見出し画像

都市と香水

私は香水が好きで、小瓶を色々と集めている。好きと言っても、初めての香水に手を出したのは去年のこと。「自分なんかが香水を…!」とドキドキしながら箱を大事に抱えて家に帰った。それから一年足らずしか経っていないので、私は香水が好きだというのもおこがましいくらい、まだまだ初心者の類いだ。でも小さい2mlのサンプルスプレーを前のめりに集めているうちに30種類ほどの香水が家に集まり、今では物置棚の一角が香水に捧げられている。

よく晴れた休日の朝、「今日はどれにしようかな」とその日の服や天気、気分に合わせて香水を選ぶのは私のささやかな楽しみだ。

最初に香水について調べ始めた時、「重め」「軽め」「秋冬向き」「春夏むき」などと解説された香水を見て、香水に季節なんてあるのかな?いい匂いはどんな時もただのいい匂いなのでは?と思ったのだが、色々と試してみるうちに、確かに、香水には、似合う季節や場面があると思うようになった。

爽やかなアクア系の香りは夏の清涼感を思わせるし、バニラやタバコなどのどっしりした香りを嗅ぐと、冬に暖炉でパチパチ燃える火を眺めているようだ。(暖炉がある家に住んだことなんてないので想像の中だけだけど)

今日は東京はよく晴れていて、目が覚めてカーテンを開けた時の空は真っ青だった。絵の具の水色をベタ塗りしたみたいに雲一つない、爽やかな5月の空だ。こんな日にビーチに行ったら海が綺麗だろうな、と私は思いながら出かける準備をして、最後の仕上げのために香水が置いてある棚の前に立って、メゾンマルジェラのビーチウォークを手にとった。

シュッ、と一拭きした瞬間、私はハワイに連れていかれていた。

よせては返すやわらかい太平洋の波。それを迎えるビーチ。一面に日の光がふりそそぎ、砂の粒が光っている。ビーチパラソルがあちこちに大きく広がり、その下に小さく丸い影ができていて、水着姿の大人たちがごろんと寝転んでいる。サングラスをかけても目を細めてしまうくらい、日差しが眩しい。

人々は念には念を入れて何度も日焼け止めを塗り直すから、波打ち際を歩いているだけで、あちこちのパラソルからアメリカの日焼け止め特有のココナッツの匂いが漂ってくる。見回してみると、中には日焼け防止じゃなくてスキンシップ促進のためなんじゃないかというくらい丁寧にお互いに日焼け止めを塗っているカップルもいる。

そのココナッツの匂いの中に、かすかに、爽やかな潮風がふいて、うぶ毛がゆれる。

メゾンマルジェラのビーチウォーク自体は、公式サイトによるとフランスの海岸をイメージしているらしい。だから私の解釈は本当に自分勝手な感想なのだけど、私にとってあの匂いはハワイで、一瞬だけ、東京の小さなワンルームで、私はハワイにいた。

その後、完全にハワイ気分で東京の道を歩きながら、香水には似合う都市もあるんだな、と思った。どこかで読んだ事があるが、人間の脳の中で匂いと記憶を司る部位は隣り合っており、一つが刺激されるとついもう一方も反応してしまうらしい。(本当かは分からないけれど)

都市の記憶と香りは結びついて、香水のひと吹きで私たちを遠くに連れていってしまう。そしてとある都市に旅行している間、その道やホテルのロビーやデパートで、同じ香りを何度も嗅いだら、多分、私たちは飛行機に乗って家に帰ってトランクの中身をしまい終わって日常生活が再開したその後もずっと、その香りを嗅ぐたびにその都市を思い出す。

もっともっといろんな場所に旅してみたい。都市の光景を脳に刻み、香りの記憶を持って帰ってきたい。そんなことを思った朝だった。


この記事が参加している募集

#夏の思い出

26,634件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?