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てつねこ

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「我々はどこから来てどこに行くのか?」 この問いに対する答えは、とっくに出ている。 〜生命教・人工人格・自発的絶滅・「家事」と「生業」〜
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人間の終わり

人間の終わり


【自発的絶滅】つらつらと考えてみると、自らが作り上げた人工人格に文明を譲渡したのちに自発的絶滅を果たすことが、現生人類の「生物種としての天寿」の全うなのだ。ただし、自発的絶滅は集団自殺ではない。自発的な繁殖放棄である。言い換えるなら、人類は、自発的絶滅よって初めて、利己的な遺伝子に対する全面勝利(R. Darkinsの夢)を実現する。

「但し…」と思う。天寿を全うできない個人がいくらでもいるよ

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怪物に取り憑かれる

以前から、ナチス・ドイツが「転生」したのがイスラエルだと「分かって」いたから、ガザで今起きているようなことはいずれ起こると思っていた。

「転生者」の一番の特徴は、「前世」より「やり方が巧妙」になること。しかし、「正体」は変わらない。

イスラエルの「偉い人」の発言の中の「パレスチナ」とか「ハマス」を「ユダヤ人 」に置き換え、「イスラエル」を「ドイツ」や「ドイツ国民」に置き換えたら、あのチョビヒゲ

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ああ、妊娠って「リスク」なんだね?

「妊娠のリスク」という言い回しが性犯罪(とそれに類すること)の文脈以外の、日常レベルの文脈で使われることに、現代人の殆どが特に違和感を感じないのは、完全な知性現象として振る舞いたい人間が生命現象に対して根源的に抱いている「疎ましさ」や「不愉快さ」が原因。人間は、自分が生き物であることを、心の底では「残念」に思っている。

(2024年5月2日 穴藤)

「猫の缶詰」で思う日本語

猫の糞の始末をしているとき、ふと思った。

「猫の缶詰」は、「猫用の缶詰(この場合、猫の餌の缶詰)」と「猫の肉が入った缶詰」のどちらの意味にも取れる。しかし、今(西暦2024年)の日本で、「猫の缶詰」と言えば、「猫の餌の缶詰」一択である。逆に(逆に?)、今、この日本で、「牛の缶詰」と聞けば、大抵が「牛の餌の缶詰」ではなく、「牛の肉の缶詰」だと思うはずだ。牛を飼っている者は少ないし、だから、(仮に実

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「拷問」としての「文春砲」

所謂「文春砲」は、実質、時代劇に出てくる「拷問」(石を抱かせるとか、焼きごてを皮膚に当てるとか、五寸釘を足の指に刺すとか)になっている。目をつけられた人間は、お白洲(裁判)で白黒つけられる前に、牢屋敷で痛めつけられ、一生残る肉体的精神的経済的ダメージを受ける。あとで無実・無罪とわかって放免されたとしても、「拷問」で受けた様々な「損害」については何の補償もない。「拷問」された側はひたすら「ヤラレ損」

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