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JOKER 感想

えーと、お久しぶりの更新となります。

あれから、ポケモンGOにドラクエウォークと仕事の3セットによって文章を書くという作業に中々向けない環境になって、一気に更新が滞ったという次第です。

はい、それはそうとタイトルの通り、前々から気になっていた「JOKER」をここ最近観てきたので、自分ごときでは大した考察や感想などなどは書けませんが、観た感想などをここに書こうかと思う。

まだ観てない人はネタバレ注意。

ジョーカーは言わずもがなアメコミのキャラですが、そもそもアメコミの映画って、その殆どがどことなくリアリティに欠けてて、ファンタジックでアクション性が強く、リアルな泥臭い話とは無縁なことが多いと思います。

しかしこのJOKERという映画、そのようなありきたりなアメコミ映画とはまるで真逆、その内容は非常に現実的かつ、泥臭く、実際にありそうな話で、ドキュメンタリー映画を観ている感覚です。

一般的な映画である、エンターテイメント性や、感動や、アクション性は皆無と来ているので、事前情報なしでそれらを望んで観に行った人は地雷を踏むことになるであろう。(まあ、そういう人らが大半だとは思うが。)

この映画の主人公ジョーカーこと、アーサーは知的障害を負っています、どちらかといえば貧乏でそのうえで、母親を看護しながら、人を喜ばせるコメディアンを目指しています。その姿はどう見ても悪人には見えません

ですが、笑うところでもないのに笑ってしまうという奇妙な障害を持っているせいで、人々からは薄気味悪がられ、避けられてしまう。これは本人が望むところではないんですが、必然的に普通の人々からは遠ざかられてしまいます。

そこからして、まず悲しい現実と直面している。

アーサー最初の不幸は、仕事中にストリートチルドレンに暴行されるところから始まる、そこから連鎖して負のスパイラルが進行していきます。

そしてアーサー最初の殺人は、嫌がっている女性に絡む3人のサラリーマンと電車の中で出くわし、アーサーがそこでも笑ってしまうものなので、リーマン3人の怒りを買い暴行を受け、やむを得ず3人を撃ってしまう。どうしようもないですよね。

この世界のジョーカーは望んで殺人を犯してはいなかった。

ここから本格的にアーサーは目に見えて狂っていきます。撃った後、逃げたアーサーはトイレで一人ダンスをし始める。

この映画のジョーカーはとにかく重要な局面で踊る。そしてその踊りが印象に残って仕方ない。

そんなアーサーが、気を持っていた隣人の女性(子持ち)がいましたが、その人とは途中まで仲が良いと自分はすっかり思いこんでました、が、しかし。とある場面に差し掛かるとそれに気づく、それらはすべてアーサーの妄想だったのだ。(まあストーカーしてる時点で変だなとは思いましたが)

そうか今の今まで、自分たちはアーサーの目線で世界を見ていたのだと。それがわかるや否や、予想以上に厄介な映画だなと感じた、中々そのような映画を自分は観てこなかったですから。

アーサーの妄想で歪められた世界を観客は視ているので、どこが現実でどこが非現実なのかが、イマイチはっきりしていないのです。

これは考察厨達が一番論議している部分だと自分も思います。

とにかくこのような考察は、思考の深みにハマりやすいので、自分はなるべくシンプルに考えるようにはしてますが、私も生憎と考察好きなので、仕事中でも考えても無駄なことを考えてしまってたりします。

アーサーはゴッサムという歪んだ秩序社会の中でも、最底辺にあたり、貧しく、生活も困窮しています、しかもアーサーはとあるきっかけで仕事を失い、挙句には福祉施設からも処方されている薬は都合により打ち止められてしまう。

ただでさえ抑えきれない持病が、心の闇が、そして社会の闇が、アーサーを追い込む。その追い込まれた末に何が待っているか。

アーサーがあんなにも憧れていたコメディアンからもダシに使われ、自身の父親と思いこんでいた、トーマスウェイン(ブルースウェインの父)からも突き放され、そのことに関しての母親への疑問から、事の真相を知ったアーサーはついに母親をも手に掛ける。

敬っていた人たちからもことごとく裏切られたアーサー。

もうここまでせんでもええだろが・・・と劇中でアーサーに何度同情したことか。そう、恵まれない立場の人はアーサーに非常に共感しやすいと思われます。

憧れの大物コメディアンを生放送中にその怒りの爆発で撃ち殺すなど、エスカレートしていきます。その時にジョーカーは、「俺に失うものはない」と言ってた気がしますが、この言葉はまさに今の日本でもリアルに増えつつある「無敵の人」そのものです。

そうして狂気がアーサーを支配し、ついにはジョーカーと成ったのです。それと同時に最底辺の恵まれない者たちが反旗を翻し、ゴッサムはたちまち、炎に包まれ、ジョーカーはこの腐った社会をぶっ壊す、救世主として祭り上げられるのです。その様はまさに道化というわけです。アーサーが今まで演じていたピエロです。

こうしてようやく社会から散々いじめられてきたアーサーが、社会を蹂躙する側へと回れたわけですが、そこでアーサーはジョーカーとして初めて笑えるべきところで皮肉にも笑えたわけでね。

ジョーカーと成ったとたん、警官を華麗に撒く時の姿はまるで、喜劇王チャップリンそのものだったので、それを見たときはジョーカーが本来のアーサーの姿なのではないかとも思える。

しかしアーサー自身はこうなりたくてなったわけではないと思う、このように歪んだ社会や人々の闇が、ジョーカーを創ってしまったといわざるを得ないような内容となっています。

そんな不運で不器用な優しい男の、悲しくもやるせなく、切なすぎてどうしようもない、ジョーカー誕生物語でした。


自分は、数ある映画の中でもダークナイトが好きで、ヒースレジャーのジョーカーを超えるものなどこの先、存在しえないだろうと思っていましたが、ここに来てこんなジョーカーが現れるとは。それはもう別の意味で軽く超えてしまってますね。

ジョーカーといえばただの狂った犬、絶対悪のカリスマというイメージで、それを期待した人はことごとく期待外れの映画、というレッテルを張っているとかなんとか。

自分もダークナイトのジョーカーは好きですが、今回のジョーカーの方がリアリティでいえば上なのでそういった意味では、ダークナイト(ヒースレジャー)すらも超えてしまったなという感じです。

ダークナイトのジョーカーはバットマンに立ちはだかる絶対悪でしたが、今回のジョーカーはまるで逆の絶対悪ではなかった、ジョーカーです。もはや同じジョーカーといえど別物。

そしてこのような何とも言えないジョーカーを演じてしまった、ホアキン・フェニックスの演技力、おそるべし。

この映画の真に恐るべきところは、前述したリアルすぎる描写なので、実際に現代日本でも貧富の格差は広がっているし、無敵の人等の壊れた人間も増えてきている。現実と非常にリンクしているので、フィクションの映画のように観れないというところです。

自分には最近起きてしまった凶悪事件、京アニ放火事件の青葉とジョーカーがどうしてもダブって見えてしまう。青葉の場合はもっとどうしようもないので、逆にジョーカーに失礼なくらいですがね。


後、この映画の中で未だに個人的によくわからなかったシーンが、アーサーが冷蔵庫に入るシーンです。そしてその翌日にはケロっとしている。

これはアーサーの妄想であることは間違いないのですが。

調べてみると、これはホアキン氏のアドリブだったようです。これに限らず、アドリブはそのほかにも多くあるようです。

この映画はこのような尾を引く謎が多いです。それが惹いては作品の深みと魅力につながっているんですね。

観終った後は、一度見ればもう十分だと思うくらい、何とも言えない気分だったんですが、時が経つにつれ不思議とまた観たくなってくる。

そんな考えさせられる不思議な作品、それがジョーカー。劇中の楽曲や音楽のセンスもなかなか良かったです。

さて、自分はそもそも作品に点数を付けるのは好きではないのですが、敢えて点数を付けるとすれば、そうですね・・・100点中、92点ですかね。

・・やはり、数値化するのがイマイチ苦手だしピンと来ない。


なんかもう一回見たくなってきた。

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