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透明な壁

こんばんは。「函館観光者」の佐伯康太です。

こないだ重大なことに気づいてしまいました。なんと、このブログを書く機会も残すところ2回のみなのです。ということは、「暮らすような旅」の日々も終わりが近づいているのです。

暮らすように旅をする中で出会ってきた函館旧市街を、僕なりに言葉にしてきました。内向きの威光を秘める店だったり、店から街をたくらむ人だったり、人々が編み込まれる街だったり。それらは、きっと「観光」をしていたら気づけなかったことで、「暮らし」をしているからこそ気づけたことなのだと思います。

「観光」と「暮らし」って、きっと隣りあわせなのですが、水と油みたいな関係なのかもしれません。しかし、絶対に混ざりあわないのでしょうか。
今回は、そんなことを書きたいと思います。

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もうひとつきほど前になるでしょうか。その日は大町にある「いどはどドーナッツ」さんにお邪魔した日でした(その日のことは第2回目のブログをお読みください)。

その帰り道。すっかり日は暮れ、人気のない道には雪が舞い降りていました。徐々に見慣れてきていた電車通りを避け、海沿いの道を歩いていると、煌めく赤レンガ倉庫群と巨大クリスマスツリーが見えてきました。

「はこだてクリスマスファンタジー」です。クリスマスまで毎日、函館の夜を金森赤レンガ倉庫がイルミネーションで彩るのです。

そういえば、まだあのツリーを近くで見てなかったな。そう思い、赤レンガ倉庫へ寄り道することにしました。

街灯で照らされた海沿いの道をまっすぐ進んでいきます。波は鳴りを潜め、海は黒として広がるのみです。3分ほど歩き、最後の角を曲がりました。そして、僕は呆気にとられてしまいました。

人が、たくさん、いる。

道に人があふれています。クリスマスツリーの下には人だかりが出来ています。家族連れ、カップル、友達同士。その誰もが、寒さに耐えながらも、満面の笑顔を浮かべています。携帯のシャッターを切りながら、足早に行き交っていきます。そんな観光客の群れが、僕の目に飛び込んできたのです。

眩暈がしました。

人酔い、なのでしょうか。23年間、都会で人混みには慣れ親しんできたはずで、渋谷のスクランブル交差点もなんとも思わないのですが、、、。この静かな街で、2週間過ごしたことで、感覚が変わってしまったのかもしれません。

しかし、眩暈の原因は、もうちょっと違うところにある気もします。
それは、母親が女性としてめかし込んでいるのを見たときのような。あるいは、紳士的だと慕っていた先輩の卑しい顔を覗いてしまったときのような。
いままで親しんできた、あるいはそれでしかないと信じ込んできた側面とはまったく異なる側面に直面したときに起こる眩暈です。想定外の側面に直面したとき、その衝撃が引き起こす眩暈です。

函館へやってきて2週間が経った僕にとって、この街は、一時的だとしても、「暮らしの場」となりつつありました。実際、生協スーパーで自炊のための買い物をしたり、カフェで店主や地元の方と他愛なくおしゃべりしたりしながら、日々を過ごしていました。

そんな僕へ、この街の「観光地」としての顔を突きつけたのが、赤レンガ倉庫群での光景でした。
そうだ、西部地区って観光地だったよな。
その衝撃が、僕を打ちのめしたのです。普段街なかであまり観光客の方を見かけないことや、その日が休日で人が一段と多かったことも、その衝撃を増幅させていました。

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そして、僕は、まるでパラレルワールドの存在に気づいてしまったSF映画の主人公のような感覚に陥りました。
「観光の世界」としての函館旧市街と、「暮らしの世界」としての函館旧市街が存在し、それらが平行関係にあるように思われたのです。

というのも、僕も、観光客も、地元民も、みな同じ場所にいるけれど、見えている世界が恐ろしいくらい違う気がするのです。
赤レンガ倉庫から函館山側へ向かう道を歩きながら、その想いは一層強くなります。観光客はライトアップされた函館B級グルメ界の両雄ラッキーピエロとハセガワストアを見据えています。僕は、その奥で、函館山の斜面に建ち並ぶ家々へと、帰路を辿ります。同じ場所にいるのに、見ている世界はまったく違うのです。彼らと僕の間には、透明な壁があるのです。

もしパラレルワールドがそこにあるのだとしたら、「暮らしの世界」で生きていた自分が「観光の世界」に気づいてしまったから眩暈がしたのでしょう。

この2つの世界は、隣りあわせなのですが、そうそう混ざりあうものではないでしょう。しかし、水と油も乳化というプロセスを経て混ざりあうことができるように、「暮らしの世界」と「観光の世界」も完全に排反な存在ではないかもしれません。

そもそも僕自身が、どれほど「暮らしの世界」で生きているとしても、近いうちにこの街から去る観光者でもあり、旅行者でもあるわけです。だから、2つの世界の接点は確かに何処かにあるはずです。

僕が「暮らしの世界」にいることを実感できた瞬間が、ひとつあります。
最寄りのスーパーの入り口で、ある主婦の方とばったり出くわし、「あ、どうも」と3分ほど立ち話したときです。
その方とは、僕がリノベーションを手伝わせていただいている古民家や、一休みするために立ち寄ったおひるごはんカフェ「taom」さんにて、何度かお会いしていました。最後に話したとき、「この後洞爺湖まで車で出かけてくるよ」と仰っていたので、スーパーで出くわしたときは、その話を伺いました。

たった3分の立ち話。
だけど、その瞬間だけは確実に、この街で暮らしていた自信があります。
これはきっと、「観光の世界」では起こらない現象でしょうから。

「あ、どうも」と言えるのは、絶対に2回目以降に会った時です。
だから、「あ、どうも」の瞬間が、「観光の世界」と「暮らしの世界」の間にある透明な壁をすり抜け、「暮らしの世界」へ一歩足を踏み入れたことの証ならば、そのためには「反復」が鍵になる。そのように、僕は思います。

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