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この世界に凛として立つ(夢の学び46)

■ずっと引き籠っていた私

私は子どもの頃から、自分が生きるこの世界に対して強烈な違和感を抱き続けてきた。今でもその感覚は残っている(少しは和らいだが)。
「この世界」といっても、当然子どもの頃は限られた狭い「世界」である。せいぜい家庭、幼稚園あるいは学校、公園の砂場が、「この世界」のすべてだった。そのどれをとってみても、自分にしっくりフィットしない。そのどれをとってみても、私は心の中で「違う、何かが違う。そうじゃない。そうじゃないんだ」と言い続けてきた。
もちろん、まだ表現力を持たない幼い時分は、その強烈な違和感を表に表すことはできなかった(表情には表れていたかもしれないが)。「この世界は、ボクにとってよそよそしい」などと大人に言えるわけもない。
それに加え、今振り返ると、私には幼い頃から年齢にそぐわない「倫理感」のようなものが備わっていて、「そうじゃない」を抱きつつも、その「そうじゃない」を口に出すことをずっと控えていた。親に対しても、他の血縁に対しても、先生に対しても、友だちに対しても、私は「そうじゃないと感じるが、口には出さない」を貫いていたのだ。
しかし、「ついうっかり」がなかったわけではない。ついうっかり「ホンネ」をポロリと口に出してしまう場面があった。そんなとき、目の前にいる人間は、それがたとえ私のことを充分に理解してくれているはずの人間だったとしても、たいていの場合「怪訝な表情」を浮かべるのである。「この子はいったい何を言っているのだろう」という具合だ。そこで私は「しまった」と思うのだ。しかし、私が「しまった」と思えば思うほど、それは私の「ホンネ」なのだ。
あるときある遠縁の親戚から言われたことがあった。
「お前はヌエのようだ」
「ヌエ」とは、顔は猿、胴体は狸、手足は虎、尾は蛇という妖怪のことである。

■「ホンネ」が言えない苦しさ

この世界に違和感を抱きつつも、「ホンネ」を言えずに押し黙り、たまにうっかり口に出そうものなら気味悪がられる・・・こうしたことの繰り返しである。
それはもちろん苦しいことだ。
私には避難場所が必要だった。私はいつしか「独り遊び」に興じる孤独な少年になっていた。独りで自分の想像力の世界にどっぷり浸っているときは、100%自分自身でいられた。自分で自分に許す「空想物語」こそが、私にとってはもっともリアルな「世界」だった。当然、私にとっては、現実よりも夢の方がリアルな世界となった。私は専ら「夢の世界」に自分の「本籍」を置くようになった。しかし、このことでますます私は周りから「ヌエ」のように見える存在になっていったことだろう。
だから私は長い間、自分の「本籍」を秘密にしておくべき「恥」ととらえていたのだ。私は自分自身の孤独感さえ自分で恥じていた。私は長い間、自分の「魂の出自」を恥じていたのだ。一日24時間、100%自分自身でいることは、私にとって恥ずかしいことだったのである。

それはもちろん苦しいことだ。
私はひたすら「真の理解者」を求め続けた。
それらしき人物と出会うたびに、私は思った。
「この人がそうだろうか?」
しかし今思うと、私のその「熱視線」は、相手には「探られている」と映ったのかもしれない。私はいつもの癖で、自分のそうした「ホンネ」を気取られないように注意したが、おそらく私がそうすればするほど、相手は「探られている」感覚を強めたかもしれない。
それもまた、私にとっては苦しいことだ。
いつしか私は、書物の世界に真の「理解者」「共感者」を求めるようになっていった。
しかし、100冊のうち99冊に、私は「ノー」と言い続けた。残りの1冊に対しても「部分的にイエス」と言えるだけだった。「いまひとつぴったりフィットしない」というのが私の「ホンネ」だった。その感覚はいまだに続いている。しかし、このことも私は誰にも言えずにいた。なぜなら、私が「ノー」と言う書物に対して喜々として語る人間が大勢いたからだ。読書家を自任する人間が「これを読んでみろ」と私に押しつけてくる書物は、ことごとく私の期待を裏切った。私はますますこの世界に対して「イエス」と言えなくなっていった。
これもまた苦しいことだ。
私はその苦しさからいつか抜け出したいと真剣に望むようになった。
それはいつだろう。私が「ホンネ」を気兼ねなく話せるようになる日はいつ訪れるのだろう。この世界が私に自由な発言権を許す時はいつやってくるのだろう。
私は二十歳になった。今だろうか・・・いやまだだ。
私は三十代になった。今だろうか・・・いやまだだ。

■最初のターニングポイント

四十代を迎えようとするとき、ひとつの出会いがあった。
その人物と会い、話をするなかで、この人は「魂の本籍」が自分と近い、と感じた。と同時に、この人は私がどれだけ探りを入れようと動じない人であることもわかった。
「この人は、この世界に凛として立っている」
その人物は、いつしか私の師となった。
しかし、真の理解者は一人では足りない。たった一人の人に「ホンネ」を言えたとしても、この世界に自分の居場所を確保できたことにはならない。
それに、師は私を鍛えてくれたものの、鍛えた筋力を何のためにどう使うかまで決めてくれるわけではない。
実はこの時期、私はすでにケン・ウィルバーと出会っていた。ウィルバーに対しても、私は「魂の本籍」の近さを直観的に感じていたが、まだそれは漠然としたもので、私の目の前でウィルバーという窓は全開にはなっていなかった。もちろんそれはひとえに私の力不足だった。

私は四十代になった。今だろうか・・・今なら「ホンネ」を口にすることが許されるだろうか。この世界は、私に許可を出すだろうか。私が「ホンネ」を言っても、この世界は崩壊せずに、原型をとどめたまま残ってくれるだろうか。私は自分で自分の居場所を奪うことにならないだろうか・・・?
そんなとき、夢をみた。この夢は私にとって、ひとつの大きなターニングポイントになった。その夢は明らかに語っていた、私は今まで、誰にも「ホンネ」を言えずにひた隠し、魂の出自をひた隠し、人からヌエのような存在に見られ、誰にも理解されず、この世界から疎外され、自分の内側に引き籠り、人並みな社会生活が営めていない自分を恥じていた。しかし真実はまったく逆だったのだ。世界が私を疎外していたのではなく、私が世界を疎外していたのだ。何のために? それは、この薄っぺらでお粗末極まりない世界に毒されることから、自分の高潔な魂を護るためだったのだ。私の魂はこの世界に対して、こう叫んでいたのだ。
「あなたがそんなやり方をするなら、私を抜きにしてやってくれ」

■生存の危機

しかし、私が自分の魂を護れば護るほど、この世界は私の目の前で崩壊し始めた。私は完全に職を失い、結婚生活は破綻し、両親との間の壁はますます分厚くなっていった。私は世界との和解の道を探っていたが、私がそうすればするほど、世界との「齟齬」の感覚がいやましていった。
「もはやこの世界に私の居場所はない」
私は生存の危機を迎えていたのだ。実際私は身体を壊し、死にかけていた。
そんなあるとき、ある霊能者に言われたものだ。
「あなたの魂は、肉体から半分抜けかかっている」
私は運命に必死に抵抗していた。しがみつき甲斐のないものに必死にしがみつこうとしていた。しかしそれは無駄な抵抗だった。細い枝は、私が握りしめたとたん、次から次へと折れた。
そんな無駄な抵抗が極限を迎えたとき、夢をみた。生涯忘れることのできない悪夢である。私は夢の中で完全に死んだ。しかも自ら命を絶ったのだ。私の生涯でもっとも愛着を覚えている人物に強く促されての自死だった。誰に「死になさい」と言われて死んだのか——今だからこそ言えることだが、それが、この夢でもっとも象徴的なことだったのだ。
しかし、このときはただただショックだった。その大きなショックとともに、私は目を覚ました。そのとき、私の世界観は完全に「反転」した。つまり私にとって、覚醒しているこの現実の世界こそが「死後の世界」となったのだ。
私は「死後の世界」を生きる覚悟を決めた。私は動きを止め、「さなぎ」の状態になった。「世界が私の前で静止するなら、私も世界の前で静止しよう」
私は内面的には「さなぎ」の状態になったが、たぶん外面的には「ヤドカリ」のような状態に見えたに違いない。今現在の「宿」が狭苦しく息苦しく窮屈に感じ、いったんその「宿」を捨てて無防備になり、一回り大きな「宿」をあてどなく探し回っている、そんな状態に見えたに違いない。
ただし、この時期の唯一の「救い」は、私の傍らに、ともに新しい「宿」を探す旅の道連れの存在があったことだ。もしこの「相棒」の存在がなかったら、私は今頃間違いなく死んでいただろう。

■完全なる生まれ変わり

こうして私は五十代を迎えた。
今だろうか、今なら「ホンネ」を口に出しても世界は私に居場所を与えてくれるだろうか・・・いやまだだ。何かが私の「ホンネ」を相変わらず押し留まらせていた。私は口を閉ざしたまま、心の中で世界に対して「違う、そうじゃない」と言い続けていた。
何かがまだ邪魔をしていた。そのときはまだ分かっていなかったが、私は「死に方」がまだ足りなかったようだ。今ならはっきり言えるが、そのとき私は自分の生きる場所を探していたのではない。死に場所を探していたのだ。「死に場所」はどこでもいいわけではない。むしろ生きる場所探しより、自分の死にふさわしい場所探しの方が難しいのだ。
私が、今でも傍らにいる「相棒」を、この世の旅の道連れだと感じるのは、「この人もまた死に場所を探している」ということが分かるからだ。それは、彼女が毎夜どのような夢をみているかを聞けば、手に取るようにはっきりわかるのだ。その点に関しては、どのような優秀な分析医を連れてこようが、私の右に出る者はいない。もちろん、訳知り顔で「分析医」の真似事をしようとするような「ズブの素人」や「赤の他人」はもってのほかだ(実際、そういう人間はいる)。そういう人間に限って、自分のことがまるでわかっていないし、人間としての「深み」に欠ける。

そして、私が五十代の終わりを迎えようとしているときのことである。
私の中途半端な「死に方」を補うようにして、本格的な「臨終」が突然私に訪れた。
ある朝目を覚ましたとたん、強烈な心臓の痛みに襲われた。明らかな突発性の心臓発作だった。隣に寝ている「相棒」を起こそうにも、声は出ないし、苦しくて身動きもとれない。ただじっとして痛みに耐えながら息をするのがやっとだ。そのまま心臓が止まったとしても不思議ではなかった。しかし幸運にも、しばらくすると少しずつ痛みが治まった。
一過性のものだろうとタカをくくっていたら、その日以来、毎朝その発作が起きるようになった。たいていは起き抜けの5分か10分ほどで何とか発作は収束し、日中はまるで何事もなかったかのように過ごせるのだが、24時間後にはまた同じことが繰り返された。そのうち昼の日中にも発作が起きるようになってきた。あるときは、あまりの激しさに気を失いかけた。その瞬間が、まさに今までで私がもっとも「肉体の死」に近づいた瞬間だったろう。
もちろん医者にかかったが、診断は下されたものの、原因ははっきりわからず、決定的な治療法もないと言われた。医者を替え、セカンドオピニオン、サードオピニオンも求めたが、何も変わらなかった。その間の詳しい事情は省くとして、結局私は、すべての医療を手放し、自己流のやり方で発作を克服した。なぜそんな芸当ができたのか、医者にはまったく理解できないだろう。
この経験も、私にとてつもなく大きな「発想の転換」を迫ってきた。肉体が健康であるとはどういうことなのか、精神が健全であるとはどういうことなのか、いったいどのような生き方が人を幸福にし、死ぬ前に後悔させずに充実した人生を送らせるのか、そうしたことすべてのベクトルが、容赦のない完全なる「生まれ変わり」を私に指し示していたのだ。
「中途半端ではダメだ。何から何まで、徹頭徹尾、今までと反対のことをやれ」
そう言われているようだった。
今まで「白」だと思っていたことは「黒」だと思え。
今まで正しいと信じてきたことは間違っていると思え。
今まで「イエス」と言ってきたことには「ノー」と言え。
私はそうした自分の魂の声に従った。そうでなければ、正真正銘の「死」が私に訪れていただろう。

■サナギからチョウへ

今から思い返せば、このときの苦痛は、サナギがチョウに変容するときの苦しみだったに違いない。チョウにとっての誕生は、サナギにとっての死を意味する。サナギが首尾よく死ななければ、チョウにはなれない。首尾よくチョウに変容した人間だけが、サナギの何たるかを知るのである。サナギがサナギのままだったら、自分の何たるかを知らないまま死ぬことになるだろう。旧い自分において、徹頭徹尾死んでみせなければ、新しい自分に生まれ変わることなどできないのだ。ほんの少しでも旧い自分の「欠片」が残っていてはダメなのだ。
イモムシからサナギになり、サナギからチョウになるという「変容」は、誰の人生にも一度ならず起き得る。そのことを私はウィルバーから学んだ。

チョウへの変容は、私の目を開かせた。
葉の上から世界をながめる視点しか持ち合わせていなかったサナギは、葉を、植物を、森を、この世界を俯瞰で見る視点を手に入れたのだ。これによって、今までは視界にとらえることのできなかったものが、自然に私の視界に入ってきたのだ。

私はなぜ子どもの頃から自分が生きるこの世界に対して強烈な違和感を抱き続けてきたのか。
私はなぜ、その違和感を押し殺し、「ホンネ」を押し殺しながら今まで生きてきたのか。
私はなぜ外側からは「ヌエ」のように見える存在として生き続けてきたのか。
私の生涯でもっとも愛着を覚えている人物が、なぜ夢に現れて私に自死を促したのか。
私の「魂の出自」がこの現実世界にはないとするなら、それはいったいどこなのか。
これらの疑問に対して、主に3つの「情報源」から、それぞれ異なる視点からの回答がもたらされたのである。
ひとつは、ケン・ウィルバー、ジェイムズ・ヒルマン、トマス・ムーア、エドワード・L・デシといった人たち——私が「魂の血族」と感じる書き手たちの書物からである。
もうひとつは、誤解を恐れずに「ホンネ」を言うなら、「宇宙」からである。
そして最後は、我が母の重い口を通して語られた現実世界の隠された物語からである。
私はそのあたりの事情を「コズミック・スピリット」と「いじめ現象の全貌と脱却戦略」という二つの書物に表した。しかしまだまったく語り足りていない。

■私の「死に場所」

こうして私は六十代を迎えた。
もういい加減「ホンネ」を口にしても「バチ」はあたらない年齢に達しているはずだ。私はこの瞬間を60年待ち続けたのだ。この長すぎる熟成期間に、私は自分の視界にある死角や盲点をひとつひとつ丹念に埋めてきたのだ。
そして今、三冊目の書物を表そうとしている。もちろん、ここでは子供の頃からひた隠しにしてきた「ホンネ」を語らないのでは意味がない。そうでなければ本当に書く意味がないのだ。いや、そればかりか、私自身の存在意義がないのだ。
私はすでに覚悟ができている。覚悟ができていないのは「世界」の方だ。「不遜」なことを言っているように聞こえるかもしれない。人によっては「お前は世界を敵に回して、道場破りでも仕掛けるつもりか」「自分で自分の墓穴を掘るつもりか」と思う向きもあるかもしれない。
そう、その通りだ。私はこの世界に「道場破り」を仕掛け、自分で自分の墓穴を掘る覚悟ができている。すでに言ったように、私は自分にふさわしい「死に場所」を真剣に探しているのだ。私は、中途半端ではない、何ら過不足のない、正真正銘の「死」と「再生」を迎えるだろう。それは「ヌエ」がその正体を表すことを意味する。私はこの「世界」を相手に堂々と渡り合い、そして生き残るつもりでいる。私はうつむいた顔を上げ、胸を張り、ヌエのような表情を恥じ隠すことも、もうしない。そのとき世界は——私という「異端」の存在を生み出したこの現実世界は——自らの生み出したものによって、ほんの少し変化を迫られるだろう。どのような方向への変化か? もちろん、より「健全」な方向へだ。自らが生み出した存在を拒否しているようでは、それは世界の健全な在り方とは言えない。だから世界よ、私によってもたらされるほんのちょっとした変化を甘んじて受け入れるがよい。

■「能ある鷹は爪を研ぐ」

私はたった今、自分の辞書から次の項目を削除した。
「能ある鷹は爪を隠す」
代わりに次の項目を追加した。
「能ある鷹は爪を研ぐ」
ただし私は研いだ爪を、人を傷つけることに使うつもりはない。私は、私から謙虚に教えを乞おうとする人間を邪険にしたりしない。
私は研ぎすました爪を、夢学という未開拓だが肥沃な土壌を耕すことに使う。
ただし、私の爪はただ研ぎ澄まされているだけではなく、この土壌の奥深くまで届くだろう。だから私がその肥沃な土壌を耕せば耕すほど、その表層部分にあぐらをかいている者どもは、慌てふためき、私の爪で引っ掻き回されたと文句を言うかもしれない。それで飯を食っている専門家やプロであればあるほど、私の爪で傷つけられたと感じ、己の生存の危機を訴えるかもしれない。しかし私は手心を加えるつもりはいっさいない。特に、昼の国の視点だけで夜の国を、夢の王国を語り、それで夢の何たるかをわかった気になっている人間に対して遠慮するつもりはない。もう自分を偽るのは御免なのだ。私はもう何も取り繕わない。真の創造をもたらすために破壊を厭わない。

新しい「宿」を探し回っていたヤドカリは、サナギからチョウへの変容をきっかけに、この世に自分にふさわしい「宿」がついぞ見つからないと悟るや、自分でその「宿」を作ることにした。今の私にとって、それが「日本夢学会」である。
賢明な読者なら、すでにお気づきだと思うが、私は幼い頃から、昼の国よりも専ら夜の国に、夢の王国に本籍を置いていたのだ。現実の世界よりも自らの想像力の王国の住人だったのである。もはや私はそういう自分のアイデンティティを隠したり恥じたりはしない。「ホンネ」を包み隠し、自分の本籍を偽り、イモムシやサナギの視点でしかものを見ていない人間に自分の視線を合わせるような真似はもうしない。
私はこの新しいアイデンティティを足場に、この世界に凛として立とうと思う。

もちろん私がこれから話そうとする「ホンネ」は、子どもの頃に抱いていたものとは違う。私にはもはや幼稚な「倫理観」などない。私が語ろうとする「ホンネ」は、イモムシにとってのホンネではなく、チョウにとってのホンネである。
それはどんなホンネか、だって?
それはこれからイヤというほどたっぷり語るつもりだ。

最後に、ケン・ウィルバーの公式インスタグラムから、次の言葉を引用し、自分の胸に刻んでおきたいと思う。(2021年7月1日の投稿より)

Be the most ethical, the most responsible, the most authentic you can be with every breath you take, because you are cutting a path into tomorrow that others will follow.
「あなたが息をするその瞬間ごとに、可能な限り最も倫理的で、最も責任感が強く、最もホンモノであれ。なぜなら、あなたが明日への道を切り開くことで、他の人たちもそれに続くからだ。」(拙訳)

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