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私たちの「頑張らなくていい」時代

競争することを避けて、仲良く。
苦手なことの克服よりも、得意なことを伸ばす。
頑張らずに、デジタルの力で生産性を上げる。

今、僕はそういう時代に生きていると思います。

相変わらず、競争の激しい世界でてっぺんを目指す人達もたくさんおるけど、
競わずに個性を発揮することが本来の生き甲斐ではないかと考える人が、こんな時代だからけっこう増えたんじゃないでしょうか。


ホンマの話、「もっと頑張れよ」なんか言われたことないし、「頑張らなくていい」とばっかり言われ続けた人生でごさいます。

それでほんまにいいのか、って、考えてやってきたことを他人事のように書き留めます。


◆ 「頑張らなくていい」

確かに「頑張らなくていい」時はあります。
体や心が疲弊して、毎日が辛いと感じる時、そんなときは「頑張らなくていい」という心構えになるべきです。

といっても、頑張らないのも意外と難しいものです。

目の前で起こることの捉え方、人とのコミュニケーションの仕方、失敗との向き合い方、休憩のとり方。
色んなことの考え方、やり方を変えないといけないので。

その全てが初めてのことだから、やってみると、慣れるまではぎこちなく、居心地が悪いと思います。
でも、疲弊してるときは続けるべきです。恥をかいても。

壊れてからではもう遅いんです。自分を壊さないこと、それが第一。


人には「あいつはデキない奴だ」と思われるから、悔しくて、怒ると思います。不甲斐ない思いもします。

怒ったとき、悔しいとき、悲しいときは、何かを拒否していると知っておいて下さい。

頑張れない自分や、負ける自分を拒否したいのはわかります。

それを拒否することで、社会から見た自分や自分の自尊心や自分の中の世界は保たれるかもしれません。
でも、よく考えてみたら、目の前に起こったことを拒否する人よりも、受け入れられる人の方がずっと本質的な価値があると思いませんか?


頑張らない人を否定する人がいますが、彼らももれなく何かを受け入れたくないから、わかりやすく拒否を声に出して自分の精神を保っているのです。
みんなそういう弱い心を持ってると思うと、あら、かわいいもんじゃないですか。


頑張らない、を続けていても、頑張っちゃうこともあったり、嫌なことが起こって真に受けたりするので、全てを避けることはできません。
でも、その避けられないことと、また向き合って受け入れていくことで、心に「頑張る」と「頑張らない」の振り幅が生まれて、今まではっきり分からなかったストレスの原因や、自分の心の偏り、自分の好み、原動力などがまさに浮き彫りになって深まるんじゃないでしょうか。

なれてくると「頑張らない」の中毒的な心地よさに惹かれるでしょう。

そうしているうちに、心も体も元気な自分と久しぶりに会う日が来たら、きっと何かを「やりたい」と思うかも。


◆ 「やりたい」

前を向くようになると、「頑張らない」ままで大丈夫かと不安になります。

「頑張らない」中毒になった自分はもう二度と頑張れない体になってしまうんではないかと。


それから、

誰にも、誰からも影響することなく生きる自分に
本当にこのままでいいのか、不安を覚えたりして、
ここに留まり続けるのがダメな気がしてきます。

でも、何をすればいいのかわからない。

何かを「やりたい」と思うんだけども、
その気持ちはどこに向かうこともなく、
空っぽな自分の空洞に響くだけのような感じがします。 


「頑張らなくていい」と言い続けた人たちの悪いところは、その先を言わなかった事です。

「頑張らない」というのは、体にとってはストレスがなく、一時的には安心感も得られるでしょう。
でも、ずっと休んでいるだけでは、「頑張っている」誰かとの差は開くばかりで、次に待つのは不安です。

競う世界しか知らされてないのに、「頑張らなくていい」と言われ、その世界の弱者のたまり場に沈められてきたんじゃないですかね。

他に優れたところがある、個性があるじゃないかと言ってても、その使い方、使える世界を見せてくれなかった。

「頑張らなくていい」なら、一体どうやって、人と競わずに、自分の価値を知ることができるんでしょうか。

焦る。もしかして「頑張る」からは逃げてはいけなかったのでは?

行き場の決まってない「頑張らない」はただの逃げじゃないですか。

◆ どこ行く?

いやいや、「頑張らない」ことが悪いのではない。

何もわかっていないのに「頑張らなくていい」と言う人も言われる人は酔ってるだけ。
心地良い嘘をお互いに信じきって、そういうもんだと納得したいわけ。
そんな物を素直に受け入れるからいけない。

まず、自分が全てに対して頑張っていたのではなく、何かを頑張っていたことを理解しよう。
何も分からずに頑張っていたことには、ルールとステージがあって、実は、それが全てだと、それと向き合うしかないと思い込んでいただけです。

「頑張らない」は正しくは「 “ここで” 頑張らない」。

ここで頑張らないと決めたら、次にどこかに歩きださなければ、石ころのよう。

でも、石ころと人間は少し違う。
石ころは動かなくても変わりはしない。でも、人間は留まり続けると、退化して、腐る。


まだ、不安はあるけど、焦らなくてもいい。

多分、まだ何かを間違えてる。

たぶん、そもそも世界との向き合い方を間違えている?


みんなにわかりやすいステータスで競っているうちは多分理解できないことがあるんだと思う。
バカにされ、失敗し、遠回りして、でも、先に進めるような活路が誰しもの目の前に広げらたりせんやろうか。

そういう道を進むには、一体どんな風に世界を感じたらいいのでしょうか。



(たぶん、続く)

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