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今だから言える、高校生の時不登校になりかけた理由

高校の時、2週間くらい学校に行けなくなったことがあった。
友達がいじめのようなものにあっていたから。

出席番号が2つ後ろの子、
調理実習や、グループワーク、体育のテストではよく同じグループになった。

その子をいじめているグループに所属していたのが
出席番号が、私の次の子。

その中間の立場にいたのが私、ということだ。

特別仲が良かった訳ではなかったけど、
たまに話したりする程度だった、
優しくて私にとっては普通のいい子だったけど、確かに変わってはいた。

思春期の頃によくある、人とちょっと違う子が目についていじるパターンだ。

一緒のグループになる時も、掃除の時も、
放課の時も、それがとにかく辛くて
学校を辞めたいと思っていた。

その時期は、学校から帰った後
高校 退学したら
高校 辞めたい

とよく検索していた。

母には、行くのが辛いこと、その理由、学校を辞めたいと思っていること

それを上手く伝えるのが難しくて、学校から帰ったある日、学校を辞めたいと一言言った後涙が止まらなくなった。

それまでは何事もないように振る舞っていたから、
堰き止めていたものが一気に溢れ出したようで、

思っていることをきちんと伝えることができなかった。

とりあえず学校に行きたくない、ということだけ母は理解して、私はその次の日から2週間程度学校を休んだ。

私はゼロか100なので、
もう長く休むなら辞めたいと思っていた。戻る時のことを考えると辛すぎたから。

そんな場所、辛い思いしながら行き続ける必要なんてないと思ったから。

変に心配されたり、
次は私が目をつけられていじめられたらどうしよう。
色々聞かれるだろうし、考えるだけで生き地獄だ。
休んでる時も色んな考えが頭を巡っていた。

ちなみに私は、その時の季節柄、体調を崩した、という理由になっていたらしい。

学校に戻ってからは、
もう体調大丈夫なの?とか、長いこと体調崩してたんだねとか、声をかけてもらったけど、

どんな理由で伝わってるか知らなかったので、そう言われた時初めて、体調が悪いってことになってたのかって知った。

だって、私自身がいじめられてる訳じゃないのに
友達がいじめられてるから私が辛くなって学校に行けないって、
納得してもらえない気がした。

納得してもらえなくてもいいのだけれど、
その時の気持ちをまっすぐ受け止めてもらえないだけでも心が折れそうだった。

母は今よりもっと頭が堅かったので、
辞めるなんてありえない、
少し休んだらよくなるはずだから、とりあえず休憩したら。とだけ言って辞めさせてくれなかった。

今考えれば、母に認めてもらえなくても
辞めると決めて行かないのも一つだったと思うけど、

それはそれでその後の父と母との関係性が悪くなるのが嫌だし、
と、そこまで考えて、思い切ったことはできなかった。

ほら、ゆっくり休んだらよくなったでしょ、と少々無理矢理に学校に戻って、
それからはもう辞めるという選択肢は諦めて
卒業まで頑張ることになった。

結果的に、頑張って良かったとも思う。

その時仲良かったメンバー3人だけとは、今も連絡をとっている。

高校を辞めなかったから留学にも行けて
海外の文化に興味を持って、
英語をもっと学びたいと思って、グローバルな環境の大学にも行けた。

その時は学校なんて、って思ってたけど、
高校は出ておいて良かったと思ったし、
その後の大学生活は本当に本当に楽しかった。

母に理解してもらえなくて、塞ぎ込んで縁を切りたいとさえ思ったけど
あの時母が辞めるなと言わなかったら

今の私はいないと思う。

大学に行っていたかも分からない、
海外に魅力を感じて、もっと広い世界を知ることもなかったかもしれない。

数年前に母から、
そういえば高校の時学校に行けなくなったこともあったね。
まあそういう時期もあるよね。と言われた。

その後も、なぜ行けなくなったのかは話さなかったので、理由は聞かれなかったが、
その話をサラッとされた時、その時の私はまだ正直にいえなかった。

理解してもらえないだろうな、今更話して、またモヤっとするのもやだし。と思ってしまって、その時も話せなかった。

でも、そこからまた数年、今なら話せる気がする。素直に話してみたいな。

今では、ありがとう母!
むしろ学校に行かせてもらえて、それだけでも本当に感謝しなきゃなあと思う。

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