕方がないことは切り捨てるのです。


   # # #   今回のテーマ   # # #   

さて、まずはテーマを決めます!
何を考えてるかわからなくなったら、ここに戻ってくるぞ、というセンターポジションです。

今回のテーマはズバリ!

「人生で最も本来的な問いとは?」 です!

この答えを探すことをここに表明します!


   # # #   言葉の定義 「本来的」   # # #   

テーマの中の本来的って何か、というのをはっきりさせたいのですが。

本来的っていうのは、思うに、なんのしがらみもなく、何の影響も受けていない、一糸纏わぬ純粋な姿だということです。

人間は生きていると、欲だのなんだのって色んな余計なものがくっついてくると思うんですけど、それを全部剥がした姿が本来であって、その姿での思考や行動が「本来的」と考えるわけでございます。

本来的なものはたくさんあるとは思うんですけど、そんなかでも、キングオブ本来的を目指します!


   # # #   キング = 「包括的」   # # #   

じゃあ、どうやって、そのキングを見分けていくのか。

問いかけの視点として、広範囲に適応できて、多角的に物事を捉えられるものが最強だと思うので、そうなれるよう目指したいですね。この視点は他の色んな視点を包括する性質をもつので、この目指すべき性質を包括的と言うことにします。


   # # #   「美味しさ」の要素   # # #   

例えば、料理では
「味」、「香り」を問うよりも、「美味しさ」を問う方が包括的だと言えます。

「美味しさ」という概念の中に「味」と「香り」という要素が入っているということです。

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でも、「美味しさ」だけを問うのは、なんとなく違和感がありません?

たぶん違和感の正体は、料理に対して、「味」と「香り」を分けて評価することは、単に「美味しさ」を問うよりも重要な場合があるから。

でも、やっぱり、結果だけで言うと、料理では「香り」、「美味しさ」のどっちが大事かと言うと、「美味しさ」だと思う。

「香り」が良くても、「美味しさ」のないものは良い料理だとは言えない。

つまり、結果ファーストで追求するなら、より包括的である問いの方が良さそうだと思える。


   # # #   「包括的」 = 「抽象的」   # # #   

視点が包括的になっていくと、それと同時に目の前のものがボンヤリしてきます。
つまり、捉え方が抽象的になるのです。さっきの違和感は包括的になることで捉え方が抽象化され、同時に具体性が失われたからです。

ちなみに、包括的の対義語は個別的というらしいです。

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   # # #   「いい人生か?」は良い問いか?   # # #   

っということは、どこまでも包括的だったらひたすら良い問いになり続けるのか、と言うとそうでもなさそう。

例えば「いい人生か?」という問いはかなり包括的やけど、その問いは具体性が不足してて、効果的に解決策を見出だすことができない。
問題は「いい人生か?」の問いに対して最も影響の強い具体的な要素を発見することだと思う。
それは「愛する人がいるか」とか「仕事にやりがいを感じているか」とかかもしれない。

それぞれの視点は「包括的」の一点では評価できず、少なくとも「具体的」とのバランスを考えなければならない。そんでもって、最高の問いにたどり着くためには、全体に対してインパクトの強い問いを探す必要がある。

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   # # #   「包括的」vs「個別的」   # # #   

これから、実験的に抽象化と具体化をこねくり回して検証してくことになるのでしょうが、包括的と個別的の、ちょうどいいバランスは一体どこにあるんでしょうか。

さっきの「いい人生か」に対して「愛する人がいるか」の方が良質な問いである場合がありそうだといいましたが、何が良いかというと・・・

問題の解決策が見通せることなんじゃないか?

包括的すぎる問いは、その抽象的さから解決策を見出さない。
一方である程度個別化した問いは、具体的にその解決策への糸口を示すことができる。

この見通しの良さこそが個別化すべき理由であると考えられる。

良い問いとは、視点が包括的であり、尚且つ、具体性への見通しの良さも、兼ね備えたものである。

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   # # #   個別化の罠   # # #   

見通しを優先して具体化しすぎると、少し考えたら答えが出せてしまって、それ以降問う必要がなくなるクイズのような問いになってしまうんじゃないでしょうか。

そんなものは、問いではないですね。

良いものというのは、古今東西、いつでもどこでも不朽にて使えるものが真に良いものだと思うんですが、そう考えると、「誰でも問い続けることができる」ことが大事なんではないでしょうか。


   # # #   これは誰の問い?   # # #   

さて、そろそろ本題に入りたいのですが、最後に問いかける立場を決めておきます。

極端にいうと、超次元に住んでいる宇宙人にとっても良い問いであるものを探そう!というのは無茶な話で、僕は3次元世界の人間にとって、良い問いを探しているという立場だと明らかにしておきたいのです。

手を広げすぎて思考停止する前に、まずは、あくまで、今この時代に住んでいる日本人の立場で、3次元の世界で認識できる範囲に絞って考えることにします。
当然スピリチュアルは含まないこととします。笑

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   # # #   これは誰に対する問い?   # # #   

あと、問いかける主体(自分)が集団の一員としての人かどうかも補足しようと思います。
人と言っても、自然の中の一員なのか、人類の中の一員なのか、国家の、組織の、家族の・・・なんの一員としての自分に問うかによって、その集団に与える影響も考慮する必要が出てきます。
が、今回は、集団については考えません。

個人の人生について考えます。
これは個人としての自分への問いです。

と言っても、本来的な人間の姿は、地球に暮らす生物種の一つなのだから、集団に属するものの特徴を全く排除することは難しそうですが、
特別に重視することはしません、ということで。ひとつお願いします。

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   # # #   目的   # # #   

完全に言いそびれてたことなのですが。
これは何を目指すための問いなのか。

それは、人生を豊かにするためです!

これは個人的なことなのですが、僕の豊さとは、死ぬ時に悔いがないことです。
あの時にこうしてればもっとよかったのにな、と言う思いが、人生を通して極力ないようにしたいのです。

悔いなし!と言って、笑顔でこの世を去りたいですね。


   # # #   本題の始まり   # # #   

ここまで来てやっと本題に移りたいと思います。笑

じゃあ、具体的に良い問いだと思えそうなものは何か!


   # # #   抽象化その①「愛するひと」   # # #   

さっきの例で出た「愛する人はいるか」という問いから出発したいと思います。
ややこしくなるので、ここからは「問い」ではなく、問うている「要素」を辿ります。

ここでの要素は「愛する人」ですが、これを抽象化すると何になるでしょう。

愛する人、というものは何が豊かさを感じさせるのでしょう。

何かを愛するというのは、自分が思考したり行動する原理、エネルギー源を持つということなんだと思います。
何かを愛した結果、愛を伝えようとしたり、愛するものを喜ばせようとしたり、守ろうとしたりする。
愛が原動力となり、自分の外側に何か働きかけようとしているその状態が豊かさを感じさせるのではないでしょうか。

つまり、豊かさを感じる要因は、自分が考え、行動するエネルギー源、原因、理由。
一言でいうと「行動原理」に辿り着きます。
この「行動原理」の一つに「愛」という要素があると理解できそうです。

ちなみに、行動原理とは、「行動の根源的な動機となる本能・欲求・願望・信条・価値観など。」らしいです。人間の原動力の説明としては、なんか、すごくしっくり来ます。

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   # # #   抽象化その②「行動原理」   # # #   

更にもう一個、抽象化してみたいと思います。

行動原理は〇〇の一種である、と言えるとしたら、その〇〇はなんでしょうか。

いきなり抽象化は難しいので、行動原理の並列に何があるか考えます。

行動原理を簡単にいうと、やりたいことをやることなので、
反対に、やりたいと思ってなくてもやることは?

生理現象とか脳髄反射みたいなものかな。

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そうすると、行動原理と生理現象を包括する要素が〇〇には何が入るでしょう。
「人間を動作させる現象の原理」というとこかな。短い言葉で言うと、もはや「存在状態」ですな。


「存在状態」を具体化したときに、「身体」的な要素を生理現象、「精神」的な要素を「行動原理」と呼ぶということですね。

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   # # #   抽象化③ 「存在状態」   # # #   

では、さらに抽象化します。

存在状態という言葉には、人間の「身体」と「精神」が包括されているので、この存在状態と並列している要素は、それ以外のこと。つまり、人間の外側ということなので「環境」ということかな。

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ちなみに、環境を個別化すると「存在状態」と同じように「自然」なものと「人為」的なものに分けられる。

つまり、ある同じ要素から、個別化された要素は、そこからさらに個別化するときの基準に同じものが使えるらしい。

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話を戻しまして、「存在状態」と「環境」を包括する要素はなんでしょうか。
人間の内部と外部を全て言い表したわけなので、それを包括するのは・・・

「時間」という概念でとらえるなら「今」
「次元」でとらえるなら「3次元」


この世界を何をもって捉えるかというのがさらに包括的な層にある要素なんかな。

それに従うと、ここまでの世界の捉え方は「空間」ですね。

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「空間」といえば、前提の時に「3次元の世界で認識できる範囲で」考えますといっていた、このことと重なりますね。

前提と言いつつ、実は、「空間」以上の包括的な要素は考えませんよーと、言っていたわけで、それ自体が「空間」という要素まで個別化する操作だったんですね〜


ちなみに、さらに包括的なものは前提を超えて「空間」「時間」「次元」という概念を包括するものなので、全ての性質を超えた「存在」とは的な話になりそうですね。

「ある」とは何か、みたいなアホみたいに哲学的な話になりますね。

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設定した前提という上限に見事に頭打ちしたところで、包括的になるプロセスはここで一旦終了します。


   # # #   豊かさとは   # # #   

さっき、豊かであることが目的だと言いましたが

豊かというのは曖昧な言葉なので、ここまでの要素を眺めつつ、改めて定義しようと思います。それは・・・

「多様性がある」
「活動的である」

というようなことかな。

言い直すと、「本来もっている力を最大限発揮できる状態であること」ということか?
そういう視点でみれる要素か?ということも含めて、要素を吟味していきます。

 

  # # #   個別化のプロセス   # # #   

次に個別的になるプロセスをやりますが、ここまでで個別化の性質がいくつかわかりました。

まず、個別化は「何かを基準に要素を分けている」ということ。

例えば「内か外か」とか。

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そして、元が同じ要素なら、個別化した先で更に個別化するための基準は共通化しているということ。

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次に、実は、その基準を適応するタイミングは、入れ替わっても構わないということ。

要するに先に縦に切るか横に切るのかの差であって、出来上がったものは縦横に切れたかけらに変わりないということ。

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そう考えると樹形図的に考えてたモデルも、実は網羅的に考えるためには表が適しているのかもしれません。

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樹形図にするメリットは、考えるべき問題を絞り込むために使えるということかな。先に個別化することで、いらない問題を切り捨ててしまおうというわけですわ。

例えば、さっきの表の中でいうと、B’については、あんまり考える必要がなさそうやなと思ったら、先にB’とC’に個別化することで、C’の要素だけを切り出すことができるわけですね。逆にBとCで個別化してしまうと考えたい要素であるE、Gがバラバラになって効率が悪い。

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何が言いたいかと言いますと、個別化するための基準は先に用意しておけるし、自分の好きなタイミングで使えるということ。
道具が先に揃っていたら、早く先に進めます。


   # # #   個別化 「行動原理」   # # #   

ここまで出た要素の中で、自分が問うべき問題が「行動原理」の周りにありそうな気がするので、ここを基点として、個別化を進めてみようと思います。

行動原理、では見通しが悪いですからね。

ちなみに、行動原理の並列要素である生理現象は、自分の体がどんな状態かを示す要素だと思うのですが、これはあまり掘り下げ甲斐がなく、健康か?で終っちゃうので、ここはあえて分けておいて考えないようにします。


さ、個別化するための基準は使い回しが効くとのことなので、とにかく個別化できるところまでやってみたいと思います。

行動原理には、本能・欲求・願望・信条・価値観などがあるらしいですが、、、どんな風に分けられる・・・?

野性的な変えがたいものと、理性的なもの。
何に対しての影響するのか、自分なのか、他人なのか。
自発的なのか他発的なのか。
意識的なものか、無意識的なものか。
理論と実践。
肯定と否定。
役に立つもの立たないもの(嗜好)
可能と不可能

ちょっとこれくらいいにして、表にしてみる。

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えぐい!笑
なんと個別要素は256個あります笑

すっごい心折れそうになりましたが、なんとかやり切りました。

まずは、4象限に分けて、言語化。
(こっからはの操作は説明できませんのであしからずw)

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さらに「戦略的思考」にしぼって4つに分ける。

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更に「理性の戦略的肯定思考」を・・・

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更に、「自発性理性の戦略的対自肯定思考」を・・・

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これが1/256です。笑

「空想的な 意識的自発性理性の 戦略的対自肯定思考」
何それw

ちょっと、「意識的」と「理性」が意味がかぶってるから、「意識的」消します。
逆にいうと、それ以外は、意味を見出すことができる正しい基準・要素であると思いました(僕は)。

改めて「空想的な 自発性理性の 戦略的対自肯定思考」
真面目に、これはなんのことでしょうか。

例えば「万人を愛したい」とかいうことですかねw

「人から聞いたわけでもない(自発性)けど、自分が(対自)こういう考えに(思考)なったら(肯定的)いい(戦略的)なーって考えてん(理性的)ねん。できへんけど(空想的)。」

というイメージです!

これ以上に個別かできるかわからんけど、とりあえず、体力的には無理なので、個別化の操作も終わります。。。


   # # #   「行動原理」の要素の整理   # # #   

さて、ここからなんとか問いを導き出そうと思います。

「行動原理」を個別化した基準・要素で組み合わせて、一文にするとこんな選択肢をもった文になります。

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結局、基準は7個に絞ったので、本当に個別の問いと対峙するためには、自分の状態を7個の選択肢で1/128に絞り込んで問いかける必要があるわけです。

このどれかが最高の問いなのか?

これらの要素の重要性を比較して、最も重要な要素を導き出そうと考えてみたのですが、どれも捨てがたい。選べません。

しかし、「行動原理」に抽象化してしまうと、問題をぼんやりさせてしまうので、問いかけとしては不十分なものがある。そして個別化すると問いに網羅性がなくて、見えない問題を生んでしまいそう。

だから、個別的な要素を複数組み合わせて問いかけを行うことによって、全体として包括的な問いを構成しようと思います。問うことに時間がかかるというデメリットがあるものの、7つくらいの問いなら現実性があるでしょう。

今回は7つの問いを合わせて、最高の問い、という結論にさせてください。
(7つの基準なので、要素としては14個になります)


   # # #   結論 「人生で最も本来的な問い」   # # #   

現実と向き合ってるか、空想を忘れてないか。

創造しているか、何かに影響を受けているか。

自分の中に野性を感じるか、理性をうまく使っているか。

良いと思えることはあるか、好きなものはあるか。

自分に興味をもっているか、他人に興味をもっているか。

やりたいことをやっているか、やらざるべきをやっていないか。

そして、どう思う?どうしたい?


以上
これが私の「人生で最も本来的な問い」です。
それぞれの文が正反対の2つの問いを突きつけている。
バランスよくやるのも良いし、バランスを崩すのも良い。
もちろん全てをやる必要はないけど、この中で不足を感じるものとか、関心を引くものを自分に対して掘り下げて問いかけたい。
掘り下げて行った先に自分の行動原理が存在するから。
それを育てることで、自分はより良い者になり、それが豊かな人生の一助となるんじゃないでしょうか。

この問いは、私がこの空間に存在する人間個人として、精神的な原動力となりうる全てです。

あ、あと、体が健康であることは身体的な原動力の全てなので、忘れずに痛いですね。

終わり

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