あこ

ねこと暮らす動物好きの人間。世の中の「なんで?」をぽつぽつ考える日々。世界は不思議がい…

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ねこと暮らす動物好きの人間。世の中の「なんで?」をぽつぽつ考える日々。世界は不思議がいっぱい。

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最近の記事

ネットの情報>あなたの言葉

な人、周りにいますか? 風邪気味の友人に「今日はお薬を服んで早めに寝たら良いよ。」なんて言っても「薬って化学的で人体に悪影響を及ぼすから良くないってネットで書いてあったから、あんなの服めないっ!!」なんてーことを言われたり。 その逆もまた経験したことありませんか? 友人の言葉に対して「それは違うよ、ネットでは○○って書いてあったよ。」なんて。 何気ない会話のやりとりとして、普段からこんな会話がそこかしこで聞こえてきそうです。 これ、もしかしたらお互いの関係に少しだけ

    • 「諦める」の意味

      思い切る。仕方がないと断念したり、悪い状態を受け入れたりする。 by広辞苑 この言葉、仏教から来た言葉らしいんですが、元々の意味をご存知ですか? 「諦(テイ・タイ)」には、ものの真実をよく見る。あきらかにする。諦観(タイカン)。 見きわめられた道理。真理。真実。 因果の道理をあきらかにみる。これが仏教での意味だそうです。 結果には必ず原因があり、今ここにある状況や状態(結果)には必ず自分のしてきた選択(原因)があるということ。”善因善果”、”悪因悪果”、”自因自果”

      • 「ごめんなさい」は誰(何)のための言葉?

        なんか、謝りたくないがための言い訳をしているクズ野郎(?)の屁理屈大会が開催されるのかと思われそうですが、真剣に考えてみました。 というのも、「ありがとう」の意味、語源、由来をきちんと知ろうと思って調べていた際に、「ごめんなさい」という言葉の意味や由来も知りたくなったからです。「ありがとう」と「ごめんなさい」って、なんだか一緒に語られるコミュニケーションの言葉だと思うのですが、わたしだけ?     では、ないと信じます。進めます。 「ありがとう(有り難う)」はご存知の方も

        • 努力をすること

          最近、「努力が足りていない」と改めて言われました。 過去の出来事を振り返った時、「到達していないといけないラインまで来ていないのに、どうして褒めて褒めて、認めて認めてなんて求めるの?足りてない人間にかける褒め言葉なんてないんだけど。」と。 そりゃああんたは出来るかもしれないよ、だけどわたしは出来ないんだよ。 何をどうすれば良いのか、何がわからないのかわからないし、わたしにとってはふんわりした情報の中でもがき苦しんでいたんだよ。 と、脳内で悪態をつきつつ、「そっかぁ〜。

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          普通

          普通(ふつう)[名・形容詞]特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。 [副]たいてい。通常。一般に。 「普通はさぁ〜」 わたしはこの言葉を投げかけられると非常に萎縮してしまう。 朝には「おはよう」昼には「こんにちは」夜には「こんばんは・おやすみなさい」が一般的であることは知っている。仕事などでは夜でも「おはようございます」と始まりを意味するものとして使われることも知っている。 ただ、各家庭や地域などでの習慣が

          HSPの呪い

          ここ最近、もやもやを解決してくれる新しい言葉が注目されている。 HSP(Highly Sensitive Person-ハイリー センシティブ パーソン-)とは、場や人の空気を読みすぎたり、人混みや物音、光など五感で受ける刺激に敏感で、人から発せられる目に見えないエネルギーにさえも反応してしまう。共感しやすくすぐに感情移入してしまい、そのため自分と他者の境界線が曖昧になってしまう。自己否定感が強い。というのがざっくりとした特徴。 『察する』とか『他者への思いやりや気遣い』

          HSPの呪い

          「自由」という不自由

          これはわたしの友人が言った名言(迷言)で、自分の仕事、主に職場の人間関係に悩んでいた彼女が思い切って退職した後、半年ほどの期間を空けていた際に言った言葉。 看護職をしていた彼女の悩みは、多くの看護師がそう悩むのかはわからないけれど、『患者さんに寄り添いきれない』こと、『職場のギスギスした関係が辛い』ことだった。 ひとりひとりにじっくり時間が取れる時間などもちろんなく、必要な雑務で手一杯だと自分の心の余裕がそもそもなくなってしまう。穏やかでオモチロイこと好きの彼女が怒ってい

          「自由」という不自由

          「自己肯定感を高める」というパワーワード

          最近『自己肯定感を高める○○の方法』とか、『自己肯定感を高める○○な習慣』という言葉をよく目にする気がします。 わたし自身はというと、自己肯定感が低いと思って生きては来なかった、というか自己肯定感なんぞという言葉自体、そんなに馴染みがなかったのですが、自己肯定感の低い人の特徴を見てみて当てはまることが多く、思い返してみるとなるほど自己肯定感が低いが故に自分はこういった思考回路なのかと思い、興味を持つようになりました。 その言葉にたどり着く前に出会った言葉がカサンドラ症候群

          「自己肯定感を高める」というパワーワード

          今更の自分探し。

          おしゃべりがしたい。 わたしはあまり口数が多い方ではないし、大勢でワイワイするのもそんなに得意ではないが、世間話しをするのは嫌いではないし、何かのテーマについて談論することも嫌いではない。 なぜ『嫌いではない』という中途半端な、軽く上から目線に見える考えなのかというと、誰かと話していると、往々にして『答え』や『正解』、なんなら『勝敗』を求めて止まず、白熱してしまう人がいるから。 わたしは議論や討論をしたいのではない。 物の見え方、感じ方、考え方は人それぞれなので肯定も

          今更の自分探し。

          雄弁は銀、沈黙は金

          イギリスの思想家・歴史家のトーマス・カーライルのことば。 淀みなく話せることも大事だが、黙るべきときを知ることはもっと大事である。の意。 この言葉が好きだ。 子どもの時、同級生の男の子の耳の裏が変だった。垢が溜まっていたと勝手に思い込んでいるが、本当のところはわからない。頭を洗うときに母から垢が溜まるから耳の裏も丁寧に洗いなさい、と毎回しつこく言われていたのでそう思い込んでいるだけかも知れない。もしかしたら怪我をしていて、治りかけの状態だったのかも知れないし、他の理由が

          雄弁は銀、沈黙は金

          タローとジロー

          小学校低学年くらいの頃、近所のお家に黒色の柴犬兄弟がやってきた。当時は犬種の知識などなく、いとこの家で飼われていた犬の"ハスキー犬"くらいしか知らず、その2匹の種類を知ったのは大人になってから。 ある晴れた夏の学校帰り、近所の立派なお家の玄関でおばちゃんと2匹の子犬が戯れているところに出くわした。胸元によだれかけをしているような、黒くて小さな元気いっぱいの子犬。挨拶もそこそこに興奮したわたしがその2匹に近づくと、おばちゃんは「興奮して噛んで怪我をさせるかも知れないから触っち

          タローとジロー

          チャーハンのこと。

          チャーハンが好きです。チャーハンの良さを、わたしの独断と偏見によりつらつらと書き連ねているだけです。読み返してみて、我ながら乱暴な書き方をしています。人によっては不愉快な表現もあると思います。ご意見無用の私的文章であることをご承知いただける方のみ、そしてここで時間を無駄にすることを厭わないという方のみお付き合いくださればと思います。 チャーハンの何が良いって、それ一品で野菜とお肉とお米がまとめて食べられること。入れる野菜もお肉も基本はなんでもあり。味付けだって、塩・胡椒・醤

          チャーハンのこと。

          味覚

          味の感じ方の不思議。数年前の話。 同い年のいとこの家にお呼ばれして遊びにいくと、娘のカエちゃん(当時3歳)がリビングでうずくまっていた。ロタウィルスにかかって絶不調らしい。 病院の先生からも看護師の母(わたしから見た叔母)からも、ピークを過ぎてあとは脱水症状にだけ気を付けて普通に(安静に?)過ごして大丈夫と言われたし、大人に移す心配もないから気にしないでゆっくりしていってね。といとこは言ってくれた。 カエちゃんも、うずくまったままにこにこ顔でお気に入りのぬいぐるみを見せ

          キツネの話し。

          祖父母の家の前には山が並んでいる。目の前には町道?が走っていて、道を挟んでそれぞれの家の前を避けるようにジグザグに4軒ほど、他のお家もある。みんな農家のお家で、わたしの生まれる以前にリフォームをしたんだろう、大きくはないがきれいで立派なお家もある。 そのお向かいさんにあたるお家のすぐ裏には山々が並んでいる。 山のほんの入り口付近ではあるが、そこでトンボやカブトムシ、セミなんかを捕まえたりしていた。 山の中に道が続いていたが、その先に連れて行ってもらった事はなかった。

          キツネの話し。

          余計なお世話。

          最近どうにももやもやする日が続いている。人はどんなに冷静であろうとしても、感情というものがあり、自分自身の見聞きしてきた経験の中で、主観で物事を見ることをやめられない。と、思う。 カレーを作ってくださいと10人にお願いしたとして、誰一人、同じ味にはならない。出来上がりは全てカレーなんだけれども、野菜の種類や切り方、炒める工程、加えるスパイスの種類や量…それぞれの作り方が存在する。 好みはあれど、全て美味しいカレー。どれも魅力的。何かの歌詞みたい。 きっと、失敗もたくさん

          余計なお世話。

          トンビの思い出。

          わたしはトンビが大好きだ。大きな翼で悠々と空を旋回する姿。 止まっている姿もかっこいい。すっと背筋を伸ばしているような、余裕のあるような、なんとも貫禄のある佇まい。 いつまでも飽きずに見ることができる。 こんなにもトンビが好きなのは、子どもの頃の『ある出会い』からかも知れない。 車で15分程の距離ということと、両親とも(父は別の仕事の合間にだったが。)祖父母の農作業を手伝っていたという事もあり、幼少期は祖父母の家で多くの時間を過ごしていた。 当時の自分の年齢は忘れた

          トンビの思い出。